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「週刊Jリーグ通信」第16節「夢見る人 ミハイロ・ペトロヴィッチ」(大住良之)

 Jリーグ「第1ステージ」第16節、「何が何でもきょう優勝を決めよう」と浦和レッズの選手たちが決意し、90分間集中を切らさずに戦ってMF宇賀神友弥の退場で10人になっても1-1の引き分けに持ち込むことができた背景には、監督ミハイロ・ペトロヴィッチに対する選手たちの特別な思いがあったからだ。

 

 1957年10月18日生まれ、57歳のペトロヴィッチは、2006年6月にサンフレッチェ広島の監督に就任、2012年から浦和を率いているが、あとわずかなところまで迫りながら「タイトル」がなく、「シルバー・コレクター」と揶揄されることも多かった。

 

 私は、広島時代の2008年にJ2で優勝したのは立派な「タイトル」だと思うのだが、日本ではJ1以外は「タイトル」と認められないようだ。

 

 昨年、ずっと首位を走り、2位以下に大きく差をつけて終盤を迎えながら最後の3試合で1分け2敗という信じがたい結果でガンバ大阪に優勝をさらわれたときには、「シルバー・コレクター」の印象が決定的になった。「この監督では永遠に優勝はできない」と言う人までいた。

 

 しかし今季、浦和は見違えるように強くなった。昨年の悔しさを忘れず、どんな試合も集中して90分間戦い抜いたからだ。そして「第1ステージ優勝」が近づくと、「ミシャ(ペトロヴィッチの愛称)のためにも」という強い思いがチームを牽引した。

 

 ペトロヴィッチは何よりも攻撃的なサッカーの信奉者だが、その人柄も大きな魅力だ。どんな人も包み込んでしまうような笑顔、いろいろな人への心遣いは、広く知られている。

 

 浦和の監督になって2シーズン目の2013年1月、トレーニング開始の日に、ペトロヴィッチは選手たちにこんな話をした。

 

 「私たちにとって必要な存在は、グリーンキーパー(練習グラウンドの芝生管理の人)の2人だ。毎日、私たちの仕事場を整備してくれる彼らは、私たちが成功するための重要なピースだ。クラブハウスを掃除してくれるおばさんたち、チームの雑務を引き受けてくれるマネジャーチーム、メディカルルーム、クラブでさまざまな仕事をしているスタッフ、そして何よりも心から私たちを応援してくれるサポーター。そのすべてが、私たちが成功するために不可欠な存在であることを忘れてはならない」

 

 スター揃いのプロチームに、周囲で支えてくれる人びとへの感謝を忘れないようにという言葉で、ペトロヴィッチはシーズンをスタートした。そこに彼の人間性の深さが表れている。

 

 ペトロヴィッチは旧ユーゴスラビアのロズニツァという小さな町で生まれ、父母、そして姉の愛を受けて育った。当時のユーゴスラビアは、セルビアもボスニアもクロアチアもなかった。しかし彼がオーストリアでプレーするために祖国を離れた後にユーゴスラビアは分裂、ロズニツァのすぐ西を流れるドリナ川にボスニア・ヘルツェゴビナとの国境線が引かれ、ロズニツァ(セルビア)と隣町は「外国」同士になってしまった。

 

 「私がそこで生活していた当時はみんな仲良く、お互いに親切にし、助け合って暮らしていた。『あなたはどこの出身?』などとは、誰も聞かなかった。良い人もいれば悪い人もいる、どこの国にもある町だった。しかしいまでは、旧ユーゴの人と会うと、まず『どこの出身?』という話になる。そして『セルビア? 悪い人だね』などと、互いを悪く言い合う。悲しいことだ」(ペトロヴィッチ)

 

 旧ユーゴスラビア出身のサッカー選手として、辛い思いを味わい、苦労も重ねてきた。しかし家族から受けた愛が彼を周囲の人びとへの愛情にあふれた人にした。

 

 その愛情を最も強く感じているのは、もちろん彼の下でプレーする選手たちに違いない。いまの浦和には、かつて広島でプレーした選手が何人もいるが、ほぼ例外なく「ミシャとサッカーがしたい」という理由で浦和と契約した選手たちだ。

 だが、人柄だけできびしいプロの世界を生き抜くことはできない。ペトロヴィッチはプロのサッカーを「人びとを幸福にする仕事」ととらえ、そのためには見るたびにわくわくさせる攻撃的なサッカーをする必要があるという信念をもっている。

 

 同時に彼は、「チームプレー」の信者でもある。

 

 「私たちはチームで戦う。メッシが10人いても試合には勝てない。サッカーはいろいろな特長をもった選手を組み合わせなければならない。チームで戦うことによって多くのものが得られる」(ペトロヴィッチ)

 

 攻撃的なチームプレーのサッカーで勝つことこそ、彼の「夢」だ。

 

 そのために考え出したのが広島時代から実践している全員攻撃全員守備の「3-4-2-1」システムだ。ワンタッチ、ツータッチのショートパスをベースとして、ポジションにこだわらずに攻め上がり、ボールを失ったらただちに取り戻しに動く―。

 

 2012年から昨年までの3シーズン、ペトロヴィッチの浦和はタイトルこそ取れなかったが、昨年に限らず、実際にはずっとそれに近いところにいた。2012から14年までの3シーズンの勝ち点合計を比較すると、1位は12年、13年と連続優勝を飾った広島の177。ペトロヴィッチの浦和は、ほぼ同じ通算175勝ち点を獲得しているのだ(3位横浜F・マリノスは166勝ち点)。

 

 着任して4シーズン目、ペトロヴィッチのサッカーは完全に定着し、今季はプロ2年目の若いMF関根貴大(20歳)が大成長し、仙台から加入したMF武藤雄樹(26歳)が大ブレークして攻撃がいちだんとスピードアップした。

 

 だが16戦して11勝5分け、無敗で「第1ステージ優勝」を決めたとしても、ペトロヴィッチは満足していないし、「夢」への歩みを止めるつもりもない。

 

 優勝を決めた6月20日のヴィッセル神戸戦後の記者会見で、こんなことを話している。

 

 「チームは第1節からきょうまで、常に自分たちが次の戦いでより良い試合をしたいということを話し合ってきた。勝った試合にも必ず反省材料があり、その課題を克服して次の試合に臨んできた。その積み重ねを、これからも続けていくだけだ」

 

〈文:大住良之(サッカージャーナリスト)、写真:Jリーグ公式サイトより〉