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亀の歩みながら着実に「悲願」に近づいている稀勢の里(荒井太郎)

2場所連続13勝の稀勢の里が満を持して名古屋の地で綱取りを迎える。大関在位27場所で2桁勝利は実に20度。そのうち13勝以上は5回を数える。これほど抜群の安定感を誇りながら、綱はもとより賜盃にも手が届かない。そんな悔しい日々も間もなくピリオドが打たれようとしているのではないだろうか。

今年3月場所、優勝こそ逃したが最後の最後まで優勝を争っての好成績に「悔しさはありますけど、いい流れで取れました。千秋楽まで気持ちも体も変わらずやれたと思います」と、本人なりに手応えを感じていた。「あと2週間ぐらいはいけるんじゃない(笑)?」とスタミナ面も全く問題がなかった。

この場所は初日につまずいた白鵬が全勝の稀勢の里を追いかけるという、今までにない優勝争いのパターンであった。11日目の直接対決に敗れて並ばれると、翌日も連敗を喫し逆に追いかける立場となったが、自身が先頭に立って優勝戦線を引っ張ったという経験が先場所の戦いぶりに生きた面はあったであろう。

支度部屋で、あるいは出番前の花道で、さらには土俵下の控えで微笑んでいるかのような表情を見せるようになり、以前のように眉間にしわを寄せ、周囲を寄せつけないピリピリした雰囲気は影を潜めた。仕切りの時に何度も瞬きをしなくなったのも、過度に緊張しなくなった証拠だろう。いかなる状況にも動じない平常心を手に入れたようにも映る。「四股の踏み方が変わった」という周囲の声も少なくない。しかし、本人は言う。

「何かを変えて星数が上がったということはない」。

さらに自身がよく使う言葉を借りるならば「1日1日の積み重ね」が、ここ最近になってこうした立ち居振る舞いにたどり着き、それが結果として現れたということになるのだろう。

「積み重ね」が成果になるまでには相当な時間を要する。それは稀勢の里のこれまでの足跡を振り返るとよく分かる。

10代で入幕すると横綱朝青龍を電車道で圧倒するなど、しばしば“大物食い”を果たし、二十歳そこそこで一躍、次期大関候補に名乗り出た。しかし、そこからが長かった。しばらくは三役と平幕の往復を繰り返し、大関取りは当時ライバルと言われた琴欧洲や安馬(日馬富士)、琴奨菊に先を越され、自身が昇進したのは新入幕から42場所という史上5位の遅さであった。ただし、それは決して回り道だったわけではなく、彼らを完全に凌駕するほどの、大関昇進後の安定度をもたらす準備期間だったのである。

優勝争いにおける「積み重ね」の成果も確実に見て取れる。自身初の13勝をマークした前頭4枚目だった平成21年夏場所は、千秋楽に1敗の横綱白鵬、大関日馬富士がともに敗れれば優勝決定巴戦だったが、優勝は白鵬との1敗同士の決定戦を制した日馬富士。このときの稀勢の里はいわば“ノープレッシャー”だった。関脇時代の23年9月場所は3敗で千秋楽を終えたが2敗の横綱白鵬にそのまま逃げ切られた。翌24年夏場所は11日目を終わって後続に2差をつけて1敗で単独トップに立ったが、終盤に大崩れして11勝どまり。この場所は平幕同士の優勝決定戦を制した旭天鵬が最高齢初優勝を果たしたのだった。

1年後の25年夏場所は自身初の初日から13連勝をマーク。14日目は白鵬との全勝対決に敗れ、千秋楽も琴奨菊に完敗した時点で白鵬の25回目の優勝が決定した。同年11月場所、26年5月場所はいずれも13勝。賜盃はそれぞれ14勝1敗の日馬富士、白鵬が抱くことになり、惜しくも一歩及ばなかった。今年3月場所は千秋楽にきっちり勝って決定戦の権利を得たものの、結びで白鵬が手負いの日馬富士に立ち合い変化で勝利して賜盃をさらったのであった。そして先場所は自身初の連続13勝。しかも2場所とも取りこぼしが一番もない。

こうして見ると亀の歩みかもしれないが、着実に初賜盃に近づいていることが分かる。優勝争いの渦中における白鵬戦を振り返ってみても、立ち合い変化や呼吸を微妙にずらされてまともに相撲を取らせてくれなかったのが、徐々に自分の力を発揮できるような内容になってきた。先々場所は一気の寄りに完敗したが、その前には呼吸が合わず「待った」をした。以前の稀勢の里であれば、雰囲気に飲みこまれてそのまま立ってしまった可能性はある。そして先場所は得意の左四つ、右上手を引く体勢で果敢に攻め立てた。

稀勢の里の父・萩原貞彦さんも「毎場所、毎場所、星勘定とは別に得るものがある。稽古で培われてきたものを出せるようになってきた」と見ている。タイプ的には器用ではないが、経験してきたことを一つひとつ肥やしにしながら、進化を遂げてきた。場所前には30歳となるが、成長の曲線は非常に緩やかながらもいまだ右肩上がりを続けている。

いよいよ機は熟した。

「ここからだと思っている。楽しみです」

自らを「晩成型」と呼ぶ大関が三十路の大台にして、大願成就に挑む。

〈荒井太郎(相撲ジャーナリスト)〉