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「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(403) デフリンピック日本代表、コロナ感染者増により、大会途中で無念の全競技出場辞退に

5月1日から15日まで、ブラジル南部のカシアスドスルで聴覚障害者を対象にした国際総合競技大会「デフリンピック」の第24回夏季大会が行われていました。パラリンピックなどと同様に4年に1度開催されており、本来は2021年12月の開催予定でしたが、コロナ禍により、この日程に延期されていました。

大会には主催する国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)に加盟する117カ国(2022年5月時点)中、73の国と地域から約2400選手が参加し、20競技で金メダルが争われました。

日本からも93選手(男子46人、女子47人)がエントリーし、大会初日から空手や水泳などで金メダルを獲得するなど、選手たちは重ねてきた努力の成果を大いに発揮しました。メダルの数は5月10日までに金12、銀8、銅10の計30個にまで増え、チーム史上最多記録を更新するほどの活躍。大会は後半戦に入って陸上競技などもスタートし、さらなるメダルの上積みが期待されていました。

ところが、残念なニュースが届きます。日本選手団の選手・スタッフから複数の新型コロナウイルス感染者が出たため、11日以降の全競技で出場を辞退することを決定したと、選手団を派遣している全日本ろうあ連盟スポーツ委員会が大会特設サイトで発表したのです。

同サイトによれば、大会序盤に女子サッカーチーム内に3名の感染者が発生し、その後、水泳競技チームでも5名の感染者が出て同チームは以降の試合で全選手参加を辞退しました。感染者はさらに増え、選手団149名中11名にまで増えた10日時点で、「帯同するメディカルチームと審議を重ね、感染者を分析した結果、感染源は各競技会場にある可能性が高いと判断し、日本選手団の命と安全を最優先に考え、断腸の思いではありますが、5月11日以降の全競技での試合を全て出場辞退することを決断しました」といった文書がサイトに掲載されました。

この時点ではまだ、陸上競技など感染者が出ていない競技チームもいくつかあったため、「全競技辞退」の決定は選手団内でも波紋を呼びました。たとえば、陸上チーム関係者が選手団本部へ再考の要望書を提出したり、日本国内でも有志による署名活動なども始められたりしました。

しかし、「全競技辞退」の決定は覆ることはなく、連覇を目指していた女子バレーボールチームや陸上男子4x100mリレーチームなどをはじめ、選手たちは無念の涙をのむこととなりました。

選手たちにとっては、ここまでの数年間もコロナ禍による生活や練習環境の変化、約半年の大会延期なども乗り越え、ようやく立った夢舞台でした。選手たちはスポーツや対外試合ができる喜びを表現するかのように躍動。先にお伝えしたように、出場を辞退する前日の10日までに史上最多となる計30個のメダルを獲得。うち12個は金メダルで、こちらも前回までの最多10個を上回りました。

金メダリストだけ抜粋すると、空手女子の小倉涼選手が2個(形と組手)、水泳で藤原慧選手が2個(男子400m自由形、同1500m自由形)、斎藤京香選手が1個(女子100mバタフライ)、茨隆太郎選手がなんと4個(男子200mと400mの個人メドレー、同100mバタフライ、同200m自由形)。さらに陸上で、佐々木琢磨選手が男子100mで、石田考正選手が男子ハンマー投げで、北谷宏人選手が同棒高跳びでそれぞれ1個ずつ獲得しています。

他にも、まだ試合を残していた選手も多く、出場辞退という状況になってしまった今、選手たちの無念さや悔しさは計り知れません。

と同時に、選手団としても、出場辞退の決定は苦渋の決断だったと思われます。というのも、選手団は5月11日付で、デフリンピック組織委員会やICSD、ICSD加盟国に対し、コロナ感染症予防対策についての責務を果たしていないといった内容の「抗議及び要望文」を送信しています。

公開された同文書によれば、今大会で組織委などが準備したコロナ予防対策はかなり不十分だったようです。たとえば、東京2020大会などでは予防対策集「プレイブック」が作成されましたが、デフリンピックでは具体的なガイドラインは出されていなかったようです。PCR検査についても、入国時にも実施されず、大会期間中も必要に応じて「自費で」受けるしかない状況だったようです。

そうした状況を聞くと、感染リスクは決して低くなく、試合を棄権する場合は罰金が課される決まりでもあったようですが、そんな中での出場辞退の判断は選手・スタッフの安全を考慮したうえでの仕方のないことだったかもしれません。とても難しい判断だったとは思いますが・・・・。ちなみに、選手団は、「抗議・要望文」のなかで、今回の出場辞退はコロナ感染症拡大防止のためだったとして、組織委に対し罰金の免除も要望しているようです。

いずれにしても、コロナの感染リスクのなかで戦った選手たち、そして、スタートラインに着くことがかなわなかった選手たち、あるいは感染してしまった選手・スタッフの皆さんの胸の内を思うと、本当にやり切れません。

選手団は今後、徐々に帰国となるようですが、無事に安全に、そして胸をはって帰ってきてほしいなと思います。

なお、デフリンピックは聴覚障害者のオリンピックとして、夏季大会は1924年にフランスで、冬季大会は1949年にオーストリアで初めて開催され、今に続いています。国際手話を共通言語としますが、競技ルールはほぼオリンピックに準じます。ただし、たとえば、陸上や水泳でのスタートは号砲でなく、光信号を使ったシステムが使われたり、サッカーでは主審も笛だけでなく旗も持つなど、「視覚情報」を駆使して競技が運営されるなどの特徴があります。

実は、次の2025年夏季大会は日本での開催を目指して誘致が進められています。開催国の決定はまだ先ですが、今回涙を飲んだ選手たちも含め、デフリンピアンや聴覚障害のある選手たちへのエールをぜひ、お願いします。

▼参考: 全日本ろうあ連盟スポーツ委員会 ブラジル2021デフリンピック特設サイト
https://www.jfd.or.jp/sc/brazil2021/

(文:星野恭子)