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星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ<号外> ブラインドサッカー世界選手権が示した、パラスポーツの可能性

■壁を乗り越え、固定観念を変えた英断

 視覚障害者がプレイするブラインドサッカーの世界選手権が11月下旬、東京・渋谷区で開催された。6回目にして初めてアジアで行われた4年に1度の大会には、史上最大の全12カ国が参加。3回目の出場となった日本は過去最高の6位になり、世界王者のブラジルが2大会連続4度目の優勝を果たして幕を閉じた。それは、日本のパラスポーツ界に大きな可能性を示した大会だったと思う。

【写真上:開幕戦で、ドリブルで攻め込む、日本の川村怜選手(中央)=2014年11月16日/国立代々木競技場フットサルコート】

 

 ブラインドサッカーはフットサルコートで行う5人制のサッカー。4人のフィールドプレイヤー(FP)は視覚障害者で、視力の差を公平にするためアイマスクをつけてプレイする。晴眼者が務めるゴールキーパー、相手ゴールの裏に立つコーラーと呼ばれるガイド、センターライン付近のピッチ外に立つ監督の3人がFPの目の代わりとなり、情報や指示を声で与える。ボールには特殊な鈴が入っていて動くとシャカシャカ音がする。FPは周囲の声とボールの音を頼りにプレイする。

 

 今回渋谷で行われた世界選手権の特徴は、「有料制」で実施されたことだ。日本ブラインドサッカー協会(JBFA)が主催する試合としては初めてで、パラスポーツ全体で考えても日本国内での実績はほとんどない。「有料にして、観客は入るのか?」という不安は少なくなかった。

 

 それでも有料制に踏み切ったのは、「より多くの人にブラインドサッカーを見てもらうこと」を第一に、ファンの利便性を考え、JR原宿駅から至近の国立代々木競技場フットサルコートを会場に選んだからだ。JBFAによれば、手頃な賃貸料で、常設スタンドのある地方の会場も候補にあったが、あえて賃貸料が高く仮設スタンドの設置費用もかかる同フットサルコートを選んだ。この経費を賄うためにも有料にせざるを得なかったのだ。

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【開幕戦でパラグアイを1-0で下し、満員の観客と喜びを分かち合う日本代表=2014年11月16日/国立代々木競技場フットサルコート】

 

 結果的に、以前からの熱心なサポーターだけでなく、「ちょっと見てみよう」という初観戦者を呼び込むことに成功した。1300席の有料(*)スタンドの開幕戦と決勝戦のチケットは完売し、日本戦を中心に多くの観客が訪れ、平日夜には会社帰りらしきスーツ姿の男性も目立った。全9日間の入場者数の合計は、6000人を超えた。他の競技団体関係者も大勢視察に訪れ、パラスポーツの会場としてはかつてないほどの報道陣が押し寄せた。ブラインドサッカーを知ってもらい、楽しんでもらう仕掛けとして、東京の中心に会場を設定した英断は、大成功したと言えるだろう。

 

(*)自由・指定席の別や試合時間帯、対戦カードなどで異なり、価格は500円から2500円まで。高校生以下は入場無料となる試合もあった。

■選手のためのスポーツから、観客に見せるスポーツへ

「ニュースで見て、生で見たくなった」「一度観戦して面白かったから、また来た」――会場で耳にした観客の声だ。ブラインドサッカーが彼らを魅了した要因はなんだろうか。今大会アンバサダーを勤めた、日本サッカー協会理事で元日本代表の北澤豪さんは、出会ってから10年以上経つというブラインドサッカーを、「障害者スポーツの入り口」と表現した。それは、ルールが一般のサッカーに近いので分かりやすい。また障害者と健常者が一緒にプレイでき、国内リーグでは健常者がアイマスクをつけてFPを勤めるチームもあるなど、障害の有無に関わらず、誰もが関わりやすいスポーツという意味だ。

 

