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「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(466) パラ水泳国内最高峰の大会開催。好記録ラッシュとレジェンドの惜別のレース 

9月16日から3日間の日程で、WPA(世界パラ水泳)公認2023ジャパンパラ水泳競技大会が横浜国際プール(横浜市)で開催されました。参加標準記録を突破した、多様な障害の選手たちが全国各地から多数エントリー。約1カ月前にイギリス・マンチェスターで開かれた世界選手権代表選手たちも顔を揃え、国内最高峰の大会でそれぞれの目標に挑みました。

WPA(世界パラ水泳)公認2023ジャパンパラ水泳競技大会が横浜市で開催

多様な障害クラスのなかで参加選手が最も多い男子知的障害で、他を圧倒したのは山口尚秀選手です。マンチェスター世界選手権では得意の100m平泳ぎで大会新をマークして優勝し、いち早く来年のパリパラリンピックの代表内定を決めており、今大会では50m自由形、100m自由形、100m背泳ぎの3種目に出場してすべて優勝。50m自由形では日本記録(24秒87)を更新するなど、マルチなポテンシャルを示しました。

同じく知的障害障害クラス女子では、世界選手権で200m個人メドレーをアジア新で銀メダルに輝き、日本のパリパラ出場枠をつかんだ木下あいら選手が3日間で6種目(100m自由形、200m自由形、100m背泳ぎ、100mバタフライ、100m平泳ぎ、200m個人メドレー)に挑み、5種目を制覇。100m自由形ではアジア記録(1分00秒91)を塗り替えるなど、心身のタフネスさを見せました。

木下選手が唯一、黒星を喫した100m平泳ぎは芹澤美希香選手が優勝。アジア記録(1分17秒03)をマークする快勝でした。

機能障害クラスで存在感を放ったのは南井瑛翔選手です。障害の最も軽いクラス(S10)の選手で、先天的に左足首から先がないなかでキックのバランスを取りながらロスのないフォームを目指しています。今大会では200m個人メドレー(SM10)と100mバタフライ(S10)に出場し、いずれも決勝でアジア記録(2分20秒23/59秒84)を塗り替えての二冠を果たしました。

とくに、100mバタフライでは初めて1分の壁を切り、「すごく嬉しかった」と笑顔で振り返りました。つかんだ自信を胸に、世界の強豪たちに挑みます。

こうして、それぞれの現在地を知った選手たちはまた、新たな目標に向かって泳ぎつづけます。

■レジェンド、山田拓朗選手が引退

一方、今大会でプールに別れを告げた選手がいます。事前に「ラストレースになる」と発表して臨んだ今大会。自身が日本記録を持つ男子50m自由形(S9クラス)に出場しました。2016年のリオパラリンピックで銅メダルを獲得した思い出も、思い入れもある種目です。

ラストレースとなった18日午後の決勝では最後まで闘志あふれる力強いフォームで泳ぎきり、27秒03の2位でフィニッシュ。チームリーダーとして日本代表を率いたシーズンもあり、人格者としても知られる山田選手の最後の勇姿に、会場から送られた大きな声援と拍手はしばらくなり止みませんでした。

現役ラストレースを終えた山田拓朗選手。「悔いなく終われました」

レース後、山田選手は「すごく応援の方が来てくれて、ラストレースで緊張するかと思ったが楽しく泳げました。東京パラリンピックも無観客で、自分のレースをこれだけの方に見てもらうことがなかったので、今までのレースにない雰囲気でした。もう泳ぎたくないと思うほど、すべてを出し切ったので、(競技人生を)悔いなく終われてよかっです」と清々しい表情で語り、プールをあとにしました。

1991年生まれの32歳。生まれつき左肘から先がなかった山田選手は、幼い頃から水泳をはじめ、2004年アテネパラリンピックに史上最年少の13歳で出場し注目されます。以来、2021年の東京大会まで5大会にわたって日本代表として活躍します。

山田選手に先着したのは自己ベストの26秒71をマークした、日本福祉大2年の岡島貫太選手です。先天的に右腕がないなか、幼い頃から水泳を始め、いつしか山田選手が「憧れの選手」になりました。

来年のパリパラリンピック初出場に向け、目下の目標は派遣標準の26秒29を切ること。そのために最近、山田選手にもアドバイスを求めていたと明かし、この日の快勝につなげました。

岡島選手はレース後、「約1年ぶりの自己ベストもうれしいし、(初めて山田選手に勝てて)すごくうれしかったです」と笑顔を見せ、「拓朗さんのように、後輩思いで、いろんな人から応援される選手になりたい。これからは拓朗さんの日本記録(26秒00)を追いかけていきたいです」とさらなる成長を誓っていました。

ラストレースで敗れた山田選手ですが、穏やかな表情で、「岡島選手が自己ベストで、シンプルにすごくよかったと思います。僕がもうちょっと速く泳いでいれば、もうちょっと(タイムが)出たかもしれないと思うと申し訳ないけど、僕としてはやれることを全てやった結果です」と後輩の力泳に目を細めました。「あとは託したぞ」といった思いだったのではないでしょうか。

惜しまれつつレジェンドが去り、また新鋭が頭角を表す。パラ水泳日本代表の歴史がまた一つ刻まれました。

(文・写真:星野恭子)