「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(454) 「2つの夢」をかなえた車いすテニス、小田凱人選手が凱旋会見。「まだ始まったばかり」
6月6日から10日までパリのローランギャロスで全仏オープン車いすテニス部門が行われ、最終日の男子シングルス決勝戦で世界ランキング2位の17歳、小田凱人(ときと)選手(東海理化)が同1位のアルフィー・ヒューエット選手(イギリス)を6-1、6-4で破り、グランドスラム(4大大会)初優勝を飾りました。
この勝利を17歳1カ月2日)で達成した小田選手は、これまでヒューエット選手が持っていた、この種目のグランドスラム最年少優勝記録(19歳6カ月4日)を大幅に更新。また、12日に発表された世界ランキングでは自身初の1位となり、同じくヒューエット選手が持っていた最年少世界ランキング1位記録(20歳1カ月/2018年1月に記録)も塗り替えました。
全仏オープン車いすテニス男子シングルスを初制覇し、優勝シャーレとともに笑顔で「世界1位」のポーズをとる小田凱人選手。6月20日、羽田空港に帰国後の会見にて
2006年に愛知県一宮市で生まれた小田選手はサッカー少年だった小学校3年のとき、骨肉腫を発症して手術し、車いす生活に。入院中に動画サイトで見た2012年ロンドン・パラリンピック決勝で金メダルを獲得する国枝慎吾選手の姿によって車いすテニスの魅力を知り、始めました。左利きで、175㎝の長身から繰り出されるパワーショットとコートを縦横無尽に走り回る豊富な運動量を武器にしています。
2020年には18歳以下の世界一決定戦「世界Jr.マスターズ」に14歳で出場し単複二冠を達成。2022年4月28日には車いすテニス国内最年少記録(15歳11カ月20日)でプロ転向を宣言。6月にはグランドスラムデビュー戦となった全仏オープンで4強入りを果たし、11月にはNECマスターズ(オランダ)で史上最年少優勝を果たすなど、数々の偉業をすでに達成してきました。
この車いすテニス界の新星にしてエースとなった小田選手が20日に帰国し、羽田空港近くで記者会見を行い、偉業達成への喜びや競技への思い、これからの目標などについて語りました。
会見の冒頭で、「世界ランキング1位の小田凱人です。これを言いたくて……」という第一声を発し、報道陣を笑顔にした小田選手。「過去最高のカメラの数と大勢の方にお集まりいただき、徐々に(快挙の)実感を覚えています。これまでのベストをすべて(全仏の)決勝戦にささげて、結果も出ました。まだ(キャリアは)始まったばかりなので、これからも夢をかなえていきます!」 と力強くつづけました。
凱旋会見で、グランドスラム初制覇や世界ランキング1位の喜びや今後の目標を語る小田選手。「結果を出すことが選手としては一番、認められる部分。今回はそれをしっかり達成できました。やはり目標や夢は口に出していかないといけない。優勝する、世界一になると、いろいろなところで言ったきたし、それがモチベーションにもなりました」
このように、会見は終始和やかに、そして小田選手の魅力や力強さにあふれるものでした。ここでは主な一問一答をご紹介します。
――全仏で優勝した反響の大きさは?
小田: 帰国時点で(大勢の出迎えがあり)、度肝を抜かれました。それだけ大きいことができたのかなと思いました。フランス滞在中も、SNSなどで大きな反響を感じましたが、ここへきて改めて強く感じています。僕にとっては初めてのグランドスラム優勝でしたが、これからも何度も取れるチャンスがあると思う。何回獲れるか、これからの僕の人生の一番の目標としてがんばりたいです。
――快挙達成からしばらく経ったが、今の心境は?
小田: 決勝戦のマッチポイントの感覚は他の大会では感じられないくらいで、手も震えていたし、心臓が飛び出るくらいの緊張や感動がありました。今でもすごい覚えています。ただ、達成後はすぐに、「(次戦の)ウィンブルドンでタイトルを獲りたい」「何度も、より多く体験したい」という思いが大きくなりました。
――ウィンブルドン(7月3日~16日:車いす部門15日~16日/イギリス)への対策は?
小田: サーフェスが芝なのでボールが滑りやすく、(全仏の)クレーコート並みに車いすがこぎづらいです。でも、サーフェスに関係なく、とにかく相手に主導権を握らせないことが一番重要です。(全仏決勝では)始まったときから最後のポイントまで貫けていたので、それが一番勝ちにつながったと思います。それができればウィンブルドンでも勝てるし、できなければ負けるでしょう。やるべきことははっきりしているので、試合に向けて基礎練習をコツコツやって、しっかり準備し、試合ではすべて出し切ること。それが勝ちへの道だと思います。
全仏オープンの優勝シャーレを感慨深げに見つめる小田選手。「(車いす男子シングルスの)レベルは相当高いし、これからは(ライバルから)勝ちに来られると思いますが、どれだけこれまでと変わらない心境で迎えられるか、ランキング1位を意識しすぎずに戦うことが重要だと思っています」
――国枝慎吾さんと比べられることも多いが、今の思いは?
