ノーボーダー・スポーツ/記事サムネイル

佐野稔の4回転トーク vol.⑪ ~どこかホッとさせた羽生と、若さの特権で攻めた宇野。今年も「特別」だった全日本選手権  

フィギュア選手にとって、唯一で絶対の「全日本選手権」

全日本は特別―。そんな言葉がフィギュア界にはあります。さすがに良い選手が揃っているなと感じることもあれば、他の大会では絶対にあり得ないようなミスが起こる。それも全日本の為せる業です。日本のフィギュア・スケーターなら、誰もが出場したい。フィギュア・スケートに関わるすべての人たちが、最も大切にしていて、最大の緊張を強いられる唯一で絶対の舞台。それが全日本選手権なのです。

しかも、みなさんご存知のように、いま日本のフィギュアはかつてないほど高いレベルにあります。日本でトップ争いをすることが、そのまま世界のトップテン入りすることを意味するくらい。それほど質の高い選手たちが日本代表の座を争い、鎬を削り、淘汰され、強い者だけが残っていく。いま世界中で一番面白い大会だと思います。

3度の転倒も、他を寄せつけなかった羽生結弦


ショート・プログラム(SP)の冒頭で失敗していた4回転サルコゥと、それに続く4回転トゥ・ループを、GOE(出来栄え点)が3.00満点の付く完璧なジャンプを披露。またしてもフリー(FS)はノーミスで行くのかと思った矢先、後半の4回転トゥ・ループ、トリプル・アクセルで転倒する。思いがけない落とし穴にハマる形となった今回の羽生結弦でした。

NHK杯、GPファイナル、そして、今回の全日本と、約1ヶ月の間に3試合をこなすだけで、かなりのハードスケジュールです。そのなかで世界最高得点を大幅に更新してきたのですから、肉体的にも精神的にも、疲弊していて当然です。無責任な言い方になりますが、今回の演技を見て、私は「やっぱり羽生も生身の人間だったんだな」と、逆に安心できた部分がありました。しばらく試合間隔も空くことですし、張り詰めていたモノを1度リセットする、良いタイミングではないでしょうか。

もちろんSP、FS合わせて3度の転倒をしていながら、ほかの選手を寄せつけず、大差で優勝してしまうのですから、恐れ入ります。羽生本人が「下手くそだった」と振り返ったことで、かなり演技内容が悪かったような印象がありますが、去年の全日本選手権で優勝したときの、羽生の総合得点は286.86点でした。今年が286.36点なのですから、わずか0.50点の違いしかありません。去年とほとんど変わらないクオリティの演技はできていたわけです。イメージの悪さは、300点を大幅超えしたNHK杯、GPファイナルとの、落差に拠るところが大きかった。それだけ今シーズンの羽生が、大きな進歩を遂げていたことの証明でもあります。

これで全日本選手権4連覇。ということは、僕の記録は再来年に抜かれるわけですね(笑)。羽生が競技生活を続けていくなら、佐藤信夫先生の10連覇に並ぶ可能性だってあるでしょう。

若さの勢いと、玄人好みの滑りを兼ね備えた宇野昌磨

今回の全日本選手権は、山本草太や樋口新葉、白岩優奈といった若手選手の頑張りが特徴的でした。なかでも男子2位に入った宇野昌磨は、良くも悪くも若さを存分に発揮していました。SPでは非公認ながら‘自己最高’となる97.94点を叩き出した。かと思えば、FSでは4回転トゥ・ループに2度トライして2度とも失敗するなど、かなりバタバタしていました。SP、FSをしっかり揃えて、総合3位となった無良崇人も今回はひじょうに良い出来だったのですが、最後は宇野の勢いが上回りました。

昨シーズン、トリプル・アクセルと4回転トゥ・ループの習得をキッカケに飛躍を遂げたため、あまり目立ってはいないのですが、宇野は滑りの技術そのものが、ひじょうに優れた選手です。玄人好みのする、歯切れの良いスケーティングをしています。普段から音楽を伴っての練習を、相当こなしていると聞きますが、その豊富な練習量の賜物なのでしょう。

羽生とふたり、世界選手権(16年3月30日~4月3日、米ボストン)の代表となりましたが、再来年の世界選手権に向けて、3つの代表枠を掴み取って帰ってきてくれる期待は充分です(※)。先日のGPファイナルでは、あのパトリック・チャン(カナダ)を打ち負かしての、堂々の3位。世界中に「宇野昌磨あり」を知らしめました。宇野にとっては初めての世界選手権になりますが、羽生と並んで表彰台に立ってもおかしくないくらいのレベルに来ています。

表彰台争いのライバルは、前回の世界王者ハビエル・フェルナンデス(スペイン)はもちろんのこと、GPシリーズが不調でも世界選手権が近づくと、必ず調子を合わせてくるデニス・テン(カザフスタン)あたりになるでしょうか。とはいえ、どんな世界のトップ選手たちが立ちはだかろうと、いまの宇野昌磨なら、真っ向勝負を見せてくれるはずです。

(※世界選手権シングルの次回出場枠は、上位2名の順位の合計によって決まる。13以下なら3枠。14~28だと2枠)

〈文:佐野稔(フィギュアスケート解説者)〉