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「週刊Jリーグ通信」第13節「無名軍団・湘南が加速する」(大住良之)

 Jリーグ1部(J1)は5月23日(土)に第13節の8試合を行った。この節に組まれていた「柏レイソル×ガンバ大阪」は、両クラブがともにAFCチャンピオンズリーグ(ACL)でラウンド16に進出し、5月26日(火)と27日(水)に準々決勝進出をかけたその第2戦(ともにホーム)があるため、6月23日(火)に延期になった。

 

 今季のACLに出場していたこの2クラブと浦和レッズ、鹿島アントラーズ(ともにグループステージで敗退)は、5月6日(祝)に行われた第10節の試合が6月3日(水)に延期されているため、第13節終了だが、浦和と鹿島は12試合、そして柏とG大阪は11試合しかこなしていない。

 

 とは言っても、この節鹿島に2-1で逆転勝ちして首位を守った浦和は勝ち点30。アルビレックス新潟に4-2で勝って2位に上がったサンフレッチェ広島は勝ち点26、試合がなく3位に落ちたG大阪は勝ち点23で、延期されていた試合がどんな結果になっても、浦和が首位であることには変わりない。

 

 そうしたなかで、この節注目されたのが、清水エスパルスを4-0で下し、順位を8位に上げた湘南ベルマーレだ。第13節終了時で5勝3分け5敗。第10節以降の4節で負けがなく、勝ち点を18に伸ばした。

 

 ホームのBMWスタジアム平塚に清水を迎えた試合は、けっして圧倒的な攻勢だったわけではない。一進一退の状況で前半は0-0。しかし湘南の選手たちはGK秋元陽太を中心に守るべきところは体を張って守り、がまん強くチャンスをうかがった。そして後半7分、うまく前を向いたFW大竹洋平のパスからMF菊池大介が抜け出してシュート、先制点を決める。後半20分にはゴール正面30メートルのFKをキャプテンのMF永木亮太が直接決めて2点目、後半33分と40分にはFW高山薫が連続得点して清水を突き放した。

 

 湘南ベルマーレは、日本サッカーリーグ(略称JSL、1965~1992年)時代に2回の優勝を誇るフジタ工業(リーグ加盟当時は藤和不動産)を母体にプロ化し、1993年に「ベルマーレ平塚」となったクラブ。1993年のJリーグ初年度には参加できなかったが、2年目の1994年に加盟を認められた。

 

 加盟1年目から攻撃的サッカーを押し通し、1995年に韮崎高校(山梨県)から加入した中田英寿の活躍もあって人気チームとなった。

 

 ところがその後経営母体のフジタ工業が経営不振に陥り、プロのサッカークラブを経営することが不可能になった。当時のクラブ首脳は、地域の人びとのためにともかくクラブを存続させることを考え、1999年1年間をかけて有名選手を放出し、クラブ経営をスリム化させて地元自治体などを中心とした新経営母体にクラブを移管、クラブ名も「湘南ベルマーレ」とした。この年、J2降格となったが、ベルマーレは残った。

 

 しかし有力選手のすべてを放出し、若手中心に切り替えたチームはJ2でも下位に沈み、そのまま定着するようになってしまった。J1の平均年間予算が30億円、J2でも10億円という時代に、年間5億円という予算では昇格争いに加わるチームはできなかったのだ。

 

 流れを変えたのが2009年の反町康治監督(現在松本山雅FC監督)就任だった。粘り強いサッカーでこの年のJ2で3位の好成績を収め、実に11年ぶりにJ1昇格を果たした。しかし喜びもつかの間、翌年のJ1では最下位に終わり、1年でJ2に逆戻り。そして2012年に現在も指揮をとる曺貴裁(チョウ・キジェ)が監督に就任すると、J2で2位となってJ1へ昇格。そのアグレッシブな攻撃サッカーは高い評価を受けたが、またも1年で降格の憂き目を見た。

 

 だが昨年(2014年)、湘南はJ2で開幕から14連勝、最終的には42戦31勝8分け3敗、勝ち点101という圧倒的な成績で優勝、J1への復帰を果たした。

 

 「残留が目標ではない。『J1に住み着こう』と、選手たちと話している」。曺監督はそう話した。

 

 開幕戦の相手は浦和。1-3で敗れたが、前半は前線からのプレスと猛烈な速攻で相手の度肝を抜いた。そして第2節の鹿島戦では早くも初勝利を記録した。

 

 大きなスポンサーがついて経営が大きくなったわけではない。現在の湘南の経営規模、年間約10億円は、現在のJ1では最も小さな部類に属する。しかし自クラブのユースから育ったDF遠藤航(U-22日本代表)やMF菊池大介(元U-19日本代表)を核に、曺監督が無名選手を鍛え上げ、どこよりも走るチーム、全員が味方を信じて走り抜くサッカーをつくり上げた結果だった。

 

 Jリーグは今季からチームや個々の選手の走行距離やスプリント(全力疾走)の回数を発表しているが、湘南は11人の1試合当たりの走行距離が117.355キロでトップ。スプリント回数でも、1試合平均180回で3位という数字が出ている。

 

 攻撃から守備、守備から攻撃への切り替えが早く、ボールを奪った瞬間に何人もの選手が攻撃のポジションに駆け上がり、ボールを失えばその周囲の選手は取り戻しに回り、他の選手は帰陣する。当たり前のことなのだが、それを妥協せずに90分間やり抜くところが湘南の真骨頂。そしてその背景にあるのが、曺監督の人間としての力と指導力だ。

 

 「僕たちは、海に出るときに、見栄えというか、見た感じが豪華客船ではないかもしれないけれど、ひとつの船を、ひとつしかフロアがないところで、荒波がきても全員で手に手を取り合って、その荒波に向かっていくようなチームだと思っています」

 

 これが試合後の記者会見での曺監督の言葉だ。なにやら詩人のようだが、その言葉の背景には明確なサッカー哲学、人生哲学があり、「他チームより走る」という、単純ながら誰にもできるものではない苦しいことを選手たちに実行させる力がある。

 

 曺監督は京都府京都市出身の在日韓国人。京都府立洛北高校から早稲田大学を経て日本サッカーリーグ時代の日立製作所や柏レイソル、そしてJリーグ時代になってから浦和レッズ、ヴィッセル神戸でDFとしてプレー。引退後に指導者の道にはいり、川崎フロンターレの育成部門コーチ、セレッソ大阪のトップチームコーチを経て2005年から湘南ベルマーレでユースの指導、2009年からトップチームのコーチとなって2012年に監督に就任した。

 

 遠藤や菊池を除けば現在の湘南の選手は全員が「無名」と言っていい。しかし曺監督はそんなことは気にしない。妥協することなく自分の信じるプレーを選手たちに要求し、それを実現することでスター揃いのJ1の強豪に伍して戦い、サッカーとはどのようなゲームであるかを示そうとしているように見える。

 

 曺監督の信念の下、湘南が走り、加速する。

 

〈文:大住良之(サッカージャーナリスト)、写真:Jリーグ公式サイトより〉