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荒井太郎のどすこい土俵批評(16) 【平成二十七年春場所総括】大相撲の醍醐味は「記録」や「数字」ではない!

 春場所2日目、十両の若の里が大道を押し倒して、史上6人目となる通算900勝をマークした。いつもは数字にまったく関心を示さない38歳だが「900勝だけは意識した。899勝で(先)場所を終えたので初日で決めたかった。今日は意識せずに取れた」と前日は硬くなったか黒星発進。さすがにこの記録に対する思いは格別だったようで「800勝のときとは重みが違う」としみじみと語り、平成4年春に初土俵を踏んだ大阪の地で見事、偉業を達成した。

 

 9日目には通算出場回数が1655回となり高見山を抜いて史上5位となったが、このときは対象的に感慨に浸る様子はまったくなし。出場記録に関しては勝ち星ほどの思い入れがないのか、素っ気なかった。

「勝ち星は自分でつかみ取るもの。出場記録は長くやっていれば誰でもできますから」

 

 歴代5位に入るとなると、努力と節制を常に怠らず体調をしっかり管理し、なおかつ致命傷のケガを負うことなく20年以上にわたり、現役生活を務め上げなければならない。長くやるのも口で言うほど生易しいことではないのは、本人も身を持って分かっているはずだ。ましてや若の里は一日でも長く現役力士でいるために、これまでの相撲人生で9度も自身の体にメスを入れている。2年前には「幕内に戻るため」と、37歳にして右膝の手術も行った。

 

「誰でもできる」という軽い口調と言葉そのものからは、ちゃんこの味が染みわたった大ベテランの意地、こだわり、価値観が垣間見える。どんなに体がボロボロになっても若の里は勝つために土俵に上がっているのだ。コンディションを整えて出場するのはあくまでも前提条件。そこに23年もの間、勝負の世界に身を置いてきた男の強烈な自負心がある。

 

 同じく春場所の12日目にあたる3月19日、この日が協会の停年となる65歳の誕生日を迎えた元大関大受の朝日山親方が会見を行い、70歳までの再雇用申請を行わず、この場所限りで退職することを発表した。

 

 元大関大受は昭和37年、中学1年のときに北海道から上京し、元大関三根山の高嶋部屋の門を叩くが身長が158センチしかなかった。部屋に住み込み中学に通いながら新弟子検査を何度も受けるが身長が伸びず、正式入門できずに中学3年間を過ごした。その間は後から入門してきた者たちの出世を指をくわえて眺めるしかなく、卒業間際の40年春場所、ようやく検査に合格したのだった。

 

「相撲取りになるという気持ちしかなかった」と前朝日山親方は当時を懐かしむ。入門後は猛烈な稽古で押し一本を愚直に磨き、新三役となる関脇で迎えた46年春場所5日目、横綱大鵬から4度目の挑戦にして初勝利を上げるが、この相撲がもっとも印象深い一番という。

 

 48年名古屋場所は関脇で13勝を上げ、史上初の殊勲、敢闘、技能の三賞独占。場所後、大関に推挙された。しかし、大関はわずか5場所で陥落。最後は52年夏場所、十両に番付を落とし、27歳の若さで土俵を去った。引退後は審判委員を30年以上も務め、平成9年には朝日山部屋を継承した(今年初場所で閉鎖)。

 

「押し相撲を覚えてある程度の地位に上がれた。押し相撲一本でよかった」と自らの相撲人生を振り返る。押し相撲タイプでも大関、横綱になれば、星の安定を求めて廻しを取る相撲を覚えるものだが、そういう意味では稀有の大関だったとも言え「苦しくても廻しを欲しがらず、差されても絞り出して押し出す、本当の押し相撲が少なくなった」と自負ものぞかせる。

 

 半世紀にわたる相撲人生の一番の思い出について「三賞独占、大関昇進はそんなに感動はなかった。3年間(新弟子検査に)合格しなかったのに、合格して力士になれたときが感慨深く、特別な思い入れがある」と語った。

 

 前述した若の里と共通するのは数字や実績よりも、力士としての生きざまや矜持を大事にしていることではないだろうか。それが凄味となってわれわれに畏敬の念を抱かせる。だからこそ、当人がさほど強調しない足跡がかえって深みのある光を放ちながら輝いてくる。

 

 こうしてみると、安打数やホームラン数などが絶対的な価値を持つプロ野球をはじめ他のスポーツとは違い、大相撲における数字そのものにはあまり大きな意味がないような気がしてくる。双葉山の69連勝が70年以上経過した平成の時代でも語り継がれるのは、“不世出の横綱”としての真摯な土俵態度、相撲道の神髄を極めようとする崇高な精神を相撲ファンが数字の背後に感じ取っていたからではないだろうか。

 

 近年の相撲界は記録ラッシュが続き、何10年も破られなかった記録があっさりと更新されている。果たしてそこに数字以上の凄味や感動はあるのか。無機質な数字にいかに熱い息を吹き込むことができるのか。それはその力士の「相撲道」にかかっている。

 

〈写真:春場所千秋楽で押し出しで敗れる若の里(相撲協会ツイッターより)〉