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「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(515) 鈴木朋樹選手、車いす男子マラソンで銅メダル。日本勢16年ぶりの快挙!

盛況のうちに閉幕したパリパラリンピック。日本選手団は東京2020大会を上回る14個の金メダルを含む、計41個のメダルを獲得し、健闘しました。今号と次号では金メダルは逃したものの、大健闘といえる活躍をした選手に注目します。今号は車いすマラソンの鈴木朋樹選手(トヨタ自動車)です。

大会最終日の9月8日に行われた陸上競技のマラソン車いすの部男子で、鈴木選手は1時間31分23秒で3位に入り、銅メダルを獲得しました。この種目での日本選手のメダル獲得は、2008年北京大会で笹原廣喜選手が銀メダルを獲得して以来、16年ぶりの快挙でした。

レースには13選手が出場。鈴木選手はスタートから積極的に飛ばし、常に3位以内でレースを進めます。3キロメートル手前で中国の金華選手に追いつくと、激しいデッドヒートを展開します。40キロメートルでは2位でしたが、その後、かわされ、惜しくも4秒差の3位でフィニッシュしました。なお、1位は1時間27分39秒をマークしたスイスのマルセル・フグ選手で、大会3連覇を果たしています。

苦しい3年間を経て、銅メダルをつかんだ鈴木朋樹選手(右)。中央のマルセル・フグ選手(スイス)とはフィニッシュ後、「クレイジーすぎるコースだったね」と笑い合ったという。左は2位に入った中国の金華選手 (撮影:吉村もと)

鈴木選手は初出場だった東京大会では障害の異なる男女4選手でつなぐ4x100mユニバーサルリレーにもアンカーで出場し、4位でフィニッシュしたものの、2位で入った中国の失格・繰り上げにより銅メダルとなり、2大会連続のメダル獲得でした。しかし、マラソンで7位、1500mでは9位で、個人種目としては初めてのメダル獲得となりました。

レース後、鈴木選手は目指していたメダル獲得に、「嬉しい。ただそれだけです」と、静かに喜びをかみしめ、表彰式後は、「なかなかうまくいかない日々がつづき、今日、メダルを獲れたので、余計に重く感じます」と笑顔を見せました。

スタートからの積極的な飛び出しはプラン通りだったといいます。優勝したフグ選手のスピードについていったことで、「体力はけっこう削ってしまいました。でも、ここでこの波に乗っていかないと、絶対自分のメダルは見えてこない。ここで出し惜しみをしてる場合ではなく、とにかく出し切ろう」と攻めた結果、目論見通り、ほぼメダル圏内でレースを進めることができました。

コースは、「過去最高難度」とささやかれるほどで、細かな起伏や曲がり角、狭い走路、延々とつづく石畳などに苦しめられ、鈴木選手も「タフすぎた」と話し、途中で気持ちが切れそうになるところもあったといいます。それでも、「日本語でずっと『逃げない』とか『諦めない』っていう言葉を口に出して走りました」。

銀メダルも見えていただけに悔しさもにじませつつ、「最後はもう、出し切って終わろう。それだけを考えていました。ゴールした瞬間は、今まで協力してくれた人たちのいろいろな顔が浮かびました」と振り返りました。

「いろいろな顔」とは、「諦めないこと」を教えてくれたという両親をはじめ、コーチ陣や所属会社(トヨタ自動車)、競技用車いすメーカーなどの人々だったそうです。

個人ではメダルなしに終わった東京大会後、今大会に向けて約3年間、強化を進めてきましたが、「その場で立ち止まってる時期が多かった」と明かした鈴木選手。昨年7月の世界選手権(パリ)では、800mで全体10位、1500mでも同14位で予選落ちを喫す残念な結果に。「何かを変えないとダメだ」と考えた鈴木選手は同9月から、高野大樹コーチに師事し、トレーニングを見直します。

高野コーチとはオリンピアンの福島千里さんや山縣亮太選手なども指導するプロコーチで、日本パラ陸上競技連盟の立位・短距離やリレーのコーチも長く担っています。車いすの指導経験はほとんどありませんでしたが、鈴木選手は「車いすマラソンはスプリント能力も重要な要素」と考え、高野コーチに依頼し、「ゼロからやってきた」と言います。

「自分の体の動きを改めて再確認し、走りにつなげる道筋を作ってもらった」り、レジスタントトレーニングのような健常のスプリンターたちが行う強化メニューを車いす用にアレンジしたりしながら、「探り探り、淡々と積み上げてきた」そうです。おかげで、「パワーも上がっているし、短時間でトップスピードに上げられるようになった」と言い、その成果が「スタートからフグ選手のスピードに乗れたこと」と手応えを語りました。

また、体の一部ともいえる競技用車いす、レーサーの開発にも所属するトヨタ自動車の開発チームやメーカーなど多くの人が関わりました。その多くは、「自動車を作ったことはあっても、車いすの経験はない。それでも、『鈴木朋樹を応援しよう』という気持ちで、ここまでやってくれました」と言い、信頼できるマシンが出来上がったのだそうです。

「そういう皆さんがいたからこそ、メダルを取らないと帰れないぐらいの気持ちでした」と話した鈴木選手。そのメダルを16年ぶりに手にし、日本の車いすランナーとして、「やっと第一人者だなと思えるようになったかな」と笑顔を見せました。4年後のロス大会に向けては、もっと上のメダルを目指したいし、日本の男子車いすクラスをもっともっと上に上げていきたい」と意気ごみました。今後のさらなる活躍に期待です。

なお、鈴木選手は、10月20日(日)に東京都内で開催される東京レガシーハーフマラソンに招待選手として出場予定です。パラリンピック銅メダリストの走りを間近で体感するチャンスです。ぜひ、応援ください。

(文:星野恭子)