「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(461) パラダンススポーツの国際大会で、車いすのダンサーが躍動!
車いすのダンサーを対象としたパラダンススポーツの国際大会、「東京2023パラダンススポーツ国際大会」が8月5日から6日にかけて代々木競技場(東京・渋谷区)で開催されました。IPC(国際パラリンピック委員会)とWPDS(世界パラダンススポーツ)の公認大会で、日本をはじめ世界18の国や地域からヨーロッパチャンピオンなどを含む100名以上の選手が参加。ワルツやサンバなど多彩な音楽にのって車いすを巧みに操り、華麗でテクニカルなパフォーマンスで得点を競いました。
「東京2023パラダンススポーツ国際大会」で、フロアを縦横無尽に動き回ってパフォーマンスを披露する選手たち (提供:日本パラダンススポーツ協会/吉村もと)
パラダンススポーツは2016年に現在の名称に変更されるまでは車いすダンススポーツとしての歴史があり、2013年には日本で世界選手権が開かれています。今大会はそれ以来となる国内開催の国際大会で、パラダンススポーツとしては初。新たな歴史を刻む大会となりました。
競技は3つのカテゴリーに分かれて行われます。車いす選手が一人で踊る「シングル」、車いす選手2人のペアで踊る「デュオ」、そして、車いす選手と立位(健常者)のパートナーがペアを組む「コンビ」です。なお、パラダンススポーツでは車いすの選手を「ドライバー」、ペアを組む立位のパートナーを「スタンディング」と呼ぶのも特徴です。
「東京2023パラダンススポーツ国際大会」で、息の合った「コンビ・スタンダード」の演技を披露する韓国ペア。男性がドライバー、女性がスタンディングのペアも多い (提供:日本パラダンススポーツ協会/吉村もと)
カテゴリーごとに大きく3つの種目があり、一般の社交ダンス競技に似た、既定の楽曲で踊る「スタンダード種目」と「ラテン種目」の2つと、フィギュアスケートに似た「フリースタイル」種目です。「フリースタイル」にもシングル、デュオ、コンビがあり、選手自身が選んだ楽曲で踊ります。
「ディオ・ラテン」で華麗な演技で魅せる韓国ペア。趣向を凝らした華やかな衣装や装飾品もパラダンススポーツの見どころの一つ (提供:日本パラダンススポーツ協会/吉村もと)
各ドライバーは障害の程度により重い方からクラス1、クラス2に分かれて競い、シングルはさらに男女別で行われます。こうしたカテゴリーや種目を組み合わせ、今大会では2日間で計20個の金メダルが競われました。
社交ダンスの歴史が深いヨーロッパ諸国を中心に発展したパラダンスですが、近年はアジアでも盛んで、今大会も韓国やフィリピン、香港やカザフスタンといった国・地域の選手がさまざまな種目で上位に食い込んでいました。
大会は社交ダンスのもつ華麗さや音楽とテクニックの融合、表現力や表情の豊かさはもちろん、車いすならではのスピード感やオリジナルな動きが新鮮でした。片輪を上げてバランスを取ったり、前輪を上げるウイリー状態のままクルクルと何回転もしたり。車いす同士の「ディオ」ではパートナーとのコラボレーションや連動性が楽しく、「コンビ」はドライバーとスタンディングの高低差を生かしたアクロバティックな動きなど、華やかさの中に力強さもあり、見入ってしまいました。
「デュオ・フリースタイル」で磨いてきたパフォーマンスを存分に発揮し、会場を魅了したフィリピンのペア。同国はアジアの強豪の一角を担う (提供:日本パラダンススポーツ協会/吉村もと)
■日本代表選手たちも健闘
日本でも車いすダンスを楽しむ人たちは多く、日本パラダンススポーツ協会(JPDSA)を中心に普及が進められています。今大会にもJPDSAによる選考会を経て、JPDSAの強化選手など8名が出場しました。
その一人、阿田光照選手(46)は2019年世界選手権で3位入賞も果たした日本の第一人者です。今大会でも複数種目にエントリーし、コンビ・スタンダード・クラス1で銅メダルを獲得するなど好パフォーマンスを披露しました。
