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荒井太郎のどすこい土俵批評(13) 白鵬は本当に大横綱か?大相撲の歴史は断絶したのか?

 双葉山の69連勝とともに大鵬の優勝32回は“聖域”のように言われ、もはや抜く力士など現れないと長年、思われてきた。そんな大記録に白鵬は並んだ。

 

「この時代に生まれてよかった」

 優勝回数が30回の大台に乗った先の名古屋場所の一夜明け会見で、白鵬自身がそう語った。確かにライバル不在のこの時代だからこそ、これほどのハイペースで優勝回数を重ねることができたのかもしれないが、歴代横綱の中でもその強さは間違いなく上位にランクされるであろう。

 

 しかし、稽古の番数は決して多い力士ではない。ここ数年はさらにそれが激減し、巡業で申し合いを行う機会もめっきりなくなった。その代わり、土俵に入る前にこれほど体を入念に動かす力士もいない。ストレッチに始まり、腰を十分に割った四股やすり足。あの柔らかい足腰はこうした基礎運動をみっちりやってきた賜物であり、見方によっては相撲を取るよりきつい稽古でもある。他の力士にも是非、見習ってもらいたい点である。けがに強い体はこうして作られるのであり、横綱昇進以降、7年以上にもわたって休場が1日もないのもうなずける。

 

 反射神経のよさと抜群のバランス感覚もこの横綱の強みである。押し込まれたりいなされたりして不利な体勢になっても、向き直るのが他の力士よりもはるかに速い。スローVTRを見れば、それは一目瞭然だ。おそらく股関節が柔らかいのと体幹の強さが際立っているのだろう。

 

 加えて人一倍、研究熱心であることも強さを支えている。往年の名力士の取り口を何度も映像で見るのはもちろん、初顔で当たりそうな相手については場所前、自ら出稽古に行き、実際に肌を合わせて感触をつかむなど抜かりはない。

 

 このような不断の努力が歴史的偉業を結実させた。我々はまさに大相撲200年余の長い歴史の中でも、非常にレアなケースを目の当たりにしたわけだが、不思議と世間の関心はさほど集めなかったように思う。テレビ中継の解説でおなじみの元横綱北の富士勝昭氏も「別世界の出来事のようだ」と語っていた。なぜ、こうした現象になるのか。今の大相撲は昔のそれとはどこか異質なものになってしまったという共通認識が、日本人の潜在意識の中に存在するからではないだろうか。

 我々が抱く理想の横綱像は明治、大正、昭和戦前から「栃若」「柏鵬」「北玉」「輪湖」の各時代を経て、曙、貴乃花、武蔵丸まで、何となくだが確かに綿々と受け継がれてきたように思う。それがある時、断絶してしまった…。

 

 平成15年初場所で横綱貴乃花が引退し、場所後に朝青龍が横綱に昇進した。既存の貴乃花、武蔵丸の両横綱はいずれも休場などで、綱取り直前2場所で朝青龍は横綱との対戦はなく、さらに大関は5人もいたが休場者続出。自分以外に優勝戦線に絡んだ大関もなく、上位陣の“洗礼”を浴びないまま連覇で綱を張った。過去には玉錦や曙のように“横綱不在時代”に昇進したケースはあるが、当時は強力なライバルがひしめいていた。その点、朝青龍はラッキーな昇進と言えたがもちろん、本人には何の非もない。しかし、後のことを思えばそれは不幸なことであった。

 

 武蔵丸はなおも横綱として番付に名を残していたが連続休場の末、同年九州場所で引退。朝青龍との横綱同士の一番は実現せず、“モンゴルの蒼き狼”は新横綱場所から実質的な“一人天下”であった。

 

 「強ければ何でも許される」と言わんばかりの、まるで“王様ぶり”を誇示するかような土俵上の傍若無人な振る舞いは記憶に新しい。それを尻目に横綱に昇進したのが白鵬だ。大記録達成の一方で、最近の土俵態度はまるでモンゴルの先輩横綱を倣うかのように悪化しているのが残念でならない。

 

 先の名古屋場所は立ち合いで変化した豊真将に対し、無用な駄目押しをした上に土俵を降りてもなお相手をにらみ続けた。先場所の照ノ富士戦では土俵下に落ちた相手の背中を思い切り突き飛ばした。いずれも「流れ」や勝負直後で気合いが抜け切れなかったといったことでは説明がつかない“蛮行”であり、自身の牙城を少しでも揺るがそうとする者は容赦しないといった威嚇にも見える。

 

 強さの飽くなき探求、賜盃への並々ならぬこだわりにおいて、白鵬の右に出る者はいない。優勝を左右する稀勢の里戦で見せる、意図的にタイミングをずらした立ち合いの手つきなどはその表れだ。全身が汗で光っているにもかかわらず、それを拭おうとしないのも戦略的のようにすら思える。試合に勝つためにルールぎりぎりのところを突くのは、競技スポーツの見地からは悪くない。ただし、大相撲というスポーツであってスポーツでない日本独特な文化の中で「正々堂々と受けて立つ」という、我々が昔から育んできた横綱像とは相容れないものがある。

 

 断絶した溝が埋まらないまま、優勝インタビューで明治天皇や大久保利通の名前を持ち出し、わが国固有の伝統文化の話をされても、相撲を愛する日本人の胸には響かない。“大鵬超え”をまさに果たさんとする今、白鵬の目指すべき道は史上最強の「グランドチャンピオン」ではなく、心技体を極めた「日下開山」でなくてはならない。そんなことはもちろん、本人は承知済みであろうが…。

 

(荒井太郎)

PHOTO by FourTildes (Own work) [CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons