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「週刊Jリーグ通信」第17節「武藤嘉紀の『4億円移籍』の意味」(大住良之)

 

 Jリーグは6月27日(土)に行われた第17節で「第1ステージ」が終了した。すでに前節で優勝を決めていた浦和レッズがアルビレックス新潟に5-2で快勝し、12勝5分け、勝ち点41で「無敗優勝」となった。前節まで2位につけていたサンフレッチェ広島はアウェーでサガン鳥栖と戦ったが、「後半ロスタイム6分」に同点ゴールを許して2-2の引き分けで3位(勝ち点34)に後退。代わって清水エスパルスを3-2で下したFC東京が勝ち点35で2位となった。

 

 前節アウェーで優勝を決め、ホームに「凱旋」する形となった浦和。埼玉スタジアムには、この節に行われた9試合のなかで最多の4万3606人のサポーターがかけつけた。それに近い観客数を記録したのがF東京。味の素スタジアムは4万1363人のファンで埋まった。FC東京からドイツのマインツに移籍することになった日本代表FW武藤嘉紀の「お別れゲーム」だったからだ。

 

 試合後には武藤のために盛大な「壮行セレモニー」が行われ、武藤は涙を流して「日本代表とドイツでしっかりと結果を出して恩返ししたい」と話した。サポーターは人文字で「14 MUTO」のメッセージを送り、武藤は仲間の選手たちからの胴上げで送り出された。

 

 私はけっして自分を「皮肉屋」とは思わない。しかしこうした「壮行セレモニー」には違和感を抱かずにいられない。武藤やF東京に限らず、いろいろなクラブでいろいろな選手が欧州のクラブに移籍するときにこうした心温かいセレモニーを繰り返してきたが、そのたびにプロフェッショナルらしくないと感じた。

 

 より高いレベルでプレーしたい、より高く自分を評価してくれるチームで勝負をしたいと考えるのは、プロ選手として当然のことだ。だが移籍で選手を失うクラブにとっては損失であり、ファン、サポーターにとっても痛手に違いない。

 

 武藤は今季「第1ステージ」の17試合で10得点を挙げ、F東京を牽引してきた。この清水戦でも、後半15分にパスを受けて突破し、前田の勝ち越し点にアシストしている。「エース」を失うことが「喜び」であるわけがない。

 

 心優しいサポーターが拍手で送り出す程度なら理解できるが、まるで「出征兵士」を万歳三唱で送り出すような「壮行セレモニー」は、プロサッカーにふさわしいとは思えないのだ。

 

 ただ、武藤の場合には、クラブとサポーターには喜ぶ理由がないわけではない。この移籍によって、マインツからF東京に推定300万ユーロ(約4億1400万円)の「補償金」が支払われるからだ。

 

 1990年代の半ばまで、世界中のプロの世界ではクラブに対し選手の「保有権」が認められてきた。選手をひとつの「資産」と考えるもので、いちど契約したらその契約が切れてもクラブには保有権だけは残り、新しく他クラブと契約(=移籍)するならそのクラブに「資産」を売り渡すということで「移籍金」を要求することができたのだ。国際サッカー連盟(FIFA)もこの状況を認めていたから、日本でも日本サッカーリーグ(JSL)からJリーグへの移行期(1992年)にクラブによる保有権を基礎とする移籍金算出基準の制度がつくられた。

 

 しかし1995年にベルギーの1選手が欧州司法裁判所(EUの最高司法機関)に訴えを起こし、勝訴して保有権という考え方を葬り去った。選手は、自由な「労働者」として主体的に「雇用主=クラブ」と契約を結ぶことができ、契約が満了したら自由に他の「雇用者=クラブ」と契約できることになったのだ。「ボスマン判決」という、サッカー史上で最も重要な司法判断である。

 

 いま考えればあまりに当然なこの制度は、間もなくFIFAも認めるところとなり、世界の標準となった。いまは日本もそれにならっている。

 

 現在、移籍先クラブから移籍元のクラブにお金が支払われるのは、契約期間にある選手の移籍により生じるもので、その契約(期間)を新クラブが買い取るという意味で「補償金」と言われている。

 

 ところが、今世紀にはいって日本選手が次々と欧州のクラブに移籍するようになったが、実はこうした「補償金」が支払われたケースは驚くほど少ない。欧州では有望選手とは複数年(あるいは多数年)契約を結ぶのが常識なのだが、日本の選手たちは欧州のクラブでプレーするのを「夢」(プロとしてはおかしな表現だが)ととらえ、その夢を実現するためにJリーグのクラブと単年契約しか結ばず、契約が切れたタイミングでの欧州への移籍を画策してきたためだ。

 

 欧州のクラブにしてみれば「ただ同然」で日本のスター選手を獲得することができ、リスクは非常に低い。しかしJリーグのクラブには何も残らないことになる。

 

 こうした形で、過去10年間に長谷部誠、岡崎慎司、吉田麻也、川島永嗣といった現在の日本代表選手が「補償金ゼロ」で日本を離れた。香川真司も「補償金」はなく、約4000万円の「育成費」がドイツのドルトムントからセレッソ大阪に支払われただけだった。

 

 実は今回の武藤の移籍で生まれた300万ユーロは、2001年の小野伸二が浦和からフェイエノールト(オランダ)に移籍したときの550万(当時のレートで約5億7750万円)ユーロに次ぐJリーグクラブからの「大型移籍」なのだ。

 

 「日本選手はきちんと補償金を払うクラブに移籍するべきだ。そうすれば、相手も大事にしてくれる」。イビチャ・オシム元日本代表監督を始め、日本のサッカーに関わる多くの外国人指導者が指摘してきたことが、武藤でようやく実現したという形だ。これからこの形が普通になれば、「移籍=戦力ダウン」ではなく、Jリーグの活性化にも貢献することになる。

 

 2001年、小野の移籍で得た資金を、浦和はエメルソン(当時J2の川崎フロンターレに所属)に投入した。その資金は、芋づる式に他クラブの移籍にも使われた。

 

 「壮行セレモニー」はどうかと思う。しかしF東京には、武藤の移籍を喜ぶ理由があった。間違いなく、F東京はこの資金で武藤に匹敵するストライカーを獲得しようとするだろう。第2ステージに向けての「補強戦線」は、F東京が軸になりそうだ。

 

〈文:大住良之(サッカージャーナリスト)、写真:Jリーグ公式サイトより〉