小田: 僕が追いかけていた国枝選手が1位のまま(1月に)引退されて、その後1位になったイギリス選手から取り返した1位。日本人が常に世界の1位を担っていけるように、「1位は渡さないぞ」という気持ちも(全仏への)強いモチベーションでした。国枝さんには全仏前に日本で練習をお願いし、いろんなアドバイスをもらっていました。実戦で生かすことができたし、褒めてもらえたので、うれしいです。
――国枝さんはグランドスラムで50回制覇しているが、50回という数字については?
小田: いや~、まだまだ長い道のりだなと感じます。ただ、まだ現役生活はつづくので、そのなかで数字が近くなれば、意識するかもしれません。
――国枝さんの後継者と言われることには?
小田: うれしいですけど、常に「俺は小田凱人なんだ」という感情が少しあって、国枝慎吾2世ではなくて、小田凱人として見てほしいし、「車いすテニスの小田凱人」という伝わり方をしてほしいと思っています。そのためには結果を残さなければという責任感もあります。これまで国枝さんが作ってきたものがあると思いますが、これからは自分が新しい道で作っていきたいです。
――車いすテニスを始めて約7年での快挙達成への思いは?
小田: グランドスラム優勝と世界ランキング1位という目標は7年前から何一つ変わっていません。始めた頃から世界1位になれると思ってプレイしていたし、世界1位のプレイや立ち居振る舞いも常に想像しながら行動していました。見様見真似でやってきましたが、目指していたところに今、たどり着いた感覚があります。
ただ、理想像やテニスの内容など自分の求めていることはまだ先にあり、辿り着いていないので、(これから)求めていきたいです。
ーー全仏オープン優勝の前後で変化した部分は?
小田: 変っていません。ランキングは1位になり、応援してくれる人は増えましたが、自分の感覚や価値観は変わらないし、変わらずにいるべきだと思っています。
所属する東海理化の二之夕裕美代表取締役社長(右)から花束を渡された小田選手。その他、スポンサー各社からの祝福にも応え、「僕を信じていただいた皆さんに、結果で恩返しできているかなと思います。(タイトルは)僕が獲りましたが、みんなで獲った世界一です」
――小学3年生で骨肉腫を発症し、サッカーなど失ったものもあったと思うが、新たな目標を見つけて頑張れた理由は?
小田: 周りの影響もあってサッカーを始めましたが、とにかくビッグになりたい、有名になりたいという気持ちが強かったです。車いすテニスを見た瞬間に、「これならやっていける」「これでやっていく」という決意をし、そこからは車いすテニスにすべてをかけてきました。
――ご両親の影響は?
小田: メンタルや試合の運び方にはものすごく深く関係しています。「お前ならできる」という教育方針のなかで育てられ、自己暗示というか、自分の土台になっています。
(全仏決勝の)試合後はロッカールームでビデオ通話し、「やったぞ」と言ったら、すごい喜んでくれました。父親から、「俺は勝てると思っていた」と言われて、信じてくれていたんだなと思いました。
――年間グランドスラムへの意識は?
小田: 年間グランドスラムは、今はそれほど意識していません。それよりも、次のウィンブルドンをしっかりとること。段階を踏んで行けば、(年間グランドスラムに)つながると思います。(タイトルを)何回獲れるか、自分でも楽しみなところです。
パラスポーツなのでパラリンピックは僕のなかではいちばん意識しているし、4年に1度なので、それだけ貴重な舞台だと思います。
――全仏の会場、ローランギャロスは来年のパリ・パラリンピックの会場でもある。ここでの初優勝は来年に向けての弾みに?
小田: パリ・パラリンピックはすごく意識しています。同じ会場で、決勝はセンターコートでプレイができ、車いすテニスにとっては意義のあることだと思います。試合中は(パラリンピックは)意識していませんでしたが、ここでできたことは有利かなと思います。
――今後の目標は?
小田: 今回、2つの目標は達成できたので、ランキングはこれからどれくらい維持できるか、グランドスラムはこれから何回獲れるかが、今は目標です。これまでは、「俺ならできる」と思ってやってきましたが、優勝してみて、「俺にしかできない」という気持ちに変化しました。これからも、そういう気持ちで頑張りたいし、自分が車いすテニスをよりメジャーで、誰もが知っている競技にしていきたいです。
目標や夢は口に出していかないといけないと思います。これまで病気と闘う子や入院中の子どもたちを意識してきましたが、今は障害の有無に関わらず、子どもたちが憧れる選手になっていきたい。夢には少し近づけたかなと思います。
・・・・・・「凱人」の「凱」は勝利の意味を持ち、名前の由来だという「パリの凱旋門」には、優勝後初めて訪れたという小田選手。「すごくカッコよかった。たくさん写真を撮ったので、待ち受けにしたい」と笑顔で話していました。
これからのさらなる活躍が、本当に楽しみです。
(文・写真:星野恭子)