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「2000年に日本からの誘いがあった…」ロベルト・バッジョ記者会見(大貫 康雄)

ロベルト・バッジォ(RobertoBaggio)氏はワールド・カップでイタリアを何度も決勝戦まで進出させた功労者、というより世界サッカー界を代表するかつての名選手で、日本でもファンが多い。

そのバッジォ氏が来日し、6月8日(土)、東京での記者会見に同伴した。記者会見には報道関係者だけでなく一般の人たちからの出席希望が多かったが、会場の都合で多くのファンが会見を聴けなかったのが残念だった。

そこで人間味あふれる発言が多かった記者会見で、印象深かった点を掻い摘んでお知らせする。氏のサッカー選手としての活躍と経歴については省略する。

氏は2004年のシーズンの後、いったん現役を引退、10年に現役復帰し、またイタリア・サッカー連盟の技術部長を務めたが、今年1月辞任する。選手育成法を巡る氏とイタリア・サッカー連盟の考え方の違いが理由と言われている。

今度の記者会見で氏は、2000年当時、日本のサッカー界から誘いがあったが、2002年の日韓共催ワールド・カップ大会にイタリア代表として出場したかったので断ったことを明らかにした(残念ながら怪我をしていたため氏の望みはならず、日韓共催大会で氏がプレーする試合は実現しなかった)。

一方で現役時代の2002年10月からFAO(国連食糧機関の親善大使)を務め、飢餓や貧困に苦しむ人たち自立への支援キャンペーンを繰り広げている。

また、ミャンマーの民主化闘争の指導者アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)氏の解放に尽力したことから、2010年11月にはノーベル平和賞受賞者が作る「世界平和賞」を贈られている。さらに原水爆被害者、被爆者団体との交流もしている。

氏は現役時代、素晴らしいプレーだけでなく“きれいな”マナー、試合態度でも知られ、当時の髪型になぞらえ“神聖なポニーテールDivin’ Codino”とも呼ばれた。

1985年、スポーツ選手として致命的と言われる膝の怪我を克服した時以来、仏教徒となったと言われる。記者会見では仏教徒となったことでサッカーに臨む態度に変化が現れたか、との質問があった。それに対し氏は直接には答えず、“残念ながらイタリアでは(選手のマナーが悪くなり)汚いプレーが多くなったといい、自分を尊敬してこそ相手も尊敬でき、きれいなサッカーができる”、などと言っている(氏の現在の活動を知ると、まず自分自身が尊敬できる人間であってこそ、他の人たちも尊敬でき、良き社会人、職業人になれる、ともいうことができる)。

また、氏が一般にサッカーと結びつけて語られているのを意識してか、“人間としての期間の方がサッカー選手としての経歴より少しばかり長い”と言って、(職業・経歴は変わり得る)一人の人間としての生き方の大切さを語っていたのが印象に残る。

そのような氏の人生に対する真摯な姿勢が、また多くの人たちを引き付ける理由であるのかも知れない。

【DNオリジナル】