バレーボールの“バレー”とはどんな意味か? 英語とスポーツ(輸入文化)の不思議な関係(玉木 正之)
スポーツマンは英語が必須、体育の授業はすべて英語で……という一文を「スポーツ」欄にアップしたので、英語と輸入文化(スポーツ)という問題をもう少し考え直してみたい。
明治時代の日本人は西洋の犬(洋犬)のことを「カメ」と呼んでいたという。
そのことを『犬の帝国』(アーロン・スキャブランド著・岩波書店)という書物で知り、言葉というものの面白さに改めて気づかされた。
日本の犬(和犬)とは外見が異なるテリアやプードル、シェパードやレトリバーなどを連れた「異人(外国人)」が「Come here!(カム・ヒア!)」と大声で自分の愛犬を呼ぶ。
その言葉が文明開化期の日本人には「カメ」と聞こえ、西洋では犬を「カメ」と言う、と思い込んだのだ。
「亀」とは無関係だが、どこか可愛い響きの言葉で、何やら「カンガルー」の語源にまつわるエピソードのようでオモシロイ。
オーストラリア大陸で初めてカンガルーを見た人が「あれは何か?」と訊くと、現地の住民が「(言ってることが)カンガルー(わからない)」と答え、それが名称になった……というのは後世の創作らしいが、異なる言語(異国の言葉)の聞き間違え——異文化間のコミュニケーションの失敗は、珍しいことではない。
とくに日本では、西洋からの輸入文化であるスポーツ用語の聞き間違えが多い。
たとえば競馬ではスタートのやり直しのことを、何故か「カンパイ(乾杯?)」というが、それは一旦スタートした馬と騎手を呼び戻す「Come Back!」を聞き間違えたからだという。
また、競馬場のゴールまでの距離を表す「ハロン」という言葉も「furlong(ファーロング)」が訛ったもので、8分の1マイル(約201.17メートル)のことだという。
そういえば「バレーボール」というのも一種の聞き間違えで、「バレー」は舞踏のバレエ(barllet)のようでもあるが、正しくはVolleyball。
Volleyはテニス用語では「ボレー」、サッカーでも「ボレーシュート」などと使われる言葉だ。
英語の発音的にはどちらも不正確だが、「ボレーボール」だったら“ボールを下に落とすことなく打ち合う球技”と理解しやすかったに違いない。
野球には、フォアボール(四球=base on balls)、デッドボール(死球=hit by pitch)など、和製英語が多く、それらは、一度、日本語(四球、死球)に訳されたあと、英語に戻されるときに、いかにも日本人的な英語(和製英語)にまってしまったものといえる。
ならば、英語では「ゲーム・オーヴァー game over」と言う「試合終了」を意味する言葉が、なぜ和製英語では「ゲーム・セット game set」と言うようになってしまったのか?
その理由が長年わからなかったのだが、ロバート・ホワイティング氏に教えられて氷解した。
それは野球より早くテニス用語が伝わり、「ゲーム」が終わったあとは「セット」になるからだという。なるほど、そうかもしれない。
それとは別に、スポーツライターとしてすぐに気になった言葉は、「バスター」だった。
走者が一塁や二塁にいて、送りバントの構えをしていた打者が、突然ヒッティングに変える作戦を、日本の野球では誰もが「バスター」と呼んでいる。
が、ベースボールの本場アメリカには、そんな野球用語はない。「Buster」とは「破壊者」であり「ぶち壊し屋」のこと。かつてボクシング・ヘビー級王者だったマイク・タイソンを東京でKOした挑戦者は、バスター・ダグラス(壊し屋ダグラス)がリングネームだった。
どうして、この「バスター」という言葉が日本では野球作戦用語で定着したのか……。それは、この作戦をアメリカの「ドジャースの戦法」から取り入れた、かつてのV9ジャイアンツの名参謀である牧野茂氏の「陰謀(?)」だった。
この作戦を日本に輸入したのが牧野さんだと聞いた私は、生前の牧野さんに直接質問をぶつけた。「バスターなんて野球用語は、アメリカにはないですよね?」
牧野氏の答えは見事なものだった。
「ああ。ないよ。おれが使い始めたんだから……」そして、彼はこう続けた。
「ドジャースのキャンプで練習試合を見てるときに、この作戦が決まると、アメリカ人の観客の誰かが『OH Buster!』と叫んだんだ。『すっげえ!』とか、『やったー!』くらいの意味だろう。その後、ドジャースの誰に聞いても、特に作戦の名前はないという。だったらバスターにしようと思っただけ。作戦には名前があるほうが、選手にも伝えやすいし、誰にもわかりやすいから。アメリカで使ってるか使ってないかないなんて、どうでもいいことだよ」
あまりに見事な回答に、当時まだ駆け出しのスポーツライターだった私は、記事にする機会をなくしたのだった。
そんなスポーツにおける外来語の混乱が多いなか、私が個人的に最も興味深く思うのは「太鼓ベース」という言葉だった。
私が小学生の頃、昭和30年代の京都では、草野球のことを誰もが「太鼓ベース」と呼んでいた。何故そう呼んだのか、その理由は、長年まるでわからなかった。
のちにスポーツライターを名乗るようになってからも、いくら調べても語源はまったく不明だった。
が、あるとき、同じ時期(第二次大戦後の昭和20〜30年代)の東北地方では、草野球のことを「沢庵ベース」と呼んでいた、という情報を得た。
それでもまだわからなかったが、同時期に九州では「鉄管ベース」と呼んでいたと知ったとき、思わず「おおおーっ!」と叫んで、謎が解けた。
太鼓ベース……沢庵ベー……鉄管ベース……これは明らかに「テイク・ワン・ベース(Take One Base)」である。
終戦直後、日本に進駐してきたアメリカ兵たちは、全国各地の空き地で(日本の子供たちと一緒に)草野球に興じることもあっただろう。
ところが当時の空き地は草が生い茂っていたり、土管などの工事資材が放置してあったりで、打球が行方不明になることも多かった(私が草野球に興じた京都の建仁寺の境内では、本堂の塀に沿った排水溝にボールの落ちることが多かった)。
そのたびに審判役の米兵は試合を止め、「Take one base!(テイク・ワン・ベース!)」と叫んで打者や走者に次の塁へ進むことを認めたに違いない。
その言葉を子供たちは「太鼓ベース」「沢庵ベース」「鉄管ベース」などと聞き間違え、その後約20年ほどの間、言葉だけが残って使い続けられたのだ。
そのような言葉を、まさか、「クレオールCreole)」とか「ピジン(Pidgin)」(※編集部注:どちらも言語の交流により作られた混成語の意味)とは呼ばないだろうが、日本のスポーツ界は、どうやら「和製英語」のオン・パレードのようだ。
その「言葉の謎」を突き止めてみると、外国語の聞き間違えも悪くないな……とも思える。何しろ、太鼓、沢庵、鉄管という言葉が、少年時代の一時期、毎日必死になって遊んだ草野球に一段と楽しく懐かしい趣を添えてくれるように感じられるのだから……。
しかし、「言葉の謎」(=元の意味)をわからないまま(わからなくても気にしないまま)使い続けるのは、輸入文化(スポーツ)に対して大きな誤解を蔓延させることになるに違いない。
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写真提供:フォート・キシモト