連覇を狙う横綱日馬富士 カギを握るのは“大物キラー”の新関脇嘉風 (荒井太郎)
北の湖理事長が11月場所13日目の20日、62歳の若さで急逝した。理事長として大相撲存亡の危機を乗り越え、人気のV字回復に尽力してきた功績は計り知れない。新理事長には八角親方(元横綱北勝海)が就任。前理事長の理念はぶれることなく、継承されていくことだろう。
さて、先場所は横綱日馬富士が2年ぶりとなる優勝で幕を閉じたが、優勝戦線を引っ張ってきたのは第一人者の横綱白鵬であった。初日からただ勝つのではなく、様々な話題を提供しながら白星を重ねていき、衆目の関心を集めた。7日目の隠岐の海戦は右足で相手の左内股を払い右上手からの投げで体を反転させると、やぐら投げの大技を決めた。
あれだけ鮮やかに決まるのは、最高レベルの技量とセンスを持つ白鵬ならではだろう。しかし、その3日後の栃煌山戦では猫だましを繰り出し、物議を醸した。相撲ファンなら誰もが自分の目を疑ったに違いない。猫だましは通常、格下力士が上の者に何とか一矢報いるために用いる“奇策”とされている。横綱が使うとは前代未聞である。
ある幕内力士は「稽古場でやることはあっても、大観衆の前でやる勇気はない」と話す。なるほど、失敗すればこれほどみっともないこともないわけで、そういう意味で本場所で成功させるのは難しい技(?)なのかもしれない。しかし、北の湖理事長は「横綱がやるべき手ではない」と苦言を呈した。ファンも白鵬にあんな相撲は期待してなかっただろう。
百歩譲って猫だましをやったとしても、その後はしっかりと得意の右四つに組み止めていたら、これほどの批判は浴びなかったかもしれない。しかし、そうはしなかった。両手でパチンと手を叩くと闘牛士よろしくひらりと体を開き、栃煌山の当たりをかわした。最初の当たりさえかわせば、危なげはないと思ったかもしれない。
過去には1年で3回も栃煌山戦で立ち合いに変わり、とったりにいったこともある。対戦成績こそ大差がついているが、内容的にも一気に土俵際まで押し込まれることも少なくない。それほど白鵬にとって栃煌山の立ち合いは脅威なのだ。
さらに翌日の稀勢の里戦もこの時点ですでに視野に入っていたことだろう。この日、稀勢の里は豊ノ島に苦杯を舐めて2敗となったが、もし、白鵬が栃煌山に敗れれば星の差1つでの対戦となり、賜盃のゆくえはさらに混とんとすることになる。白鵬が稀勢の里と相星、もしくは1差以内で対戦したのは過去3度。そのうち2回は立ち合い変化などの奇襲である。稀勢の里に賜盃をさらわれる可能性が高いときの立ち合いは、それほどまでにナーバスになるのだ。
だからこそ、栃煌山戦は何としてでも勝たなければならなかった。勝って稀勢の里とは星の差2つをつけて楽な気持ちで戦いたかったのではないか。あの一番を余裕と見る向きもあるようだが、猫だましはそうだとしても、その後の変化は周到に考え抜いた末の手段だったのではないだろうか。
終盤は3連敗と大失速で賜盃は日馬富士に譲ったが、その内容は12連勝したそれまでとはまるで別人だった。特に千秋楽結びの鶴竜戦は、結び前で優勝圏外の稀勢の里が意地を見せて日馬富士を寄り切ったのとは対照的に、お粗末な内容だった。
ところで、生前の北の湖理事長は毎場所のように千秋楽で対戦する横綱輪島について、こんなことを語っていた。
「優勝が懸かっていなくても意地があります。対戦成績を広げられたら、それも記録に残ってしまう。だから、意地でも勝ちたい気持ちがあった」。
今もこうして“輪湖時代”が語り継がれるのは、当人たちの心意気も大きかったからであろう。格の違いを見るようである。
さて、先場所の日馬富士の復活優勝は見事であった。満身創痍のうえに不調の最も大きな原因ともなっていた右肘を手術。それでも調子は戻らず2場所連続休場とまさに耐え忍ぶ2年間だった。
前半の取りこぼしが多く金星配給過多であることから、さらには白鵬の圧倒的な存在感もあってか、“弱い横綱”というレッテルを貼られがちだが、7回の優勝は5回の朝潮、柏戸、6回の佐田の山を超えており、及第点以上の立派な横綱であることを証明している。稽古熱心であり、巡業などでは若手に対し、部屋や一門に関係なく積極的にアドバイスを送る光景をよく見かけるが、こうした数字に表れない姿勢ももっと評価されていいのではないだろうか。狙うは横綱昇進以降、初の連覇だが、年末に左膝に蜂窩織炎を発症させて入院。1月5日には退院したその足で伊勢ケ濱一門の連合稽古に直行する執念を見せたが、気がかりではある。
先場所前半戦は絶好調だった稀勢の里は10日目から4連敗と突如、大崩れして優勝戦線から脱落した。1敗で迎えた10日目の豊ノ島戦は分のいい相手だったが、立ち合いから明らかに腰高でいいところなく完敗。翌日の白鵬戦がプレッシャーとなっていたのだろうか。それまでの相撲内容がよかっただけに残念でならない。
周囲から言われる腰高だが、千秋楽の日馬富士戦のようにしっかり集中できているときは腰もおのずと降りている。要は15日間、集中力を切らさなければ、いい相撲も増えて結果もついてくるはずである。18歳で入幕した男も今年で三十路を迎えるが「昔より元気なんじゃない?うまい酒が飲みたい。自分で(優勝を)決めていくしかない」と準備は順調に来ている。
右膝のケガで失速した照ノ富士は、後半よく持ち直して9勝。稽古好きの大関も冬巡業はさすがにセーブせざるを得ず「めちゃくや稽古したいよ」とぼやいていた。まともな稽古ができるようになるのも、早くて半年後ぐらいだろう。気持ちの面もうまくコントロールして、この試練を乗り切ってほしい。
最も注目したいのは33歳で新関脇となる嘉風だ。もともと気持ちの強い力士だが、2場所連続技能賞が物語るように、技術的にも何かを掴んだからこその躍進だ。ただ動きが速いだけでなく、フェイントも駆使しながら自分の間合い、距離感などを掴んだのではないか。大関候補に名乗りを挙げる日も、あながち来ないわけではないだろう。上位陣にとっては厄介な存在。この男に足元を掬われた者が優勝戦線から脱落しそうだ。
平成26年は満員御礼が86日間という盛況ぶりだった。各力士は「土俵の充実」という北の湖理事長の遺志をこれからも継続して実践し、新年も今まで以上に熱い戦いを見せてほしい。
〈文:荒井太郎(相撲ジャーナリスト)〉