 また、障害者のスポーツという一般的なイメージを超えたハイレベルなプレーも魅力だ。見えない状態でのサッカーでは選手同士やサイドフェンスとの衝突は避けがたい。だが、選手は体を張り、果敢でひたむきなプレイを繰り返す。足に吸い付くような独特のドリブルでディフェンスの間をすり抜けていく足技や枠をとらえる強烈なシュートにも観客はどよめき、歓声をあげた。さらには、サイドチェンジのパスも見事に通すブラジルチームの妙技や中国選手の高速ドリブルには、「見えてるんじゃないの?」という驚きの声さえ、漏れ聞えたほどだ。

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【体を寄せてディフェンスをする、ブラジル主将のリカルド・アウベス選手(右から2人目)=2014年11月17日/国立代々木競技場フットサルコート】

 

 日本代表の活躍も大きかった。6試合中、3得点に対して失点はPKによる1点だけと、堅守速攻の持ち味を存分に発揮した。1次リーグを1勝2分けで突破後、中国との準々決勝はPK戦で惜しくも涙をのみ、目標のベスト4にはあと一歩及ばなかったが、大陸予選を勝ち抜いた強豪12カ国中の6位は大健闘だった。2016年リオデジャネイロ大会でのパラリンピック初出場とメダル獲得をめざすという次の目標へ、期待が大きく膨らんだ。代表が強くなることは、競技人口やファンの数を増やす絶対的な武器である。

 

 私は今大会初日、開幕戦をピッチ際で取材していて、満員のスタンドから降ってくる「お~っ」というどよめきに包まれ、自然に笑顔になっていた。パラスポーツを取材して約7年になるが、パラリンピック以外で満員の客席を見たのは初めて。入場無料の試合でさえ閑散としているのが普通だったから、単純に感動したのだ。

 

 日本代表の選手たちもみな、「幸せだった」「歓声が力になった」「苦しいときに背中を押してもらい、最後まで走れた」と感謝の言葉を口にし、魚住稿監督は「応援は選手の力にプラスαを与えてくれる。ボールに対する執着心を生み、見えないものを見えるように感じさせてくれる」と話した。ファンの応援は、まちがいなく選手のモチベーションを高め、力を引きだし、チームを強くする。

 

■観客満席化への取組み

 JBFAはチケット有料化に伴い、観客増に向けたさまざまな工夫や仕掛けを実施した。一つは、誰もが試合を楽しめるようなバリアフリー環境の提供だ。例えば、仮設スタンドには車いすエリアを設置し、視覚障害者の手引きや車いすのサポート、言語通訳などを担う専門スタッフ「リレーションクルー」を常駐させた。

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【日本の最終戦でメインスタンドからエールを送るサポーター。最前列は車いすエリア=2014年11月24日/国立代々木競技場フットサルコート】

 

 なかでも好評だったのは、実況中継用の携帯ラジオの貸し出しだ。基本的に静寂のなかで行われるブラインドサッカーの特性上、場内アナウンスでの実況はできない。イヤホンで聴く実況は視覚障害のある観客だけでなく、ブラインドサッカー初心者が競技を理解するのにも役立った。ただし、今回は日本語版だけだったので、外国人観客の要望に応えられるよう、少なくとも英語版を用意することは今後の課題だろう。

 

 ピッチ横の広場では毎日、クイズラリーなどの催しや活動も行われていた。ブラインドサッカー体験会も人気で、観戦前後に体験することで、選手の技の凄さをよりリアルに実感することに役立っていた。

 

 そうした観客サービスブースで活躍したのがボランティアだった。JBFAの発表では、事前に約400名が申し込み、大会期間中はのべ700人以上が活動した。JBFAの常連ボランティアだけでなく、今大会が初めてという人も多く、なかには企業単位で参加するグループもあったという。

 

 また、JBFAは頻繁なプレスリリースによる情報提供や大会公式ウェブサイトの構築など、広報活動も活発に行っていた。私たちメディアにとっても取材しやすく、結果として大会関連の報道が増え、競技の認知や普及に大きく貢献した。

