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2020年東京五輪招致をどう考える(玉木正之)

この原稿は、現在発売中のTBSメディア情報研究所が発行する隔月刊誌『調査情報』2012年7-8月号の特集企画『初参加から100年 オリンピックと日本人』のなかの「2020年東京招致~私はこう考える」に書いたものです。私を含めて23人の方が「2020年東京五輪招致」に対する「考え」を述べてます。
そのうち、招致に「基本的に賛成」の人は(私が文章を読んだ限りの判断ですが)、私を含めて(保阪正康氏、関川夏央氏、森永卓郎氏など)12人。「基本的に反対」の人は(大宅映子氏、中野翠氏、内田樹氏など)8人。「どちらでもない」または「不明」の人は(後藤正治氏など)3人です。
その詳細は、私の文章のあとに、短い引用とともに紹介します。詳しくは、もちろん只今発売中の『調査情報』をお読みください。


2020年東京招致~私はこう考える

東京五輪招致には基本的に賛成です。
昨秋は石巻市の『武道フェスティバル』(東京都後援)に参加し、東京五輪と被災地の連携活動にも加わりました(今秋も予定)。

招致活動や五輪開催を通じて、日本のスポーツ環境が整備され、現代社会におけるスポーツの大きな価値が再認識され、企業とマスメディア主導のプロ・スポーツや教育(体育)界主導のアマチュア・スポーツなど、日本の歪んだスポーツ状況が見直され、スポーツ庁の新設でオリンピック(文科省)とパラリンピック(厚労省)に別れた組織の再編や、スポーツ関連予算の統合も進む……。

さらに福島原発事故の事後処理や電力供給に関する情報公開も国際信用問題として前進する……。

そう考えての五輪招致賛成でしたが、現在の東京都やJOCの動きは単に経済効果や利益誘導を狙ったイベント招致活動にも見え、今後どうすれば日本にとって有意義な招致活動になるか、現在考えているところです。

以上が、小生(玉木)の「東京五輪招致」に対する現時点での考えですが、以下、『調査情報』に登場した他の人の意見を紹介します。


2020年東京招致~私はこう考える
<基本的に賛成の人>
今野勉(演出家)「夕張出身者で作る東京夕張会の会長である私は、都に義理を果たすべく東京オリンピックに賛成の手をあげる」
中嶋嶺雄(国際教養大学理事長・学長)「2020年の夏季オリンピックは東京への招致をぜひ勝ち取って成功させてほしい」

保阪正康(ノンフィクション作家)「2020年の東京オリンピックに私は基本的に賛成で、それゆえに国際社会の新しいイデーを打ち樹ててのオリンピックを標榜したらどうだろう」

山内昌之(歴史学者)「東京オリンピック招致大賛成である」

関川夏央(作家)「なんであれ、大きな事業をやるのはいいことだと思う」

矢内廣(ぴあ株式会社代表取締役社長)「“復興五輪”とも呼ばれる2020年の東京開催の実現は、日本の将来にとって貴重な一歩」

長田渚(ノンフィクション作家)「それら(否定的要素=引用社註)を百も承知の上で、日本は五輪をやったほうがいいと思ってます」

森永卓郎(経済アナリスト)「今回こそ人生2度目の本格的オリンピックコレクションを実現したいと思います」

里見清一(臨床医)「このカネ塗れも祭典に僅かばかりの人間性を残すために、最も懐疑的な我が国で行うことこそベストではないだろうか」

小松成美(ノンフィクション作家)「2020年東京オリンピック・パラリンピック開催は日本スポーツの未来を築く機会だ」

茂木健一郎(脳科学者)「かつての東京オリンピックが、日本の高度経済成長の句読点となったように、2020年が実現すれば、新しい日本への活気となろう」

<基本的に反対の人>
大宅映子(評論家)「1952年のヘルシンキ・オリンピックをラジオで体験して以来のオリンピック・ウォッチャーを自認する私だが、東京へオリンピックを、という考えにはどうも賛成できない」

富野由悠季(アニメ演出家)「前回の招致より誘致の可能性が高いのは当然だが、前回の誘致運動の浪費を考えると賛同する季にはなれない」

松本健一(評論家・麗澤大学教授)「2024年か2028年に、日本が復興したことを世界にアピールする「ふくしまオリンピック」なら、わたしは大いに賛成しますが……」

中野翠(コラムニスト)「都市直下型地震の怖れも強い中でオリンピック招致という意図が、私にはもうひとつ理解できません」

内田樹(凱風館館長)「「ぜひ招致したい」という人が何をしたいのか、よく理解できません」

田中優子(法政大学教授)「まともな判断力と責任感を持った人間なら、わずか8年後に東京でオリンピックを実現するという決定は、とてもできないはずです」

斎藤貴男(ジャーナリスト)「絶対反対。東北の復興をダシに東京が儲けようとする性根が卑しすぎる」

香山リカ(精神科医)「東京オリンピックの招致に私は反対します」

<どちらでもない>
後藤正治(ノンフィクション作家)「都知事には申し訳なく思うが、東京に来てもよし、来なくてもよし」

<不明>
二宮清純(スポーツジャーナリスト)「東京にとって重要なのは「何故東京なのか?」「なぜ2回目なのか?」というIOC委員の疑問に対する明確な回答だ。(略)都民、国民も聞きたいはずである」

生島淳(スポーツジャーナリスト)「これは(東京都民の招致支持率の低さ=引用者註)「成熟都市」の宿命なのかと思う。(略)ある意味、それは不幸なことだ」


スポーツジャーナリストの2名は、基本的に招致賛成だと思うが、その前提があるためか、文章だけからは個人の意志としての賛否は読みとれない。

そして、これらの意見を読んで考え直したところ、現時点では、「招致反対派」の人たちの意見のほうが筋が通っているように、小生には思える。

なかでも、引用はしなかったが、秀逸すぎて思わず吹き出してしまったのは、田中優子氏の次の一文だ。
「ちなみにオリンピックで本当に経済が好転するなら、まずギリシャでやるべきでしょう」

これは鋭い皮肉である。ギリシャは、2004に1兆2千億円かけて五輪を開催したことが、経済破綻の引き金になったとも言われているのだから。

なのに、東京都が発表した「経済効果3兆円」とは、どんな意味があるのか?

また香山リカ氏は、「開催が成功すれば国際的評価も上がり、人々の自己肯定感も高まることが期待されるかもしれません。しかし、それはあくまでも一過性のもの」と書く。

加えて、原発問題、地震問題……etc。東京五輪で、メディアとスポーツ界の癒着解消は期待できず……となると……。

それでも「東京オリンピック1964」の素晴らしい思い出が忘れられない小生は、もう少し「招致賛成」の立場に立って、招致の可能性と、招致によってもたらされる「不利益」以上の「利益」について考え続けてみたいと思います。