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横綱初優勝を果たすも課題残る鶴竜 休場明けの白鵬にも注目 (荒井太郎)

第一人者の横綱白鵬が9年ぶりに休場した先場所は、序盤から突っ走った大関照ノ富士がすんなり優勝かと思われたが、終盤でアクシデントに見舞われ大失速。いったんは圏外に脱落した大関稀勢の里も再び優勝戦線に浮上するなど、賜盃争いは二転三転した結果、最後に笑ったのは横綱鶴竜だった。

綱を張って9場所目にして悲願の横綱初優勝。白鵬、日馬富士の両横綱が休場し、自身初の「一人横綱」となった場所で見事、重責を果たした。

「(今までは)先輩2人に甘えていたかもしれない。初めて全部背負って取り終えて、大事な気持ちをやっと少し分かったかな」と精神的にもひと回り成長したに違いない。

鶴竜の優勝に水を差すつもりはないが、注釈の多い優勝ではあった。2横綱の休場、独走と思われた照ノ富士のケガ、そして14日目の稀勢の里戦での立ち合い変化は多くの非難を浴びた。

ここでその是非を問うつもりはない。ただ、なぜ、稀勢の里戦なのか。立ち合いは絶対に変わらないという美学をこの大関が入門以来、貫いているのも理由の1つだろう。相手からすれば、それだけ変化の成功率も高いと言える。しかし、それだけではなさそうだ。

確かにあの状況で稀勢の里戦は優勝を左右する大きな一番ではあったが、優勝が決定する一番ではなかった。千秋楽本割で照ノ富士の一気の出足に圧倒されたのだから、まさに横綱初優勝という喉から手が出るほど欲していた栄誉のためなら、優勝決定戦の立ち合いで変化しても不思議ではなかった。でも、それはしなかった。

類似する例がいくつか思い出される。平成21年5月場所11日目、全勝の大関日馬富士と1敗で追う平幕の稀勢の里の一番は、「真っ向勝負」を標榜する日馬富士がまさかの変化。とったりであっけなく勝負がついた。その後、日馬富士は横綱白鵬に敗れるも決定戦で“リベンジ”を果たし、初賜盃を手にした。

24年1月場所12日目は、全勝の大関把瑠都が大関稀勢の里戦で左に変わって叩き込み。観客からは異例の“帰れコール”を浴びせられた“エストニアの怪物”だったが、結局は14勝1敗で念願の初優勝を飾った。

当時の日馬富士も把瑠都も優勝が決まる一番で変化はしなかった(把瑠都は13日目、自身が勝った後に白鵬が敗れて優勝決定)。それよりも稀勢の里戦を両者は最大の難関と位置づけていたことが伺える。

同じようなケースが白鵬にもある。終盤戦における1差以内での稀勢の里戦はこれまで3度あるが、そのうち2度が“奇襲攻撃”だ。両者13戦全勝同士で顔が合った25年5月場所14日目、最後は白鵬が掬い投げでねじ伏せるのだが、立ち合いは左に動いて上手を取りにいっている。翌26年5月場所12日目は変化ではないが、立ち合いがなかなか合わず稀勢の里が下ろしていた左手を上げたところで白鵬が突っ込むという“奇策”に出た。

24年7月場所14日目はすでに3敗と圏外の稀勢の里に対し、全勝の白鵬は左に体を開いて叩き込み。日馬富士との楽日全勝決戦に望みをつなげたのだった。

こうしてみると、彼らがいかに稀勢の里を警戒しているのかが垣間見えるのと同時に、改めて稀勢の里の“孤軍奮闘”ぶりが構図として浮かび上がる。だからこそファンは無意識のうちに肩入れしたくなるのであり、すさまじい人気ぶりは「日本人力士だから」という単純な理由だけではないのだ。

ひとまず重圧から解放された鶴竜だが、栃煌山、稀勢の里という苦手力士に対する注文相撲は、精神面の弱さを露呈してしまった。横綱の強さとは土俵上で対峙しただけで、相手を怯ませてしまうのも要素の1つ。横綱が横に飛んだ姿を見て「打倒、鶴竜」の念を強く抱いた力士も少なくないに違いない。変化で苦手力士から勝利を奪ったのはいいが、その代償は決して小さくはないのだ。

賜盃を目の前にして右膝に重傷を負った照ノ富士は気力で優勝決定戦に進出し、辛うじて11月場所の綱取りに望みをつなげた。大ケガにもかかわらず、秋巡業は後半から合流したのは大したものだが、場所前の稽古内容は芳しくない。患部は徐々に回復するだろうが問題は精神面だ。不安を払拭できるかが最大のカギ。横綱を期待されながら、膝のケガで再発の恐怖とも戦いながら大関止まりだった把瑠都の“二の舞”は避けなければならない。これを機に無用な投げは封印し、積極的に前に出る相撲に転換できるかどうか。“ケガの功名”に期待したい。

先場所休場の白鵬は秋巡業後半から復帰。関取衆との稽古は初日1週間前にようやく再開したが「出ます、という強い気持ちを持って臨まないといけない」と11月場所出場に意欲的。試金石となるのは序盤の立ち上がりだ。初日、2日目は栃ノ心、逸ノ城あたりと顔が合いそうだが、白鵬にとっては比較的、組し易い相手。ここを無難に乗り切れば問題ないだろう。

心配なのは2場所連続休場中の日馬富士だ。秋巡業では元気な姿を見せ、表情も明るかったが、相撲勘がどこまで戻っているかは蓋を開けてみないと何とも言えないところ。

初優勝の絶好のチャンスを逃した稀勢の里は取りこぼしを減らすことが急務だが、先場所の隠岐の海戦、鶴竜戦は得意の左四つに組み止めながら、攻め急いで墓穴を掘った。左四つに組んだ体勢で、稀勢の里を一気に寄り切れる力士はまずいない。十分に組み止めたらひと呼吸置くぐらいの冷静さがあれば、白星もさらに上積みされるに違いない。

関脇以下では3場所連続2桁勝利の嘉風が三役に復帰。“ご当所場所”でも勢いは止まりそうもない。関脇を維持する栃煌山、妙義龍も、大関候補に名乗りを挙げるほどの実力は十分だ。

大相撲11月場所は今月8日、福岡国際センターで初日を迎える。

〈文:荒井太郎(相撲ジャーナリスト)〉