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佐野稔の4回転トーク vol.⑦~フィギュアの進化を一気に加速させる羽生の「322点」

●去年からの宿題を片づけて、世界最高得点樹立 いつか誰かが「300点超え」を達成する日が来るのだろうと思ってはいました。とはいえ想像していたのは、302点とか303点とかいったレベルです。それが一気に「322.40」ですから。どう表現すればいいのか、言葉を失います。本当にスゴかった。並大抵の努力で到達できるレベルではありません。会場の長野ビッグ・ハットにいらしたお客さん、そして採点を担当していたジャッジの人たちも、羽生結弦のあの演技を間近で観ることができて幸せだったのではないでしょうか(笑)。技術、気力、体力、表現力、迫力、緊迫感…、すべてが揃って充実していた圧巻の2日間でした。 今回のNHK杯にあわせて、4回転ジャンプを2度組み込む構成にショート・プログラム(SP)を変更。そして、SPとフリー・スケーティング(FS)それぞれの演技の後半に4回転を跳ぶ。言うなれば、昨シーズンに挑戦するつもりでいたのだけど、中国杯での衝突事故、腹部の手術、右足首の捻挫と、アクシデントが続いたためにできなかった宿題を、一気にやり遂げてみせた。その結果による世界最高得点でした。 このタイミングで新しい挑戦をした背景には、前回出場したグランプリ・シリーズのカナダ大会で敗れた悔しさはもちろん、その翌週に行われた中国杯で、衝撃的なシニア・デビューをはたした金博洋(ボーヤン・ジン)の存在があったのではないでしょうか。完璧な出来ではありませんでしたが、SPで2種類の4回転ジャンプ、FSで4度の4回転に、自分よりも早く年下のスケーターが挑戦した。五輪金メダリスト&世界王者としての羽生の自尊心が刺激されて当然です。 羽生本人は五輪連覇に向けたレベルアップの必要性を強調して、金博洋への意識を否定していますが、SPを振り返った「絶対に抜かしてやる。見てろよ」とのコメントや、優勝後の「やってやると思っていた」といったインタビューに、彼の本音が見え隠れしている気がするのです。 現時点で羽生のライバルが、ハビエル・フェルナンデス(スペイン)であることは間違いありません。ですが、フェルナンデスは同じブライアン・オーサー・コーチの門下生であり、手の内を知った相手です。ところが、金博洋については、何をしてくるのかが分からない。正体の掴めない怖さがありました。だからこそ「絶対王者は自分なんだよ」とばかりに、持ち前の向上心に火が付いて、「血の滲むような練習」に自分を追い込んだ。その貪欲さこそが、羽生結弦の真骨頂です。 ●成功率を高めた4回転サルコゥの使い分け 今回私が特に感心したのは、4回転サルコゥの出来の良さです。SP冒頭の4回転サルコゥは、ステップから入るひじょうに難しい形だったので、これまでよりもスピードが落ちていました。意図的にスピードを落としていた印象なのです。加速力に頼って氷から跳び上がることができない分は、しっかりとパワーで補って、より丁寧に跳ぼうとしていたように映りました。それでいて、FSの最初に跳んだ4回転サルコゥについては、ひじょうにスピードに乗った状態で踏み切り、回転効率よく鮮やかに成功させていました。 昨シーズンはNHK杯、全日本選手権、世界選手権と、FS最初の4回転サルコゥを、ことごとく失敗していた羽生でしたが、その課題を今回は見事に克服していました。SPではやや速度を落としたバージョン、FSではスピードに乗ったバージョンと、4回転サルコゥを使い分けて、成功率を高める工夫を凝らしていたのです。 ●2シーズン早く到来した「4回転×5度」時代 今回、羽生結弦はSP、FSあわせて、5度の4回転ジャンプを、世界で初めて成功させたスケーターになりました。そして、SP、FS、総合のすべてが世界最高得点で、前人未到の合計300点に到達。もはや、アレクセイ・ヤグディン、エフゲニー・プルシェンコといった、フィギュア史上に残る名スケーター、名ジャンパーたちと、肩を並べるクラスの選手になったと言っても、大袈裟ではないでしょう。 以前から指摘してきたように、男子では合計5度の4回転ジャンプを成功させないと勝てない時代がやって来ると、私は考えていました。ですが、それは早くても2018年の平昌(ピョンチャン)五輪あたりでのことだろうと、予想していたのです。私の予想は完全に覆されました。どうやら2シーズン早く新しい時代が訪れたようです。今回の羽生の成功、金博洋の登場によって、フィギュア界の時計の針は、一気に進むことになりました。そして、世界各国のトップ・スケーターたちが「打倒・羽生結弦」を目指すことによって、この流れはさらに加速していくことでしょう。 〈文:佐野稔(フィギュアスケート解説者)〉