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「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(383) 大分国際車いすマラソン、40回記念で大記録誕生。高速の新時代へ

「世界初の車いす単独のマラソン大会」として伝統ある、「大分国際車いすマラソン」。その「第40回記念大会」が11月21日、大分市で行われ、海外の3カ国4選手を含む131人が出走しました。昨年はコロナ禍の影響で延期され、代わりに国内在住選手のみの独自大会、「大分車いすマラソン2020」が行われたため、国際大会としては2年ぶりとなりました。

レースは3つの障害クラスに分かれ、男女別にマラソンの部とハーフの部が実施され、男子マラソンのT34/53/54クラスのレースは、スイスのマルセル・フグ選手が1時間17分47秒の世界新記録で3大会連続、9度目の優勝を果たしました。

日本勢トップで、2位に入った鈴木朋樹選手(トヨタ自動車)も1時間18分37秒をマークし、従来の日本記録を2分15秒も縮める新記録、また自らのもつアジア記録も塗り替える快走でした。晴天、微風と気象条件も味方し、記念大会にふさわしい好結果にわきました。

1時間17分47秒の世界新記録をマークし、優勝したマルセル・フグ選手=大分市営陸上競技場 (撮影:星野恭子)

今年から大分県庁前をスタートし、大分市営陸上競技場にフィニッシュするコースの中盤部分が変更されました。以前から安全性が指摘されていた、市街地を縫うように走り、細く小さなカーブがつづく「テクニカルコース」と呼ばれていた箇所がなくなり、大通り主体の直線がつづくコースへと一新されました。一定ペースを維持できる区間が増えたことで高速化し、記録更新への期待が高まっていましたが、期待以上の驚きのタイムが誕生しました。

世界新を樹立したフグ選手は東京パラリンピックでマラソンを含む4種目で金メダルを獲得した絶対王者。従来の記録は1999年の第19回大会で同じスイスの英雄、ハインツ・フライ選手が打ち立てたものですが、22年ぶりに2分27秒も一気に更新。しかも、コロナ禍でメジャーマラソンの開催日程が変更されたため、東京パラ以降、6大会を連戦した後での驚異の快挙でした。

「速すぎるタイムでの世界新記録で信じられません。夢かと思うくらい、うれしいです。気象条件もパーフェクトでした。沿道の応援にも励まされました。ありがとうございます」

レース後、驚きとともに喜びを語ったフグ選手。昨年はコロナ禍で来日できず、2年ぶりの参加となりました。

「昨年はとても残念でした。今年は高速コースになり、できるだけ早く走りたいと思っていましたが、気象条件もよく、体調もよく、マシン(競技用車いす)の調整もよかった。3つがパーフェクトに重なった結果です」と新記録達成を振り返りました。東京パラに向けて新調したマシンが自身にとてもあっていると言い、「フグ時代」はまだまだ続きそうです。

午前10時にスタートしたレースは約1km地点でフグ選手と鈴木選手の二人が抜け出し、世界記録を大幅に上回る高速ペースで展開しました。レースが動いたのは37km付近。橋の上りで鈴木選手が遅れ、独走となったフグ選手がそのままハイペースを保ってフィニッシュしました。

トレードマークの銀色のヘルメットから、「シルバー・ブレット(銀の弾丸)」の愛称で知られるフグ選手(左)と、食らいつく鈴木朋樹選手。アジア新をマークして2位に(撮影:星野恭子)


2位となった鈴木選手は東京パラでは7位入賞のマラソンに加え、トラック2種目に出場。さらに、4x100mユニバーサルリレーではアンカーを務め、銅メダル獲得に貢献した日本のエースです。今レースを振り返り、「序盤から高速で、最後まで走れるのかと不安がありました。最後の橋で離されたのは、実力が足りなかったということ。そこで切り替えて、日本記録更新のチャンスをつかみ取れたことはうれしいですが、レースはマルセル(フグ)に食らいつくだけで、おんぶにだっこの状態。勝負は全くできず、赤点です」と反省を口にしました。

東京パラでも個人種目ではメダルに届かず、「何も達成できませんでした。(次回パリ大会まで)3年もないが、マルセルに勝たないとメダルはないと思います。個人チームなど練習環境も見直し、やることを明確にして一つひとつクリアして、メダルを目指して頑張りたいです」と、気持ちを新たにしていました。

約8年ぶりに日本新記録を樹立した鈴木朋樹選手。1時間18分37秒は同時に、アジア記録も塗りかえた (提供:パラスポ!)

