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琴奨菊が18年ぶりの日本人横綱昇進に挑む 可能性は本人の意思次第!?(荒井太郎)

10年ぶりの日本出身力士の優勝で沸き返った先の1月場所。その主役は最も期待されていた稀勢の里ではなく、これまでカド番を繰り返し引退危機さえ囁かれていた琴奨菊だった。

平成23年11月場所で大関に昇進以降、初優勝する前場所までの在位25場所で2桁勝利は7場所。5度のカド番に皆勤での負け越しも3場所ある。5度目のカド番だった昨年7月場所は12日目に7敗目を喫しながら、奇跡の3連勝で九死に一生を得るなど、地位を維持するのに精いっぱいだった。

低迷する最も大きな要因となったのは、25年11月場所での右大胸筋断裂のケガだった。 左を差し右で相手のカイナを抱え、がぶり寄りで圧倒する取り口が琴奨菊最大の武器。しかし、ケガをしてからは右でしっかり抱えることが出来なくなり、相手の突進を受け止めきれずにズルズルと土俵を割る場面が目立つようになった。

「体力は落ちているのに、感覚はいいときのままで相撲を取っていた」と相撲人生で一番苦しかった時期を振り返る。肉体と感覚のズレ、さらには大関として結果を出さなくてはいけないという焦りが、自分自身と真正面から向き合うことを拒んでいた。

「自分の相撲はもう通用しないのではないか。今ごろは(親方衆が着る)協会のジャンパーを着ていたかもしれない」と自分自身でさえ、気持ちが引退へと傾きかけたことがあったと本人も認めている。昨年夏ごろのことである。

年齢も三十路の大台に乗り、大関の地位もすでに手に入れた。本人さえ決断すれば、それは労いの拍手をもって周囲も受け入れていただろう。新たなトレーニング方法と出会ったのは、そんな燃え尽きそうになったときだった。琴奨菊再生のキーマンである塩田宗廣トレーナーの指導のもと、体幹を一から鍛え直し肉体改造にも着手。「ピーキング」という手法も導入し、どこにコンディションのピークを持っていくかも周到なプランを練った。

直後の昨年9月場所で7場所ぶりの2桁勝利となる11勝をマーク。勝因を「根拠づくりが出来たから」と本人は言う。好成績は決して偶然ではないという自負の表れであった。「根拠」は自信の源となっていく。優勝を遂げた場所は、勝敗の結果で一喜一憂していた以前の姿はもはやなかった。結果より過程が大事ということを十分、実感しているからだ。

「準備と対策をしっかりやって出し切るだけ」と毎日、判で押したような同じコメントからは、揺るぎのない強靭な心も垣間見える。

「相手への接地面を多くした」と相手と密着する面積を増やすことで、がぶり寄りの圧力は以前より数段、パワーアップ。加えて平常心というメンタル面の武器も手に入れた。

「若い衆が頑張ってくれて生活のリズムを崩さずやってくれた。体重が落ちたときも食べやすいちゃんこのメニューを考えてくれたり、気を使ってくれた」と付け人たちのサポート、さらには昨年7月に入籍した祐未夫人の内助の功にも助けられたに違いない。賜盃は“チーム琴奨菊”とも言うべき、周囲で支えてくれた人たちとともに掴み取ったのだった。

先場所後からはイベントや挨拶回りなどで多忙を極め、メディアへの露出にも積極的だった。大事な場所を前に体調管理面も懸念されるが「戸惑っているけど相撲の楽しさ、奥深さを幅広い年齢層の人々に知ってもらいたい」と貴重な時間を割いても看板力士としての使命感で引き受けているのには頭が下がる。

果たして綱取りの可能性だが、これは本人の意思次第であろう。賜盃を抱いて夫人と写真に納まるという夢が実現し、満足して終わるのか、あるいは優勝して新たな欲が沸いてきたのか。琴奨菊の場合はどうやら後者のようである。

「こんな世界があるんだな。いろいろな出会いがあっていろいろな話を聞くうちに伸びしろが見えていた」

賜盃を手にしたことで、より高みの世界へと足を踏み入れ、新たな刺激を受けていることだろう。たとえ相撲寿命が縮まったとしても、綱を締めたいと今は思っているはずだ。

「大阪に行ったらガッツリきついトレーニングをやる」と塩田トレーナーは息巻く。もちろん、当人も本気だ。

ところで、琴奨菊の優勝は他の日本出身力士に大いに刺激を与えたことだろう。中でも稀勢の里は忸怩たる思いでいるに違いない。大関在位25場所で2桁勝利は18場所と安定度は琴奨菊の比ではなく、大関の責任も十分に果たしてきた。それでも届かない初賜盃と綱。

「言いたいことは山ほどあるけど、胸にしまって頑張ります」

千秋楽の支度部屋、そう語る行間からは何とも言えない無念さが滲み出ている。これまで、期待をすれば裏切られ続けてきたが、それでも期待せずにはいられないのがこの大関の魅力だ。“孤軍奮闘”の戦いぶりは見る者の胸を打つ。おそらく、稀勢の里が優勝したならば、その盛り上がりは先場所をはるかに上回るものになるだろう。賜盃を手にできるだけの実力、資格は十分にあるのは誰もが認めるところ。あとは精神面の問題。腰高などが指摘されるがそれも15日間、しっかり集中力が持続できればおのずと改善されることだろう。「琴奨菊の優勝があったからこそ」と言える日が来ることを期待したい。

白鵬が3場所連続で賜盃から遠ざかっている。もし、今場所も“V逸”となれば4場所連続となり、横綱昇進以降初めてのことになる。ならば現役最強横綱は目の色を変えて優勝を狙いに来るのかといえば、土俵を見る限りではそう言い切れない。優勝回数で単独1位に立ってからの自身の関心事は、優勝をさらに重ねることよりも自らが理想とする相撲、つまり“後の先”の探究のようだ。

先々場所、先場所における終盤の連敗は、無気力相撲を指摘されても仕方がない内容であり、優勝争いのせっかくの盛り上がりに大きく水を差した。あっさりと土俵を割った先場所の稀勢の里戦後は「(後の先は)合う人と合わない人がいる」と語ったが、自分の理想の相撲を追求するあまり「観客不在」、「相手不在」の相撲となってしまえば本末転倒だ。嘉風戦や松鳳山戦で見せた気迫ある相撲を横綱同士の一番でも見てみたい。

白鵬とともに日馬富士、鶴竜を含めた横綱陣は、揃いも揃って琴奨菊の勢いを止めることが出来なかった。本来なら横綱戦“3タテ”を成し遂げた大関を褒めるべきだろうが、3横綱の負けた相撲内容があまりにも淡白すぎた。横綱大関戦は協会の“看板カード”。綱取り大関に対し、横綱陣は稀勢の里戦同様の闘志全開で対抗してほしい。

〈文:荒井太郎(相撲ジャーナリスト)〉