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「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(516) パラ陸上・全盲のランナー唐澤剣也、パリで実感した3年間の進化と課題

前号に続いて今号も、パリパラリンピックで金メダルは逃したものの大健闘といえる活躍をした選手をご紹介します。全盲のランナー、唐澤剣也選手(SUBARU)です。2021年の東京パラリンピックにつづく2回目の出場で、パリ大会では陸上競技T11(視覚障害)男子5000メートルで銀、1500メートルでは4位に入りました。

実は、この種目と順位は東京大会と全く同じです。しかし、その内容については、初出場だった東京大会はライバルの状況もよく分からない中で臨み、「勢いで取った2位、4位」。パリ大会は、「勝負にこだわってラストを勝ち切ることを意識して練習から取り組んで」きた結果の順位。「東京では最後にけっこう離されましたが、今回はちょっと詰められた。自分自身もレベルアップし、金メダルにも近づいてきているのかなと思う」と唐澤選手本人が充実の表情で語るほど、手応え十分のものだったのです。

パリパラリンピックの陸上競技T11(視覚障害)男子5000メートルで銀メダルを獲得した唐澤剣也選手(中央)と前半担当の清水琢馬ガイド(左)と後半担当の小林光二ガイド (撮影:吉村もと)

■5000メートルで14分台に突入。進化する世界のなかで

まず、同5000メートルは陸上競技としては初日となった8月30日午前に一発決勝で行われました。東京大会のメダリスト3人も含まれた9選手が出場。T11は全盲のクラスで、全選手がガイドランナー(伴走者)とともに走ります。

スタートからブラジルのジュリオセザール・アグリピノ・ドス・サントス選手が飛び出し、レースはハイペースで展開します。唐澤選手は後方から落ち着いてレースを進め、徐々に順位を上げます。また、最後方に控えていた東京大会覇者のブラジル、イェルツィン・ジャッキス選手も連覇を狙ってジワジワと上がってきます。

唐澤選手は前半3000メートルまで清水琢馬ガイドとメダル圏内で走り、後半は小林光二ガイドとラストスパートをかけるプランで臨み、ほぼ狙い通りのレースを展開。

清水ガイド(左から3人目)と走り、5000メートルの前半、好位置でレースを進める唐澤選手 (撮影:吉村もと)

ラスト1周でペースはぐんと上がり、サントス選手が1位を守ったままフィニッシュ。タイムは14分48秒85の世界新記録でした。そして、2秒63差の14分51秒48で唐澤選手が2位、さらに1秒13差でジャッキス選手が3位に入りました。なんと、上位3人とも、ジャッキス選手が今年5月に樹立したばかりの世界記録(14分53秒97)を上回る“世界新”をマークするという超ハイレベルのレースとなりました。

唐澤選手は中盤で仕掛けたものの先頭には出られずでしたが、ラストでかなり追い上げて2位を死守。アジア新記録での、2大会連続の銀メダル獲得でした。

「世界記録を更新すれば、金メダルも見えてくると思っていた。そのタイム目標は達成したが、金メダルには届かず、世界がその上をいきました。“チーム唐澤”としては金メダルを目標にしていたので、2位という結果は悔しいですが、全力を出し切り、自己ベストを更新しての2位なので、そこは悔いのないレースができてよかったです」

金メダルのサントス選手については、「最初からずっと先頭で押し切っての金メダルなので、本当に実力がある、強いなっていうのが正直な思い」と称えましたが、自身も自己ベストを4秒近く更新。「世界記録近辺でレースを進められたのは自信になりました。ブラジルの選手二人はレベルが高く、お互いに高めあいながら、競技に取り組めている。自分もまだ上を狙えると思っています」

■スピード強化にも手応え

3日後の9月2日に行われた1500メートル予選にも出場し、唐沢選手は今季ベストとなる4分6秒をマークし、全体3位で決勝に進出。翌3日の決勝ではラストの猛追及ばず、3位と0秒37差の4位でしたが、4分4秒40でアジア記録(4分5秒27)を塗り替えました。ちなみに金メダルは3分55秒82で世界記録を塗り替えたジャッキス選手で、大会2連覇の快走でした。

唐澤選手はハイペースになることを覚悟し、序盤は後方で自分のペースを落ち着いて刻み、ラスト勝負に持ち込むプランを立てて臨みました。スタートから狙い通りの走りを見せました。

5000メートルにつづいて、1500メートルも4位と東京大会と全く同じ結果にも、「今回は2種目ともにアジアレコードで、自己ベストを更新しての2位、4位。これは価値のある結果。今までの取り組みが間違いではなかったと証明できたのかなと思う」と達成感をうかがわせ、さらに「やっぱりガイドしてくださった2人、小林さんや清水くんのおかげでもある」と感謝しました。

唐澤選手は東京大会後、さらなる進化を目指すため練習環境を変えようと地元群馬の企業、SUBARUの門をたたき、陸上競技部に所属。この3年間、競技に専念できる環境をつくりだし、強化に取り組んできました。また、全盲の唐澤選手は一人では走れません。SUBARUコーチの小林さんにガイドとコーチを依頼するとともに、群馬県内を拠点とする多くの市民ランナーの協力を得て、「チーム唐澤」として強化に努めてきました。

「サポートしてくださった方々に感謝しています。メダルを1つでも持ち帰れて、ひとつ恩返しができてよかったと感じています」

5000メートル後半で、前を追う唐澤選手(右)と小林ガイド (撮影:吉村もと)

■速くなるとともに、募る悩みも

とはいえ、少しだけ悔いもあると明かした唐澤選手。「ガイドランナーの方にメダルをかけてあげられなかったのは、ちょっと心残りです」

パラリンピックの視覚障害クラスでは1名だけ登録したガイドとともに選手が完走した場合にのみ、ガイドにもメダルが授与される決まりになっています。唐澤選手は5000メートルで銀メダルを獲得しましたが、2名のガイドが途中で交代しての完走だったため、ガイドにメダルは授与されず、1500メートルは惜しくもメダルには手が届きませんでした。

今回の好結果の要因を聞かれ、「ガイド2名との充実した練習環境」を挙げた唐澤選手。この3年間、SUBARU陸上部員として小林ガイドとの絆を強め、さらにもう一人の清水ガイドは市民ランナーですが、今年4月から仕事を休職してガイドに専念してくれたそうです。それだけに、ガイド2人への感謝の想いは強いのです。

ただし、パリ大会後は、「ガイド探し」という大きな課題もあると言います。清水ガイドも仕事に復帰するため、これまでとは異なる関わり方になるでしょう。また、伸び盛りの唐澤選手や、5000メートルで14分台に入った世界の進化も踏まえ、現在、35歳の小林ガイドはこう話します。

「ここまで来るともうガイドの質の問題にも関わってきて、(選手が)強くなる嬉しさと悩みがあります。その辺りがこの(視覚障害クラスの)競技の難しいところかなと思う。我々の活動が世の中に広まり、興味を持った方に広がって、(ガイドの)競技人口も増えていくことを願ってます」

次のロサンゼルス大会に向けて、ともに世界を目指すガイド探しの課題とも向き合いながら、「スピードを強化し、持ち味のスピード持久力にも磨きをかけて、世界記録、そして金メダルに挑みたい」と話す唐澤選手。これからも注目していきたいと思います。

(文: 星野恭子)