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「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(443) 札幌でノルディックスキーのアジア杯開催。ウクライナ選手団も招待参加。「スキーで母国に力を」

日本をはじめ5カ国から約40選手が出場した、「CO・OP2023FISパラ・ノルディックスキーアジアカップ札幌大会~ウクライナ特別招待・親善大会~」が3月18日から21日まで白旗山競技場(札幌市)で開催されました。北京パラリンピック金メダルの川除大輝選手(日大/日立ソリューションズJSC)らがクロスカントリースキーの3種目で熱戦を展開するとともに、スポーツの力と平和への思いを新たにする機会となりました。

コロナ禍により国内では4年ぶりとなる国際大会として、アジアからカザフスタン、韓国、モンゴルが、そして招待国としてウクライナが参加し、北京パラ代表から若手選手まで今季最後のレースで躍動しました。

大会初日は5kmクラシカルのレースが行われ、男女別に3つの障害クラス(立位、視覚、座位)が混合で競う「コンバインド」形式で競い、日本選手は男子の部で川除選手が1位、新田佳浩選手(日立ソリューションズ)が2位と並んで表彰台に上りました。両選手は立位クラスですが、3位には座位(シットスキー)のバル・パヴロ選手(ウクライナ)が入りました。

大会初日の5㎞クラシカル男子の表彰式。左から、2位の新田佳浩選手、1位の川除大輝選手、3位のバル・パヴロ選手(ウクライナ)

大会2日目のスプリント・クラシカルのレースは3クラスだけでなく男女も混合となる「オールコンバインド」形式で行われ、予選、準決勝、決勝の結果、日本選手では新田選手が2位となりました。1位はパヴロ選手(ウクライナ)、3位はシン・ウィヒョン選手(韓国)という座位選手が入りました。準決勝では12人中4人がウクライナの女子選手という健闘を見せました。

最終日の10㎞フリーのレースは男女別・障害クラス別で実施され、日本選手は男子立位で川除選手が2位、新田選手が3位、同視覚障害で有安諒平選手(東急イーライフデザイン/杏林大学)が藤田佑平ガイド(スポーツフィールド)とのペアで3位となりました。

川除選手は今季、ワールドカップ総合初優勝も果たし、今大会でも初日に優勝、2日目は4位入賞、最終日は2位と安定した強さを発揮しました。「体幹の強化など体づくりの成果も出たシーズンだった」と手応えを語り、社会人となる来季について、「自分で考えて練習を組み立てながら、最大スピードをあげ維持できる滑りを目指していきたい」と、さらなる進化を誓っていました。

北京パラリンピックで自身初の金メダルに輝き、今季は初のワールドカップ総合優勝も果たし、進化しつづける川除大輝選手。今大会最終日の10㎞フリーでも力走を見せ、銀メダルを獲得

■平和へのメッセージを強く伝えた、ウクライナ選手団
今大会にはもう一つ、大きな開催目的がありました。大会名称に「ウクライナ特別招待・親善大会」とあるように、ロシアの軍事侵攻により、いまだ戦禍のなかにあるウクライナ選手団を日本障害者スキー連盟が実施した募金活動によって招待し、スポーツの力による世界平和へのメッセージを強く発信すること、です。

今大会、ウクライナからは北京パラリンピックメダリストたちを含む12選手が来日し、計13個のメダルを獲得する力強いパフォーマンスを見せてくれました。また、今大会を通して他国の選手たちと積極的に交流したり、レース後に称え合ったりする姿も印象的でした。

「ウクライナチームが参加してくれてレベルの高いレースができるし、交流しあえることも嬉しい」と話した新田選手をはじめ、日本選手たちも来日を歓迎し、競り合いのある面白いレースを見せてくれました。

