2020年東京五輪に当初、賛成ではあったが…(玉木正之)
2020年東京五輪は、震災復興五輪として被災地と手を結べるか?
下に紹介する原稿は、昨年(2011年)12月17日付毎日新聞スポーツ面のコラム『時評・点描』に書いたものです。
中味は、2011年11月に、東日本大震災の被災地(石巻市)で開催された「武道フェスティバル」のことで、そのイベントは東京都の援助を得て、2020年東京五輪招致と連動する形で催されました。
今秋も、同様の「第2回武道フェスティバル」が開かれる予定で、小生は、そのイベントには喜んで全面的に協力するつもりですが、2020年の東京オリンピック招致には、少々懐疑的になっています。その理由は、あとで述べることにして、まず、五輪招致に全面的に賛成だったときの原稿をお読みください。
被災地に聖火を!
先月(2011年11月)27日、宮城県石巻市で開催された「2011武道フェスティバル石巻」というイベントに参加した。
東日本大震災で甚大な被害を被った石巻だが、被災直後に略奪や暴動等の事件もほとんど起こらず、被災者は協力し合って整然と苦難の時を乗り越えた。
それは長く培われた日本人の精神、礼節を重んじる「武道の精神」にも通じることから石巻市は「武道の町・石巻」を宣言し、今後は子供たちへの武道教育を通して復興を目指す、というのだ。
そのイベントに招かれた小生は、「武士道とは何か? 武道をこれからの社会にどのように役立てるか?」というテーマで講演させてもらった。そのうえ、柔道、剣道、空手、テコンドーのトップ選手たちも招かれ、子供たちへの実技指導や模範演技も行われた。
このような活動を繰り返し継続するなかで、2020年の東京オリンピック招致に協力し、それが実現したときには、正式種目の柔道やテコンドーは無理としても、剣道、弓道、空手、合気道……等々の武道の試合を、「東京復興五輪」のエキジビジョンとして石巻で開催する、というのが目標だ。
東京が16年の五輪招致でリオデジャネイロに敗れたのは、地元住民(都民)の支持率が、全立候補都市中最低だったことが最大の原因ともいわれている。今回も「復興五輪」をテーマに掲げながら「その実体は?」「本当に復興と関係あるの?」と首を傾げる人も少なくない。
しかし、石巻を初めとする被災地の人口流出は続き、特に子供の流出が大問題と聞いた。それを食い止める……という以上に、石巻などの被災地を子供たちの元気な声であふれさせるには「武道の力」「スポーツの力」がけっして小さくないはずだ。
そして「武道の町・石巻」の活動が継続し、東京復興五輪が開催され、聖火が東北の被災地各地に輝けば、どんなに素晴らしいことだろう! それでも東京都民の皆さん! 五輪招致に反対ですか?
昨年11月には、以上のような原稿を書いた小生ですが、現在(2012年7月)は、石巻市の「武道フェスティバル」には喜んで全面的に協力しても、東京五輪招致には(まだ賛成の立場ではありますが)少々懐疑的な気持ちになっています。
それは、オリンピックの招致がトップ・アスリートとそれを支える人々の「利益」にはつながっても、日本のスポーツ界全体の「改革」につながる将来像がなかなか見えてこないからです。そして、事故後の福島原発のまだまだ不安定な現状や、首都圏直下型その他の巨大地震の危険性が叫ばれる昨今のことを考えると、素直に招致賛成の声をあげることが躊躇われます。
前回1964年の東京五輪は、終戦(1945年)から19年後の「戦後復興オリンピック」でした。2020年は、東日本大震災からわずか9年後です。少々早すぎるか……とも思えるのですが、東京と五輪招致を争うマドリッド(スペイン)は財政危機とユーロ危機、イスタンブール(トルコ)はシリアとの紛争…等で、東京が招致に成功する可能性も決して低くはないのです。
ならば……開催できる可能性があるのだから招致活動に力を入れたほうがいいのか、今の日本はそれどころではなく、まず東北の復興と原発の処理に全力を尽くしてメドを付け、「夢」は将来に託したほうがいいのか……。
青森、岩手、福島の被災3県の知事は、東京五輪招致に賛成の立場を表明し、招致委員会の評議員も務めてますが、大切なことは、東京五輪招致運動を、アタマから招致賛成のスポーツ関係者だけにまかせるのでなく、開催は可能なのか、不可能なのか、招致したほうがいいのか、止めたほうがいいのか……、その「賛成・反対」双方の意見を、真摯にぶつけ合うことではないでしょうか。
そうして「招致賛成論」が「反対論」よりリーズナブルで、素晴らしいとなれば、招致運動にも、よりいっそうの弾みがつくはずですから。
開催地決定は、来年9月7日、ブエノスアイレス(アルゼンチン)でのIOC総会です。
尚、石巻市での小生の講演『武士道とは何か』の中味は(一言でいってしまうなら)……過去に「武士道」は、「物部vs蘇我の闘い」や「坂上田村麻呂の東北遠征」以来、「源平の戦い」「戦国時代の戦い」「徳川時代の平和な時代のなかでの武士」…そして明治の「過去を振り返った武士道」……と、それぞれの時代々々で様々な「もののふ」「侍」「武士」「武士道(武道)」(に対する考え方)が存在した。
だから「武道の町・石巻」は、震災後の「復興五輪」で、「武道」に対する新たな素晴らしい考え方・捉え方を提唱してほしい……というものでした。