荒井太郎のどすこい土俵批評(11) 旭天鵬、73年ぶりの40歳幕内勝ち越しの快挙
「ホッとしたよ」というのが第一声だった。
昭和16年夏場所の藤ノ里以来、73年ぶりとなる40歳での幕内勝ち越しという快挙達成は、重圧から解放された瞬間でもあった。
先の9月場所の番付は十両まで下に2枚しかない東前頭14枚目。天皇賜盃も抱いたことがある23年目の男は、幕内を維持できなくなったときは、大きな決断を下すつもりでいる。そして何より「周りから声をかけてくれるし、それに応えなきゃと思っていたしね」というファンの期待感を背負って土俵に上がっていた。
「プレッシャーはあったんでしょうね」。
7勝目から2連敗と足踏みし、3度目の給金相撲で8勝目を上げた13日目の栃乃若戦は、そんな心情がひしひしと伝わってくる相撲ぶりだった。「命綱だった」という浅い左上手は最後まで離さなかった。珍しく頭もつけた。「必死でした」とがむしゃらに寄り立てると渾身の左上手投げ。歴史的偉業を見届けた観客は、大ベテランに祝福の拍手と歓声を惜しみなく捧げた。
「今までの勝ち越しとは全然違う。優勝に匹敵するくらいの喜びがある」
不惑の幕内力士を囲む報道陣の輪は、主役が立ち上がってもなかなか解かれることはなかった。治療やトレーニングの発達により、力士の寿命は全体的に伸長傾向にあるとはいえ、力士も大型化した年6場所制のこの時代に成し得た価値は大きく、まさに驚異というほかない。
これまでにも何度か、引退の瀬戸際に立たされたことがあった。平成19年5月場所前、力士は禁止されている車を運転し、追突事故を起こしたことで、この場所は出場停止の処分を受けて全休。一旦は当時の師匠(元大関旭國の大島親方)に引退を申し入れたが「ここで辞めたら逃げたことになる」という夫人の言葉に翻意し、奮起した翌場所は十両で優勝同点の12勝。幕内に復帰した9月場所も白鵬と千秋楽まで優勝を争って12勝をマークした。
23年7月場所は2日目から泥沼の11連敗。どうしても土俵に集中することができず、モンゴルの母親に初めて引退の意思を告げた。年齢も36歳になっていた。しかし、親族全員から猛反対され、気合いを入れ直して臨んだ翌9月場所は11勝の好成績を上げた。
師匠の大島親方が停年退職する24年3月場所限りで自身も現役生活にピリオドを打ち、部屋を継承するという選択肢もあったが、前場所は前頭6枚目で9勝6敗。師匠最後の場所は前頭3枚目に番付を上げ「ここで引退はできない」と現役続行を決意。
「現役を続けると言った以上、大負けはできない。意地でも勝ち越さなければ」
心の中でそう誓った矢先の5月場所で“涙の初優勝”は達成されたのだった。幾度の危機を乗り越えられたのは、やはり「気持ち」。酸いも甘いも噛み分けた大ベテランは「俺って単純なんだよ」と笑った。
先場所の初日前日、9月13日に40回目の誕生日を迎えた。元大関の名寄岩以来、60年ぶりとなる40歳の力士が幕内の土俵に上がった。
「気にしないし、何も変わらないよ」と注目の男は初日、三役経験者の隠岐の海を左上手から放り投げた。しかし、投げた際に自身の足がよろけ、相手もろとも土俵上で転がってしまった。
「足がついて行ってないな。自分で投げを打っておいて、気づいたら天井を向いていた。何をやっているんだ」
白星にもかかわらず、下半身の衰えからくる不甲斐なさを嘆いていたが、相手が渡し込んでいたことを知ると、表情はたちまち満面の笑みに変わった。これで気を良くしたのか、出だしから4連勝。「出来すぎだよ」と笑いも止まらなかった。
いまだ体の張りは失ってないものの、もはや体力に絶対的な自信が持てる年齢ではない。良くも悪くも気持ちが大きく左右するようになり、気力を維持するためにここ最近は、身近な目標を心の支えに土俵を務めてきた。
2年ほど前から勝利数や出場回数などの自身の記録が、歴代10傑に顔を出すようになった。支度部屋に持ち込むティッシュボックスに歴代記録を記した表を貼り付け、準備運動をしながらでも目に入るようにして、テンションを上げてきた。
次なる目標は過去4人しか到達してない通算900勝だ。あと5勝と迫り、もう間もなく1年納めの九州に乗り込む。
「達成してみたいね」。
目の前に目標がある限り、四十男はその歩みを止めることはない。
(荒井太郎)
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