大会初日を終え、笑顔で記念撮影に応じるウクライナ選手団。レースでも、力強いパフォーマンスを見せた

大会期間中に、選手団主将のグレゴリー・ボブチンスキー選手とアンドリー・ネステレンコ監督が合同インタビューに応じてくれました。ボブチンスキー主将はまず、「今回は招待いただき、本当に感謝している。強豪選手たちと日本で戦えることはチームにとって大きな力になる」と話すとともに、「一日も早く戦争が終わるように、皆さんのさらなる支援を」と呼びかけ、複雑な心境ものぞかせました。

ネステレンコ監督は戦禍のウクライナでは今、チーム強化費の工面は大きな課題であり、「日本の連盟のおかげで、ほぼフルチームで参加できた。そもそも(障害者スキーの)国際大会は数が少ないので貴重な機会になった。大好きな日本でシーズンを締めくくれることも嬉しい」と日本側の支援に感謝しました。

インタビューに応じるウクライナ選手団のグレゴリー・ボブチンスキー主将(左)とアンドリー・ネステレンコ監督

昨年開催された北京パラリンピックでウクライナチームはノルディックスキー競技を中心に、チーム史上最多となる金11個を含む計29個のメダルを獲得する活躍を見せました。ロシアによるウクライナ侵攻が始まったのは大会が開幕した3月4日からわずか10日前の2月24日のことです。出場さえ危ぶまれたウクライナ選手団でしたが、強靭なフィジカルとメンタルで懸命に戦いつづけ、メダルを量産。戦火に苦しむ母国に大きな勇気と希望を与えるとともに、世界の人々に平和の大切さについて強く訴えかけました。

ネステレンコ監督はまた、北京パラ直前のチーム状況についてもつぶさに語ってくれました。実はロシアの侵攻が始まった日はイタリアでの合宿最終日で、ウクライナに帰国する途中で侵攻を知り、空路も封鎖されたことからイタリアに足止め。その間、スキー用具はウクライナへ送付後だったため、選手は最終調整もままならないなか、約1週間後に直接北京入りする過酷な状況だったそうです。

「本当に多くの支援のおかげで、北京パラに出場できた。(素晴らしい)結果にはとても驚いた。母国や家族たちに起きている、誰もが経験したことのない大変な事態にも関わらず、選手たちはそれぞれ力いっぱい戦った」と、改めてチームを称えました。

北京パラで金5個を獲得するなど結果でもチームを牽引したボブチンスキー主将はキャプテンとして、「北京では、母国にいる家族を心配し動揺するチームメートとコミュニケーションを取ることに努めた。自分たちにできることはスキーだけ。ここ(北京)でベストを尽くそうと話した」と言い、チームの士気を高めたことを振り返りました。

当時から約1年が経ってもなお、ロシアの侵攻はつづいており、自宅が占領地域にあるため、まだ帰宅できていない選手や戦火から逃れるため家族とともにより安全な地域に避難した選手もいるそうです。

それでも、多くの選手は比較的安全なウクライナ西部にあるスキー連盟の練習施設で合宿をつづけながら、次の2026年ミラノ・コルティナ冬季パラリンピックへの出場を目指しています。

ボブチンスキー主将は北京パラから帰国したとき、母国から大歓迎を受け、「皆の希望になれた」ことを実感し、次のミラノ大会で「もう一度」と、強く誓っているそうです。

「日本をはじめ、多くの支援のおかげで競技をつづけられている。なかでも、母国を守るために戦ってくれている多くの兵士たちに感謝している。ロシアの侵攻を止めようと、自らの命を懸けて橋を爆破した兵士もいたんだ。私にできることはスキー。滑ることで『戦争でなく、スポーツで戦おう』というメッセージを世界中に伝えたい」

願わくは、3年後のパラリンピックは開幕から、ただ純粋にスポーツの勝負を楽しめる日々が戻っていることを祈ります。

大会初日の5㎞クラシカルレースのフィニッシュエリアで、ウクライナのグレゴリー・ボブチンスキー選手(中央)を迎える新田佳浩選手(左)と佐藤圭一選手(右)。3人は長年、よきライバルであり、称え合う仲間同士だ

(文・写真: 星野恭子)