「大きな大会はコロナ禍もあって、とても久しぶりで緊張し、正直、納得はいかない踊りでしたが、自分なりに精一杯楽しく踊れたし、いい経験になりました。海外の選手たちはコロナの中でもしっかり練習を続けていたのだなと思えるような素晴らしいパフォーマンスでした。すごく差を感じましたし、もっとやりたいと思いました。年齢的にもう終わりかなと自問自答しながらでしたが、またすごい選手たちと出会えて、もう一度頑張りたいという前向きな気持ちも出てきて、励みになりました」
阿田光照選手(右)とスタンディング、伊藤ともえ選手の「コンビ・ラテン」の演技。阿田選手は「パートナーから力をもらい、自分一人では出せないほどのスピードが出たり、二人で一つの形を作ったり、素敵な魅力があります」とコンビ種目をPR (提供:日本パラダンススポーツ協会/吉村もと)
15歳で事故に遭い、頚椎を損傷して車いす生活になった阿田選手は手にも障害があり、車いす操作に難しさがあるそうです。「手が悪いなかで自分自身への挑戦でもありますが、リハビリにもなるダンスに出合えたことで日常生活に張りが出ました。これからは、ダンスをやりたいという人に少しでも励みになるようなお手伝いをできればとも思っています」と、さらなる活躍を誓っていました。
国際大会初出場組も大きな手応えがあったようです。田村小瑚選手(21)は2020年春に社交ダンスと出合い、今大会では昨年11月から始めたというシングル・フリースタイル女子クラス1で世界の舞台に一歩を踏み出しました。
4歳で発症した病気の影響で車いす生活を送る田村選手。体幹が弱く、腕も挙げにくいなか、宇多田ヒカルさんのヒット曲『First Love』にのせ、歌詞を表現する手話も取り入れたオリジナリティあふれる振り付けでしっとりと踊り上げました。
「今までの練習がすべて出せたのかなと、私の中では思っています。今日はワルツ系の曲だったので、今後はもう少しアップテンポの曲にも挑戦したいです。最初は国内大会も未経験の私が、国際大会に出ていいの?と思いましたが、今はダンスを続けたいなと思っています。(パラダンスは)電動車いすの人も参加できるということも伝えたいし、これを機に社交ダンスをやる人が増えてくれるといいなと思います」
宇多田ヒカルさんのヒット曲『First Love』に合わせて、情感たっぷりのダンスを披露する田村小瑚選手 (提供:日本パラダンススポーツ協会/吉村もと)
同じシングル・フリースタイルの男子クラス2に出場した持田温紀選手(23)は、「ダンスを初めて5カ月の初心者ですが、今日のパフォーマンスは全力を出し切れて達成感がすごくあります」と笑顔で話してくれました。
途中の振り付けでミスがあり、「後半からは全部アドリブでしたが、それでも止まることなく体が動いてくれたのは、感情がむき出しになったからかも。これまで支えてくださった方が(会場に)たくさんいらしてくれて演技前に声をかけてくれたり、(今大会で)海外の選手とたくさん仲良くなれて、自分に勇気をくれました」と多くの支えに感謝し、「予定通りにいかなくても、それが結果として一番熱さの出るものになるのは自分らしい」と手応えを口にしました。
4歳から始めたサッカーに夢中で取り組んでいたが、高校1年で交通事故に遭って以来、車いす生活を送る持田選手が本格的にダンスを始めたのは今年3月。これまでのさまざまな思いや経験を形にするのに、「ダンスはありかも」と思ったのがきっかけだそうです。
「海外選手のパフォーマンスを見て、自分はまだまだと感じましたが、今回は『ゼロを1に』できた大会というところで、出場できて良かったです。これからも情熱と笑顔を大切に、この瞬間を超える瞬間をつかみに行きたいと思います」
「サッカーが大好き。振り付けの最後に、ドリブルしてシュートを打つ動作をアドリブで入れました。シュートが決まったように見えていたら、8年ぶりのゴール」と、熱いパフォーマンスを振り返った持田温紀選手 (提供:日本パラダンススポーツ協会/吉村もと)
パラダンスはパラリンピックの正式競技入りを目指して普及が進められ、地域別選手権やワールドカップなども開かれています。今年11月には最高峰の大会、世界選手権がイタリア・ジェノバを舞台に開催予定で、JPDSAによれば、日本からも今大会出場者を中心に選抜され、代表が派遣される予定です。
阿田選手は、「若い人たちも出てきているので、日本チーム一丸で行けたら楽しいですね。僕の経験が役に立てたら」と意気込んでいました。魅力的な選手たちも多く、奥深いパラダンススポーツ。これからも注目していきたいと思います。
(文:星野恭子)