ノーボーダー・スポーツ/記事サムネイル

「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(387) 東京2020大会のレガシーを考えるシンポジウムに玉木主筆も登壇。「パラ観戦がスポーツの見方を変えるきっかけに」

1月12日、日本財団パラスポーツサポートセンターと日本福祉大学は共同で、「東京2020パラリンピック競技大会のレガシー」をテーマにオンラインでシンポジウムを開催し、同大会で創出されたレガシーや今後への活用などについて識者らが議論しました。シンポジウムは大きく3部に分かれ、最後の総合討論ではNOBORDER スポーツ編集長で主筆の玉木正之氏も登壇し、東京パラリンピック大会から得たことなどについて意見を交換しました。

まず、基調講演は東京2020大会組織委員会の中村英正ゲームズ・デリバリー・オフィサー(GDO)が、「東京大会を振り返って~東京2020モデルと片翼の小さな飛行機の物語~」と題して行いました。

基調講演を行った東京2020大会組織委員会の中村英正ゲームズ・デリバリー・オフィサー (提供:日本財団パラスポーツサポートセンター)

同組織委は今年6月をめどに解散の方向だと言い、すでに昨年中に大会運営を振り返り、約680ページにもわたる報告書を作成し、大会組織委ページで公開しています。中村氏は今回の講演でその中からパラリンピックに関する内容を抜粋して紹介しました。

「大会が延期されたこと、無観客での開催は歴史上、東京2020大会を位置付ける大きな特徴となるだろう」と述べ、延期や無観客開催の判断の経緯や感染症対策を講じながら開催した運営のノウハウがレガシーになると話しました。

また、今大会で進んだ「オリパラ一体」やバリアフリーの施設設計、ボランティアなど人財もレガシーであり、なかでも「オリパラ教育」によってパラスポーツの理念や共生社会の考え方が子どもたちの学びとなり、理解が深まったことの重要性を指摘しました。「大会と社会とのつながりもポイント」に挙げ、自治体や共生社会ホストタウンなどの取り組みや今後の協力体制の維持が課題としました。

組織委の詳細な振り返りについては下記の報告書をご参照ください。

▼東京2020大会の振り返りについて(2021年12月22日)
【リンク先
https://www.tokyo2020.jp/ja/%E6%9D%B1%E4%BA%AC2020%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%8C%AF%E3%82%8A%E8%BF%94%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.pdf

つづいて、日本福祉大学の藤田紀昭教授が2008年から定点観測してきたデータをもとに、「パラリンピック無形のレガシーは残ったか?」というテーマで研究報告を行いました。

とくに、1)パラスポーツにかかわる人々の認知度の変化、2)障害者や障害者スポーツに対する意識の変化、の2点に注目しており、たとえば、「パラリンピックを見たか?」という設問は2008年から徐々に見た人の割合が増えているのはもちろん、東京大会を観戦した人(1402人)の46%に「ポジティブな意識の変化」が見られたり、東京大会で初めてパラリンピックをみた人(419人)の63%に「障害のある人へのポジティブな意識の変化があった」といったデータが紹介されました。

こうしたデータからパラスポーツに対する認知度や意識の変化について、藤田教授は、「東京2020大会だけが要因とは言えないが、影響は大きかったのではないかと考えられる」と話しました。

最後に、藤田教授をモデレーターに総合討論が行われました。登壇したのは玉木主筆のほか、基調講演を行った中村氏、東京大会に陸上とトライアスロンで出場した土田和歌子選手、国際パラリンピック委員会(IPC)の理事で、パラリンピック教育教材「I’m Possible」の開発にも携わったマセソン美季氏、日本パラ陸上競技連盟専務理事の三井利仁氏の5人でした。

総合討論登壇者。左上から時計回りに、モデレーターを務めた藤田紀昭教授、マセソン美季氏、玉木正之主筆、土田和歌子選手(提供:日本財団パラスポーツサポートセンター)

玉木主筆は、「東京大会開催の意義」について問われ、「とにかく、開催されたことがレガシーになるのは事実。無観客は残念だったが、パラリンピックに接する人が増えたことは喜ばしいこと」と答えました。また、自身への影響として、「パラリンピック観戦がスポーツの見方を変えるきっかけとなった」と振り返り、今後も「パラリンピックにはナチュラルな注目の仕方をしていきたい」と話しました。

マセソン氏は、パラリンピックを題材にした教育を通した共生社会の推進にも長年携わってきて、子どもたちにとってパラスポーツが身近な存在になってきていることや教員の関わり方にも積極的な変化がみられるといった実感を紹介しました。例えば、以前は教員のなかに、「障害当事者でない自分が教えてもいいのか」といった不安な気持ちが見られたが、最近は、「パラリンピックを通して共生社会を構築するために、こんな課題があってこう取り組んでいる」など、自分たちで行動を起こした上での質問が寄せられるようになったなどポジティブな変化があったと手ごたえを語りました。

さらに、「よりよい社会づくりに終わりはない。常に改良するにはどうしたらよいか、行動をし続けることが大事。東京大会が開催されてよかったでなく、この動きを絶やさないように、教育プログラムを通して、子どもたちの中にレガシーを残していければと思っている」と前向きに語りました。

土田選手は現役選手の立場からコロナ下でのトレーニングや大会参加には苦労もあったと明かしたうえで、選手にとっての強化環境づくりの重要性を挙げ、今後の課題と指摘しました。土だ選手は障害を負ってパラスポーツを始めてから28年になるベテランですが、今後も、「可能性を感じられる限りは挑戦したいし、しっかりパフォーマンスを発揮したい」と車いすマラソンに絞って競技を続けることを明言。そのうえで、「多くの選手たちに背中を見せられるような選手でありたい」と意気込みを語りました。

三井氏は指導者の立場から、2013年の東京大会開催決定から競技力強化のために、オリンピックの強化コーチにもパラリンピック選手の強化に参画してもらうなど、「オリパラ一体」が進んだことをレガシーの一つに挙げました。トップコーチの指導により選手のモチベーションが変化したり、競技力向上により所属先など選手の待遇も改善したり、環境の変化も大きかったと話しました。今後は地域でのさらなる普及などにも努めたいと話しました。

中村氏は、「東京大会でやり残したこと」を聞かれ、「観客を入れられなかったこと」と答えましたが、今後、パラスポーツ観戦機会を積極的につくり、「2021年の夏を取り返すチャンスを」と期待を寄せました。また、安心・安全な大会開催について延期や無観客開催など、「一つのソリューションを示すことができた」と語り、「ゼロか100かでなく、さまざまなトライをして次へのステップにするというプロセスになれば、意味のある大会だったのではないか」と振り返りました。

今後については、「パラ教育を受けた子どもたちが20歳以上になった時、この社会は本当に変わっていくと思うし、そんな子どもたちを支えることに携わっていければ」と話していました。

約200人という聴講者からも多数の質問が寄せられ、登壇者による質疑応答も行われました。

マセソン氏も話しましたが、「歩みを止めないこと」が大事であり、歩みのスタートとなった東京大会はやはり大きなレガシーであると思います。一人一人の力は小さくても、この地球上で暮らすすべての人の価値や多様性を認め合い、支えあう意識をもつこと。そして、それぞれがより良い社会を目指して進み続けることが大切なのだと改めて感じさせられたシンポジウムでした。

(文:星野恭子)