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「ハリル・ジャパンのきわどさ」(大住良之)

 ワールドカップ2018ロシア大会のアジア第2次予選開幕を目前に控える日本代表はイラクを招いて国際親善試合を行い、4-0で快勝した。

 

 最初の20分間にスピードに乗った動きで相手を圧倒して2得点。以後はペースを落としたが、守備ではCBの吉田麻也と槙野智章が安定したプレーを見せ、相手のシュートを3本、しかもゴールの枠内に飛んだものは0と、問題はなかった。

 

 イラクは前半20分以後のプレーでしっかりとボールをキープし、一対一では日本の選手も奪うのに苦労した。コンディション面で問題はあったかもしれないが、個々の技術は高く、フィジカルも強く、けっして弱いチームではなかった。これまでなら、1点を奪うのに苦労したかもしれない。

 

 しかし気がかりなポイントがふたつあった。ひとつは前半20分までのリズムを、残りの時間ではまったく出すことができなかったこと。そしてもうひとつは、「個人的アピール」に走る選手が何人もいて、チームのリズムを崩していたことだ。ここではとくに、ふたつ目のポイントについて考えたい。

 

 サッカーにはたくさんの要素があるが、私は「チームの勝利がすべて」という考えをもっている。選手の評価基準は、「チームの勝利のために最大限の努力をしたか、貢献したか」であり、個人としていかにすごいプレーを見せても、それがチームの勝利のためのものでなければ評価はしない。

 

 一方で、チームのレベルを上げるには個々の選手のレベルが高くなくてはならない。だから代表チームでは、まず代表にはいるために、選ぶ人(代表監督)に個人としての力を見てもらう必要がある。

 

 だからだろうか、メディアはJリーグを「アピールの場」のようにしか扱わない。「御前試合で得点」などの記事が出るのはそのためだろう。

 

 しかし現代サッカーを理解する優秀な監督であれば、どんなに高い能力をもっていても、それだけで選ぶことはない。その能力をチームの強化に役立てられるかどうか、すなわち代表チームでその能力をチームの勝利のために役立てられるかを見る。

 

 Jリーグにも、徹底してチームのために90分間プレーし、汗を流す選手がいる。その一方で、自分のためのプレーが多い選手も少なくない。Jリーグの監督は自由に選手を選ぶことができない(契約下の選手しか使うことができない)から、11人のなかにそうした考えあるいは傾向の選手が1人、2人いても、たいていは目をつむる。そうした選手の独善的なプレーが、結果としてチームを救うことがあれば、なおさらだ。一部には、そうした選手に頼って試合をしようとする監督さえいる。

 

 日本代表監督バヒド・ハリルホジッチは、現代サッカーの完全な理解者であり、すべての選手やすべての準備がチームの勝利のために存在することを確信している。しかしその一方で、彼が考えるサッカーには、個々の選手の積極的なチャレンジが不可欠であり、とくに昨年のワールドカップ以来自信喪失ぎみの現在の日本代表には、多少無理でも自分自身で突破してやろうという意欲を引き出す必要があると考えている。

 

 たとえばドリブルでゴールに向かったとき横にフリーの味方がいたら、より得点に結びつく可能性が高い味方へのパスが「チームのためのプレー」なのだが、現時点のハリルホジッチは、そこで自分でチャレンジし、シュートを打とうというプレーを禁じてはいない。

 

 イビチャ・オシム(日本代表監督2006~2007)は、そのようなプレーを見ると烈火のように怒った。しかしハリルホジッチは、試合の序盤にFW宇佐美貴史らが使うべき味方がいるのに無理な距離からシュートを打っても何も言わなかった。

 

 この試合で最も美しかったのは、前半32分の3点目だった。この時間帯の日本はペースが落ちていたが、相手のロングパスをMF長谷部誠がはね返し、中盤でMF柴崎岳、FW本田圭佑、MF香川真司らが素早くパスを回して左からはいってきた宇佐美にパスが出た。宇佐美は相手DFに囲まれている状況だったが完璧なボールコントロールからドリブルに移り、一挙にスピードを上げた。そして相手の守備陣が4人それに引きつけられた瞬間、左の岡崎にパスを出した。

 

 ドリブルのステップのまま出したパスこそ、宇佐美の天才を最大限表現したものだった。そして岡崎も、意図的にボールを左に流しておいて相手GKを左に動かし、その動きの逆をついてゴール右にシュートを放った。GKは手に当てたが、防ぐことはできなかった。

 

 宇佐美のドリブルはコースもボールタッチも完璧で、そこでDFを抜ききって自らシュートを打とうとトライしても何の不思議もなかった。しかし相手が完全に自分ひとりに引きつけられたときに岡崎へのパスを出したのは、宇佐美の「チームプレーヤー」としてのインテリジェンスの表れだった。

 

 こうしたプレーが至るところで出るようになれば、日本代表は強くなる。どんなチームを相手にしても勝つ可能性のあるサッカーをすることができる。

 

 しかしこのイラク戦では、多くの選手がチームのためにではなく自分のためにプレーしていた。とくに後半の途中から出場した攻撃陣には、その傾向が強く見られた。意欲的であることは評価できるが、チームにとってのベストの選択としての意欲でなければ、逆にチームの足を引っぱるだけだ。

 

 意欲的なチャレンジは、ハリルホジッチ監督の考えるサッカーに必要不可欠なものだ。しかしそれを容認するあまり、「チーム」を忘れるようではあやうい。

 

 とくにワールドカップ予選に突入したら、ピッチ上の11人だけでなくベンチにいる選手たちも、チームの勝利だけに集中しなければならない。誰がゴールを挙げようと、誰がプレーの機会がなかろうと、一切関係ない。勝ち点3はチーム全体のものであり、それだけが日本を「ロシア」に連れていってくれる唯一の切符だ。このイラク戦の個人主義的な「アピール合戦」から、急な切り替えができるのだろうか。

 

 攻撃のテンポが上がり、得点力が高くなった日本代表。しかしその半面で、一抹の「あやうさ」を感じずにはいられない。

 

〈文:大住良之(サッカージャーナリスト)、写真:日本サッカー協会ホームページより〉