また、女子マラソンの同クラスは東京パラ7位入賞の喜納翼選手(タイヤランド沖縄)が1時間40分13秒で制し、2大会ぶり3回目の優勝を果たしました。約25km地点で競技用グローブが外れて落ち、取りに戻るアクシデントがあったそうですが、2位に入った東京パラ5位入賞のアメリカのタチアナ・マクファデン選手に 3分48秒差をつけてのフィニッシュ。

グローブのアクシデントは、「練習でもなく、驚きました。きつかったなという気持ちと、でも、タチアナ選手と走れた間はすごく楽しくレースができました」と笑顔。新コースについては、「走りやすくなった印象で、うまくはまればいい記録が出そうな期待感があります。今回かなわなかった自己ベスト(1時間35分50秒)更新を狙って、また来年、リベンジしたいです」

女子マラソン優勝の喜納翼選手(左)と2位に入ったアメリカのタチアナ・マクファデン選手 (撮影:星野恭子)

さて、「大分国際車いすマラソン」は日本のパラリンピックの父、故・中村裕氏が提唱し、1981年の国連国際障害者年を記念して創設されました。以来、国内外から、のべ12、000名の車いすランナーが参加し、自己の限界に挑んできました。

今年の記念大会にもマラソンを専門とする選手だけでなく、14歳から95歳まで多様多彩な選手が参加していました。男子マラソンT33/52クラスを制したのは、東京パラのトラック2種目で金メダルを獲得した佐藤友祈選手(モリサワ)。トラックを主戦場としますが、この日は1時間50分19秒でマラソンを走破。「腕がパンパン。パリ大会での連覇を目指し、また頑張ります」

男子マラソンT33/52クラス優勝の佐藤友祈選手(左)の力走。追うのは上与那原寛和選手 (撮影:星野恭子)

また、男子ハーフのT34/53/54クラスの優勝者も東京パラ代表トラック100m代表の生馬知季選手(ワールドAC)で、44分43秒の快走でした。大分への出場は、「練習の一環と、大会出場で競技へのモチベーション維持が目的。体力的に不安はありましたが、優勝は励みになります。専門はあくまでも100m。冬季練習で体をしっかり作り、パリに向けて準備します」と今後の意気込みを語ってくれました。

男子ハーフT34/53/54クラス優勝の生馬知季選手。「勇気をもって、独走しました」 (撮影:星野恭子)

女子ハーフのT33/52クラスは木山由加選手が1時間16分33秒で13連覇を達成しました。T52クラスの100mを専門としますが、東京パラでは出場選手数が規定に満たず、種目除外となったため出場がかないませんでした。進行性の病を抱え、長距離レースは大きな挑戦ですが、「T52の女子選手がいることをアピールしていきたい」という強い思いを胸に、毎年参加を続けています。

15歳の立川隼選手は昨年の独自大会でレースデビューし、今大会が2回目のレース。父の真さんがコース沿道を自転車で伴走しながら見守るなか、すべての関門を突破して、1時間44分05秒で完走。取材陣の「気持ちよく走れたか」という質問に、「うん」と大きくうなずき、来年も挑戦したいかという質問にも、「うん」と笑顔で反応。真さんは、「こういう経験で達成感を得ながら、豊かな人生を送ってほしい」と話していました。

大分県最年少選手、15歳の立川隼選手はハーフマラソンを完走 (撮影:星野恭子)

障害の最も重いT51クラスの男子マラソンにはただ一人南アフリカのピーター・ドゥ・プレア選手が参加しました。手や体幹にも障害があり、腕だけで車いすを操作します。新コースは橋のアップダウンが増え、上りではかなりきつそうでしたが、懸命にこぎ続ける姿が印象的でした。最終走者として、2時間34分30秒でしっかりとフィニッシュした瞬間には、スタジアム中から大きな拍手がわきおこりました。

T51クラスのマラソンに出場した、南アフリカのピーター・ドゥ・プレア選手は笑顔でフィニッシュ (撮影:星野恭子)

閉会式では、大会会長を務めた大分県の広瀬勝貞知事が、「選手の勇姿は、コロナ禍で苦しむ多くの人々に勇気と希望を届けてくれた」と総括し、秋篠宮さまがオンラインで参加され、「31年ぶりに観戦しました。世界新記録、日本新記録にワクワクしました。大会が世界のトップランナーとしてますます輝くことを願っています」と述べ、大会は閉幕しました。

今大会のテーマは、「ゴールは、ひとりひとりにある」。40年にわたる長い歴史のなか、選手はもちろん、毎年2000人以上というボランティアや大会関係者、そして、沿道で声援し、歴史を支えてきた大分市民の皆さんも含め、大勢のゴールがありました。

驚異の世界新記録も生まれ、新たな歴史が刻まれた大分国際車いすマラソン。今後さらなる車いすランナーの進化、そして、大会の発展にも注目していきたいと思います。

(文:星野恭子)