NBS創設記念!! 私の好きな「スポーツ映画」(玉木正之)
「スポーツ映画」の定義は難しい。
スポーツ選手が主人公になっていても、スポーツの描かれていない映画が多々ある。野球選手の親子の葛藤、サッカー選手とファンの子供の友情、陸上競技選手の恋……などなど。
映画の基本はドラマであり、スポーツが物語の舞台として効果を発揮するだけで、スポーツの面白さ、素晴らしさといったものが、ドラマの背景に押しやられることも少なくない。
『黄金の七人7×7』は、サッカーのヨーロッパ選手権決勝のTV中継にすべての人々が注目している隙をつき、7人の悪党が造幣局に進入し、本物の紙幣を大量に印刷して奪う、というサスペンス・コメディだ。が、その奇想天外な発想の根底にサッカーというスポーツが存在している。そんなところがスポーツファンには痛快であり、サッカー・ファンは納得するだろう。
また、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の古き大名作『自転車泥棒』は、第二次大戦直後のイタリアを舞台に、やっと手に入れた自転車が盗まれ、それを探しに、サッカー場周辺の駐輪場を歩き回る……というのが、いかにもイタリアらしい。また、サッカーが、いかにイタリア社会と深く結びついてるかを気付かせてくれる。
そういえば、イタリア映画界の巨匠デ・シーカ監督は、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニを起用した名作『ひまわり』(ヘンリー・マンシーニの音楽もイイ!)でも、戦争と恋愛とサッカーを描いた。
ナポリで結婚式を挙げたばかりの男が、第二次大戦で極寒のソビエト(現在のロシア)戦線に送り出される。そして終戦になっても帰ってこない夫。生きているかもしれないという情報を得た妻は、夫を捜しにソビエトの町のサッカー場(!)を訪れる。イタリアのサッカーとは、こーゆーものなのだ。
『夢のアンテナ』は、チベットのラマ教の若い修行僧たちが、なんとかフランスW杯のテレビ中継を見ようとしてパラボラ・アンテナの設置に必死になる映画。その修行僧にあるまじき騒動を知った高僧が、「サッカーとは、どんなスポーツか? 暴力的なのか?」と訊くと、修行僧の指導にあたる僧が、「ときに、そういうことも起こります」と答える。
W杯期間中の何試合かを、テレビで見る許可を得たい若き修行僧たちは、そんな高僧と先輩僧の問答を、ビクビクする思いで聞く。そんななかで、世界中の人々が興奮するW杯サッカーの素晴らしさがひしひしと伝わってくる。
サッカー以外で3つの素晴らしいスポーツ映画を紹介しておこう。
政治と宗教と人種問題に振り回された王者モハメド・アリの半生を描いた『アリ』は、見事なボクシング・シーンの映像によって、スポーツが政治に打ち勝つというメッセージが含まれ、野球映画の名作『フィールド・オブ・ドリームス』も、野球が家族映画の背景に堕すことなく、野球というスポーツこそ、家族と社会を支える文化である、という主張が貫かれている。
そして市川崑監督の大名作『東京オリンピック』は、なぜ人々はスポーツに熱狂するのか? スポーツとはそれほど素晴らしいものなのか? スポーツとはいったい何なのか?という根源的な疑問に対して、一つの解答を与えてくれる。
閉会式のときに、TV中継の実況アナウンサーは絶叫する。「もしも世界平和というものが存在するのなら、それは、このような風景のことを言うのではないでしょうか」
そして市川崑監督は、最後に字幕を出す。「この作られた平和を、このまま終わらせていいのだろうか……」
スポーツがドラマチックなだけに、安易にスポーツを題材にした駄作が多いなかで、これらの作品は(他にもすばらしいスポーツ映画はたくさんあるが)スポーツという素晴らしい人間の営為を見事に描いた映画といえる。
これからも、NOBORDER-SPORTSでは、素晴らしいスポーツ映画を紹介していくつもりです。
(『PLAYBOY』2005年11月号 + NBSオリジナル)