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対照的な相撲哲学を貫いた2人の“レジェンド”が土俵生活に別れ(荒井太郎)

新大関照ノ富士の連覇はあるのか、2場所連続全休明けの横綱鶴竜の復活なるか、見どころの多かった先の名古屋場所も最後は第一人者、白鵬の35回目の優勝で幕を閉じた。

千秋楽の優勝パレードで旗手を務めたのは40歳の幕内力士、旭天鵬。現在のモンゴル勢隆盛の礎を築いた、いわゆる“モンゴル一期生”は23年半の現役生活に別れを告げた。
誰からも愛された角界の“レジェンド”にも、長い土俵人生にピリオドを打つ瞬間が刻一刻と迫っていた。幕内土俵入り前、もう1人の“レジェンド”と握手をして一言二言、会話を交わすのがこの場所の日課となっていた。

「不思議な縁だよね」。

同じ平成4年3月場所で初土俵を踏んだ若の里についてそう話す。同期生で39歳の元関脇もまた、この場所は十両で土俵生活の崖っぷちに立たされていた。現役バリバリの20代のころは会ってもほとんど会話らしい会話を交わさなかった。話す仲になったのは三十路の大台を過ぎてからだという。旭天鵬は言う。
「30代になってからすごく気にするようになった。連絡先も交換して『食事にでも行こうか』ってなった。まだ行ってないけどね。俺は彼から力をもらっているよ。向こうも俺より先に辞めたくないって言っていたしね(笑)」。

千秋楽、旭天鵬は栃ノ心に力なく敗れ、現役最後の相撲を取り終えた。それより約2時間半前には若の里が天鎧鵬に対し、右四つ、左上手を引きつける本来なら十分の体勢ながら、攻め切れずに力尽きた。西十両11枚目で4勝11敗。来場所の幕下への陥落が確実となり「気持ちの整理がつかない」と語るも「幕下で取るつもりはない」と引退を示唆した。

奇しくも同時に土俵を去ろうとしている2人の“レジェンド”だが、その生きざまは見事なまでに対照的だ。幕内の座にこだわった旭天鵬は、目標にしていた幕内通算在位100場所にはあと1場所足りなかった。十両から再チャレンジすれば、おそらく大台達成も可能だったであろうが、本人の中に初めからその選択肢はなかった。

「十両も立派な関取だけど、やっぱり幕内はお客さんの声援が違うし何とも言えない快感がある。モンゴルで中継されるのも幕内だけだから」と幕内を維持できなくなった時点で引退は常々、公言していたことだった。

一方の若の里もかつては大関候補として名を馳せただけに、当初は十両で相撲を取ることに抵抗を感じていた。翻意したのは関取の夢破れ角界を去ったある力士OBに、十両に落ちても取り続けてほしいと懇願されたのがきっかけだった。「十両に落ちたら取らないなんて、夢が叶わなかった人に失礼だなと。入門したときの気持ちを思い出して、十両でも堂々と取るべきじゃないのか」。

以来、体に9回もメスを入れながら、ボロボロになるまで土俵に上がり続けた。対する旭天鵬はケガの少ない力士だった。日々の鍛錬の賜物であると同時に土俵際で無理をしなかったからこそ、“不惑”を超えてもなお幕内でいられたのは間違いない。

引退が決定的な若の里は「気持ちだけなら、あと5年でも10年でもやりたい」と気力は十分だったが、負傷を抱える両膝が思うように動かず体力は限界だった。旭天鵬は「体力的にまだいけるという感じはあったけど、気持ちのダメージが大きかった」と余力はあったものの気力が続かなかった。

人目も憚らず泣き顔になった旭天鵬と、人前では決して涙を流さなかった若の里。不惑の男は千秋楽翌日に正式に引退を表明したが、元大関候補は場所後の夏巡業に参加し、地元青森県に最後の奉公を行う。何から何まで正反対の両ベテランだが、それぞれの相撲哲学を最後まで立派に貫いた。

引退会見で旭天鵬は晴れやかな表情で「今はゆっくりしたいけど、そのうち廻しが恋しくなると思う。後輩に胸を出して一緒に汗を流したい」と語った。親方になっても自らがムードメーカーとなり、現役力士を引っ張っていく姿の想像がつく。
一方、“おしん横綱”と言われた元横綱隆の里の弟子だった若の里は、いるだけで稽古場にピンと張り詰めた緊張感を醸し出す、そんな親方になっていることだろう。

現役中は励まし合い頑張ってきた2人の“レジェンド”は、ともに将来は部屋を持ちたいという夢を持っている。不思議な縁でつながる両者。今後は後進の指導で競い合うことになる。

文:荒井太郎(相撲ジャーナリスト)