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競歩は素晴らしい人間的競技

 五輪ローマ大会ボートの金メダリストであり哲学者でもあるハンス・レンクは、「より速く・より高く・より強く」というオリンピックのモットーに「より美しく」「より人間らしく」の二つを加えた。

 

 男子20キロ競歩で鈴木雄介選手が世界新記録を樹立というニュースを聞いて、そのことが頭に浮かんだ。

 

 競歩は面白いスポーツである。「より速く」というなら走るべきなのに、なぜ歩く?

「直立二足歩行」は、あらゆる生物のなかで人間だけが身に付けた技術である。その技術を磨き、洗練させた競技が競歩なら、それはレンクの言う「より人間らしく」にぴったりの、まさに現代人のスポーツと言えよう。

 

「より速く」を競うなら動物も参加できる(そして人間は負ける)。が、競歩は人間しかできず、人間しか参加できない、最も人間的なスポーツなのだ。

 

 20キロ、50キロと長距離を競う競歩は、前後左右を「歩く」選手との駆け引きがマラソン以上に存在する。急にペースを上げたり、落としたりしてライバルを心理的に揺さぶったり、スパートしているように見せかけて、力を抑え、蓄えていたり……。

 

 マラソンほどスピードが出ていないため、周囲の選手の「歩き」がより目に入り、心理的格闘(駆け引き)が激しくなる。より人間らしい、人間ならではの闘いが展開されるのだ。

 

 人間の「歩く」という行為は大昔から存在した。が、スポーツ競技となったのは新しく、古代オリンピックには競走は存在しても競歩は存在しない。近代五輪でも正式種目となったのは1908年第4回ロンドン大会から。

 

「走る」ことは人類が生きて行く(獲物を捕る)うえで自然に競い合った。が、「歩く」ことを競い合うようになるには人間としての自覚が必要だったようだ。

 

 その「人間らしい」種目で日本人が世界新記録を樹立したことを、心から喜びたい。

 

(玉木正之)

※毎日新聞3/21「時評点描」+NBSオリジナル

PHOTO by Tomisti [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html) or CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/)], via Wikimedia Commons