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週刊Jリーグ通信 第3節「ルール違反が前提の『バニシングスプレー』」

 2連勝で首位に並んでいたサンフレッチェ広島と浦和レッズ直接対決で0-0、得失点差で3位だったサガン鳥栖は横浜F・マリノスに0-1で敗れ、J1は第3節で早くも「全勝」がいなくなった。今季も「混戦リーグ」になりそうだ。

 

 さて、選手が着用するウェアやシューズは近年軽くなる一方だが、レフェリーたちはどんどん重荷を背負わされている。

 

 Jリーグが始まった1993年ごろに導入されたのが「シグナルビップ」と呼ばれるシステム。副審のもつフラッグの「持ち手」のところにボタンがあり、それを押すと、無線で主審の二の腕に巻いた「シグナルボックス」が振動して注意を喚起できるというものだ。

 

 昨年には、主審と副審、第4審判を結ぶコミュニケーションシステムが使われるようになった。互いに話すことができる無線通信だが、イヤホンとマイクのユニット頭につけるとともに、送受信装置の本体を腰のところに差し込んである。

 

 スタンドから見ると、レフェリーたちは軽やかに走っている。しかしシャツを脱がせてみると、その下には実にいろいろなものを身につけているのだ。

 

 そしてことし、主審だけだが、さらに「荷物」が増えた。腰につけた「バニシングスプレー」だ。ゴール近くのフリーキック(FK)のとき、主審がピッチにシェービングフォームのようなもので白い線を引くあのスプレーだ。この線は、吹きつけてから1分後で消えて見えなくなり、その後のプレーに支障を来さないというところがミソだ。

 

 このスプレーの存在を私が初めて知ったのは2009年の1月。前年にアルゼンチンで開発され、2部リーグの試合でテスト使用、その結果を受けて、この年から1部リーグで使用することになったというニュースだった。

 

 FKのとき、相手側の選手は10ヤード(9.15メートル)以上離れなければならない。しかし素直に9.15メートルまで下がるチームなど、おそらく世界中にひとつもない。6~7メートルほどのところに並んで「壁」をつくり、主審がここまで下がれと命じるまで下がらない。そしていったんは下がっても、足踏みするような動作を繰り返し、FKがけられるまでに50センチ以上ボールに近づいていることも少なくなかった。

 

 すると主審は笛を吹いてFKがけられるのを止め、守備側にまた下がれと命じる。そうしたことで時間が浪費されるのを防ぎ、FKが正しく行われるようにするのが、このスプレー使用の目的だ。

 

 発明者はパブロ。シルバという名のアルゼンチン人ジャーナリスト。自分自身の試合で相手が近づいてきたために試合終了間際のFKが得点にならなかったのを恨み、塗料メーカーと研究を重ねたという。

 

 昨年のワールドカップで導入され、その結果を受けて昨年秋から世界中で爆発的に広まった。いまでは生産が追いつかないという。

 

 日本では昨年10月のナビスコ杯決勝で初めて使われ、ことしのJリーグでは全試合で使われることになった。

 

 だが、私の率直な感想を言えば、これほどサッカーの価値を落とすものを喜んで使っている人びとの気が知れない。

 

 ルールの第13条(フリーキック)に、「すべての相手競技者は、ボールがインプレーになるまで9.15m(10ヤード)以上ボールから離れなければならない」と明記されている。

 

 ところが「バニシングスプレー」は、このルールが守られないことを前提に使われる。

 

 サッカー選手なら、9.15メートルがどの程度の距離か、ほとんど1メートル以内の誤差でわかるはずだ(そうでなければ、なぜける側が「壁が近い」と主審にアピールできるだろうか)。6メートル、7メートルのところに壁をつくるのは、相手にすぐけらせないよう、時間かせぎをしているだけなのだ。

 

 9.15メートルのところにラインを引くことによって、主審の命令でいちど下がったところからじりじりと出てくるのは阻止できるとしても、「9.15メートル離れない」という「明白なルール違反」には目をつむるどころか、「公認」してしまっているのだ。

 

 3月22日の第3節、私は平塚でベルマーレ平塚×ベガルタ仙台を見た。主審は昨年のワールドカップに出場した西村雄一さん。Jリーグの他の主審は1試合に1、2回しかスプレーを使わないが、西村主審は惜しげなくどんどん使った。

 

 しかしやるべきことは、ファウルがあってFKになったとき、守備側チームの選手たちにまず「10ヤード離れましょう」と言うことではなかったか。それで離れないなら、その壁の選手たちに警告のイエローカードを出す。そして攻撃側チームの選手に確認してからプレーを止め、壁を下げる。

 

 日本の主審たちだけの話ではなく、世界中の主審が「10ヤード離れない」という違反に対して驚くほど寛容だ。だが、ただ広げた腕に相手がけったボールが偶然当たっただけの選手にイエローカードを出すより、「意図的に下がらない」選手に出すほうがよほど理にかなっている。

 

 サッカー界がまず取り組むべきことは、どうしたら、選手たちが自主的に9.15メートル離れるようになるのかを模索することであるはずだ。それを黙認(あるいは公認)して主審の腰に不必要な荷物(スプレー)をくくりつけることではない。

 

 数えたわけではないが、湘南×仙台で西村主審がスプレーを使ったのは、5回を下回らなかっただろう。そして西村主審がスプレーで線を引くだけで時間がずいぶん使われたように感じた。

 

 もちろん、スプレーを使う主審が悪いのではない。悪いのは、使わざるをえなくする選手たちだ。「FKになったら、6~7メートル程度のところに壁をつくれ」と指示している(あるいは選手たちがそうしているのを放置している)監督たちだ。

 

 「ルール違反」が前提の競技が、「スポーツ」と言えるだろうか。

 

(大住良之)

PHOTO by Вячеслав Евдокимов (fc-zenit.ru) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons