パラスポ・ピックアップ・トピック (3) グランプリ陸上で、パラ選手が走り、跳んだ
世界陸上競技選手権(8月/北京)代表選考会を兼ねた、「セイコーゴールデングランプリ2015川崎」大会が5月10日、等々力陸上競技場(神奈川県川崎市)で開催されました。国際陸上競技連盟(IAAF)が認定するワールド・チャレンジの第3戦でもあり、国内外からトップ級の選手が集まる今大会で、見どころの一つとされたのが、初めて導入されたパラリンピック種目でした。
実施されたのは男子100mT43/44クラス(両下腿切断/片下腿切断など)で、日米からそれぞれトップ級の義足スプリンターが3名ずつ出場。佐藤圭太(中京大クラブ)、春田純(静岡陸協)、池田樹生(中京大)が、昨年の全米パラリンピックのメダリスト3名と競いました。さらに、男子走り高跳びにはT44クラスで4大会連続パラリンピアンの鈴木徹(プーマジャパン)がオープン参加し、13年世界選手権金メダリストのボーダン・ボンダレンコ(ウクライナ)や自己ベスト2m31の戸邊直人(つくばツインピークス)らと同じピットに立ちました。
【写真: パラリンピック種目男子100mで力走する日本選手。左から、佐藤圭太選手、春田純選手、池田樹生選手=2015年5月10日/等々力陸上競技場(神奈川県川崎市)】
海外では、健常者の陸上大会にオープン種目やエキシビションとしてパラ種目が組み込まれることは少なくありませんが、日本陸上競技連盟主催の国内大会としては初めて。まして、海外選手まで招待しての実施は画期的なことでした。注目が高くテレビ中継もある国際大会で、パラ選手が健常の選手に混じってパフォーマンスしたことは、2020年東京パラリンピック成功に向けての大きな一歩となったことは間違いありません。
100mレースは、全米トップのジャリッド・ウォレスが自己タイ記録の11秒15で快勝。ほか二人のアメリカ選手も11秒台で駆け抜け、日本の陸上ファンを驚かせました。日本選手は日本記録保持者の佐藤が12秒08の4位、ロンドン・パラリンピック4x100mリレー走者の春田が12秒29で5位、13年のアジアユースパラ大会金メダリストの池田は12秒64の6位と、アメリカ勢には水をあけられたものの、それぞれ自己記録に近いタイムで走る健闘を見せました。
ウォレスは、「気象条件がよく、観客もすばらしく、高速トラックで、とてもいいレースができた。フィニッシュしたとき、すごい歓声が聞こえ、とても興奮した。川崎の応援は力になった」と会場の盛り上がりを振り返りました。また、今大会はアメリカ選手にとっても新鮮だったようで、「健常者と障害者が一緒に競技することは、アメリカでも一般的になり始めたばかり。先日、そういう競技会が自国で行われたが、とてもよかった。今日はアメリカから招待してもらい、いい経験になった。川崎のような大会がアメリカでももっと増えたらいいと思う。川崎大会は初めての出場だが、できれば来年もまたここに戻ってきたい」と笑顔で話していました。
【写真: 100mフィニッシュ後、歓声に応える佐藤選手(中)とウォレス選手(右)。83番は春田選手=同】
佐藤もまた、今大会で走った意義について、「日本ではパラリンピック選手がこんな大勢の観客のなかで走ることはあまりないので、感謝している。大きな歓声や拍手は気持ちよく、(初出場した)ロンドン・パラリンピックがよみがえった。日本では、パラリンピックという言葉は知っていても、実際に見て知っていただく機会はまだ少ない。2020年東京大会につながる大きなレースだったと思う」とコメントしました。
春田も、「障害者の大会は観客が少ないが、今日は大会の雰囲気が最高だった。多くの観客の前で走れることはモチベーションが上がるし、ワクワクする。ワクワク感の中で走って、かつ記録を出すことはプレッシャーもあるが、すごく楽しい時間。だから、止めらない。また、今日のトップは11秒15。健常者のレースでも通用するくらいのレベルで、皆さん、驚かれたのではないか。僕ら日本選手も体づくりや走りの技術を磨いてアピールし、2020年に向けて障害者スポーツをもっと盛り上げていきたい」と意気込みを語っていました。
また、錚々たる選手と肩を並べた鈴木は唯一の義足ジャンパーとして記録に挑みました。でも、2m30前後の自己記録を持つ選手らに対し、2mの鈴木は最初の試技者であり、しばらくは一人で跳び続けることになりました。いつもなら試技ごとに義足を外し、内側にたまった汗を拭きとるのですが、試技間のインターバルが短く、いつものリズムがつくれません。1m90、95は1回でクリアしたものの、2mは3回とも惜しいジャンプのまま、挑戦は終わりました。
【写真: 競技開始のコールを待つ、鈴木徹選手(左)。右隣は平松祐司選手=同】
絶好の舞台で自己記録更新はなりませんでしたが、「観客から手拍子もしていただき、いい雰囲気の中で試合ができて良かった。記録は2m5cmにかけてチャレンジしたかったが・・・。試技の間隔が短く、もう少し余裕がほしかった、という思いはある。それでもまずまずの跳躍ができた。日本の大会でこんなに人が入った中で試合ができたこと、国内外のトップ選手と跳べたことは貴重な経験になった」と前を向いていました。
さらに、「観客の皆さんが義足のことを少しでも知って、帰ってくれたらいい。『義足で高跳びをやっていたよ』と広めてもらえたら、2020年の東京大会に向けて(パラリンピック競技が)認知されていくと思う。また、100mでは11秒台前半のアメリカ選手も来ている。いいタイムの走りを見てもらって、『スゴイ』と思ってもらうことも大事。僕もまた頑張りたい」と力強く話していました。
日本パラ陸上競技連盟の強化委員長、安田亨平氏は、一般大会にパラ選手が出場することの意義について、「世界を目指すという同じ目標をもつ選手同士、このような舞台をいただけたことはありがたい」と感謝したうえで、「聞くことと見ることは違う。義足をつけて走る姿を見てスピードを感じたり、『義足でも、こんな風に跳べるんだ』という認識を広めるためのいい機会」とパラ陸上の認知度アップにつながると話します。
実は、日本でもパラ種目を実施する陸上大会はこれまでにもあり、例えば、静岡国際陸上競技大会では義足選手の100m走を、東日本実業団大会では男女視覚障害選手の1500m走をそれぞれ数年前から実施しています。
でも、海外トップ選手が参加する今大会で実現できたことにも意義があると安田氏は指摘します。「海外選手にも、義足スプリンターやジャンパーの姿を見てもらい、その印象を自国に持ち帰り、彼ら自身が伝道師となって、各国のパラ選手を発掘し、普及することにも貢献してもらえるのではないか。『パラ陸上』を世界に広めるチャンスでもある』と期待を寄せます。
とにかく、今回の試みは選手にも関係者にも、そして2020年東京パラリンピックを控えた日本にとっても大きな一歩でしょう。願わくば、いずれこういう「交流戦」が当たり前のこととなり、注目されることもない状況になればと思いますが、まずは2020年成功のためにも、選手発掘や普及、人気アップを図ることが第一。今日の一歩を喜びたいと思います。
(文・写真:星野恭子)