■世界が認めた、応援スタイル

 サポーターの献身的な努力も見逃せない。ブラインドサッカーの日本での普及を以前からずっと支えてきた大学生主体のサッカー・サポーター団体「infinity(インフィニティ)」が、今回も活躍した。その一員であり、ブラインドサッカーチームでコーラーとしても活躍する青柳美希さんによれば、「インフィニティは、この世界選手権を2020年(東京パラリンピック)も見据えたおもてなしの第一歩にしようと考えた」という。

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【日本戦以外の試合では、こんな横断幕も客席に掲げられた=2014年11月21日/国立代々木競技場フットサルコート】

 そこで、「1校1国」として大学ごとに参加12カ国を割り当て、それぞれ担当する大使館やレストランなどを回って大会をPRし、応援や支援を募ったという。そのおかげもあり、多くの試合で客席に各国旗や母国語での声援が響いた。

 

 もうひとつ印象的だったのが客席を飾った細長い布だ。バンデラ、または襷(たすき)と呼ばれるもので、ブラジルなら黄色と緑、アルゼンチンなら水色というように国旗やチームカラーにちなんだ色合いの布を掲げ、「ようこそ日本へ。がんばって」というメッセージを込めた。最初は空席を埋める役割も担っていたが、大会が進むにつれてバンデラの登場は減っていった。座席が観客で埋まるようになったからだ。

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【ブラジル対中国戦で、客席を埋めるバンデラ=2014年11月20日/国立代々木競技場フットサルコート】

 

 共催した国際視覚障害者スポーツ連盟(IBSA)の会長は、日本の応援にはホスピタリティがあふれ、最高だったと評価した。外国選手からも好評だった。ブラジル主将で、大会MVPを獲得したリカルド・アウベス選手は「これまで世界選手権は3回出場したが、東京大会が一番よかった。サポーターはどのチームに対しても同じように応援してくれて嬉しかった。本当に励まされた」と感謝した。

 

 インフィニティはまた、観戦マナーの指導でも貢献した。音を頼りにプレーするブラインドサッカーの場合、試合中は静かに見守らねばならない。だが、今大会は観戦初心者も多く、特に開幕戦ではゴール前でチャンスがくると、応援に熱が入る分、どうしても声を出してしまう観客が多かった。ボールの音がかき消され、選手のプレイに影響してしまう。そこで応援リーダーは次戦から、試合開始前に観客に対して、「チャンスが来たら、心の中でエールを!」と指南した。逆に試合中でも選手交代時など声を出せるタイミングには合図をして観客をリードした。最初はぎこちなかった応援も、しだいに声が大きくなり、メリハリのあるいい声援に変わっていった。また、決勝戦終了後にはすかさず、席を立とうとする観客に対し、「閉会式終了まで声援を続けてほしい」と呼びかけた。日本の応援が評価された陰にはサポーターたちのそんな努力があったのだ。

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【閉会式の観客席には各国言語で「ありがとう」と書かれた12チーム分の横断幕が並んだ。すべてサポーターの手づくりだ=2014年11月24日/国立代々木競技場フットサルコート】

 

 北澤さんは「今大会では初めて見に来てくださった方も多く、お金を払って見るだけの価値があるものだと思ってくださった方も少なくないと思う。有料にすれば、選手たちにはプレッシャーになるが、それを背負って戦うたくましさが今大会の日本代表にはあった。これは障害者スポーツの従来のイメージを覆す大きなこと。2020年に東京パラリンピックを迎える日本にとって、また他の障害者スポーツ団体にとって、大きな励みになるポジティブな大会だった」と全体を振り返った。

 

 北澤さんが言うように、ブラインドサッカー世界選手権はパラスポーツにおける有料制の成功モデルになったと同時に、見るスポーツとしての可能性についても他の競技団体に刺激と自信を与えたと思う。来年には16年リオ・パラリンピックに向けてどの競技もより一層活発になる。車椅子バスケットボールのアジア・オセアニア地区予選大会の千葉市での開催が決定しているほか、日本での国際大会開催が予定されている競技も少なくない。今大会を参考に、見せる側は競技を知らせ広めるための、そして見る側は競技を知り楽しむためのいいチャンスにしてほしい。それはきっと2020年に向けた大きなステップになるはずだ。

 

(星野恭子/文・写真)