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荒井太郎のどすこい土俵批評(18)平成27年夏場所総括/大関はほんの通過点の照ノ富士の幸福な環境

 

「もう無理やな。上がれないな」

 先の夏場所11日目、白鵬に屈し3敗目を喫した照ノ富士は、そうぼやくとため息をついた。「白鵬を倒して13勝以上なら」とも言われていた場所後の大関取りも、この日でほぼ絶望。しかし、その3日後、2敗で単独トップだった白鵬が稀勢の里に敗れるとムードは一変。風雲急を告げた。14日目を終わり、白鵬と照ノ富士が3敗でトップに並び、この時点で流れはモンゴル出身の23歳に大きく傾いた。

 

千秋楽、照ノ富士は碧山を難なく押し出すと、結びの横綱同士の一番は日馬富士が白鵬から意地の勝利。この瞬間に照ノ富士の初優勝が決まった。

「夢みたいです。涙が出そうになった」

一度は諦めた場所後の大関昇進も事実上、決定した。

 

「今後も心技体の充実に努め、さらに上を目指して精進致します」

 千秋楽から3日後の5月27日、大関昇進伝達式で「新大関」は小さな声ではあったが、よどみなく口上を述べた。「さらに上を目指し」と大関昇進時の口上で「綱取り」に言及するのは極めて異例のことだが、北の湖や千代の富士、朝青龍がそうであったように、この男にとっても大関はほんの通過点に過ぎないであろう。

 

 モンゴルから鳥取城北高へ相撲留学のため、来日したのが5年前。18歳のときだった。高校を1年で中退し、平成23年5月技量審査場所で初土俵を踏む。誰が見ても「末は横綱間違いなし」というほどの素材だったが、所要14場所で関取に昇進するまで各段優勝の経験はなし。幕下時代、所属していた間垣部屋が閉鎖となり、現在の伊勢ケ浜部屋に移籍した途端にくすぶっていた男の素質も開花。2場所連続6勝1敗の好成績で、新十両の切符を手にしたのだった。

 

 弱小だった間垣部屋から、稽古相手が豊富な伊勢ケ濱部屋に移籍したことが大きな転機になったのは間違いないが、現師匠の伊勢ケ濱親方(元横綱旭富士)は「相撲が全然、なってなかった。基本をきちんとやれば関取になれる。関取になってからは上を目指してくれると思った」と当時の照ノ富士の印象を語る。

 

 周囲からはいずれ大成すると思われていた逸材も、師匠の見る目は厳しかった。新十両優勝を果たすなど十両は3場所で通過するも入幕後は目立った活躍は果たせず、その間に同じ飛行機で来日した2歳下の逸ノ城が大ブレーク。大関昇進は後輩に先を越されるかと思われたが、今や立場は完全に逆転した。同じ超逸材でありながら両者の差がこれだけ開いたのは、稽古量の差というのが周囲の一致した見方だ。

 

 部屋に稽古相手がいない逸ノ城に対し、照ノ富士が所属する伊勢ケ濱部屋には横綱日馬富士を筆頭に5人もの幕内力士を擁し、それぞれが違ったタイプという、稽古環境に恵まれているのが最大の強みだ。自分の稽古の傍ら、常に稽古土俵に目を光らせる日馬富士やベテラン業師・安美錦が廻しの切り方や技を仕掛けるタイミングなど、その場で具体的なアドバイスを送るのはこの部屋ではおなじみの光景だ。

 

「1人でここまで来たわけじゃない。自分が大関になれたのは兄弟子たちのおかげ」という新大関の言葉には実感がこもる。

 

 伊勢ケ浜部屋は来週半ばから大坂堺市で長期合宿を張り、そのまま名古屋入りする。

「(合宿では)1回ぐらい泣かそうと思う」

 伝達式直後の会見で伊勢ケ濱親方は独特の飄々とした口ぶりでそう語ると、隣に並ぶ照ノ富士の表情は見る見るうちに強張った。角界では大関ともなると稽古は本人の自主性に任せることも少なくないが「指導?もっと厳しくなるでしょうね」と師匠は手綱を緩める気は毛頭ない。横綱昇進は時間の問題とも言われる弟子だが、元横綱(伊勢ヶ浜親方=旭富士)から見れば物足りない部分が目について仕方がないのだろう。

 

「まだ覚えなければいけないことがたくさんある。先が楽しみだし、教えてあげたい」

 そういう伊勢ケ浜親方は大関時代の昭和63年秋場所から5場所連続準優勝。そのうち2回は14勝と13勝の優勝同点だったにもかかわらず、横綱昇進の諮問は一度もされなかった。当時は優勝なしで横綱に昇進した双羽黒がトラブルを起こし廃業した直後。タイミングが悪すぎたとは言え、世間からは不当な見送りと見られていた。しかし、本人の考えは別次元のところにあった。

 

「自分の中では何かが足りないと思っていた。四股を500回踏んで上がれなかったら600回踏もうとかね。千回になったときは『嘘だろ』と思いながら踏んでいたけど、気持ちが腐ることは一度もなかった」

 

 それから1年後、連覇で文句なしの横綱昇進を果たすのだが、やはり綱を張る人間の思考は常人とは違うのだ。同時に己の中に厳しい物差しを持っている。それは弟子を育成する立場になっても変わらない。幕内最軽量だった日馬富士を横綱に育て上げた名伯楽は、妥協をいっさい許さない指導で照ノ富士をさらに上へと押し上げようとしている。

 

「どんな力士になってもらいたいか?それは相撲を取って、後からついてくるもの。お相撲さんは気は優しくて力持ちでないとね」

 弟子がどんなに出世をしようが優勝回数を重ねようが、師匠の信念がぶれることはない。 次期横綱候補はこの先もトラブルや舌禍とは無縁に、相撲道に邁進してくれるに違いない。

 

〈文:荒井太郎、写真:日本相撲協会ツイッターより〉