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どすこい土俵批評(9)「存在意義が問われる横綱審議委員会」

「大鵬関と千代の富士関に肩を並べた景色にいる自分が幸せです」

 

 過去に2人の大横綱しか成し得なかった優勝30回の大台に到達した白鵬は、喜びをそう表現した。

 

 今から遡ること45年前の昭和44年5月場所、前人未到の30度目の優勝を達成した大鵬に、協会はその偉業に対して一代年寄を授与。同年9月場所初日の土俵上で、異例の表彰式を行った。

 

 それから21年後の平成2年1月場所には、千代の富士が優勝回数を「大台」に乗せた。29回目の優勝を飾った前年9月場所後、角界からは初となる国民栄誉賞を受賞。協会もこれを機に一代年寄を贈ることを決定したが、“小さな大横綱”はこれを辞退した。

 

 白鵬が大記録を打ちたてたのは、千代の富士の「大台到達」から24年後のことだ。我々は歴史的な出来事を目の当たりにしたはずなのだが、それにしては世間は驚くほど静かだ。豪栄道の大関昇進に話題をかき消されたとも言えるが、これほどの大偉業は本来、大関昇進とは別次元のレベルで語られるべきで、メディアの扱いは過去と比較すれば、あまりにも小さい。しかし、それが協会内外の評価なのだろう。

 

 優勝回数以外にも、中日でのストレート勝ち越しは史上最多の34回。45場所連続2桁勝利など、数字だけを見れば、白鵬の実績は歴代横綱の中でも超一流であることは間違いない。しかし、数々の記録を更新するのと反比例するかのように、土俵上での振る舞いが最近は“朝青龍化”している。

 

 先場所4日目は立ち合いで変化されたことにイラっとしたのか、寄り切った際に“駄目押し”とばかりに豊真将を土俵下に叩きつけた。その後も気分が収まらなかったようで、土俵を降りるまで相手をにらみ続けていた。駄目押しは「してない」と否定したものの、熱くなったのかと問われると「少し」と感情がコントロールできなかったことは認めた。

 

「まともに来る力士が変化するとは、それはないだろう」と後日、スポーツニュース番組で熱くなった理由を話していたが、そもそも横綱自身が豊真将に対し、立ち合いで変化したことがある。白鵬の連勝が63でストップした4日後の平成22年11月場6日目、右張り手から右に変化して叩き込んだ“瞬殺”の一番がそれだ。

 

 実はこの場所は翌7日目の北太樹戦、9日目の嘉風戦と平幕相手に立て続けに、立ち合い変化を敢行。得意の左上手狙いのようだったが、連勝記録は止まったものの、継続中だった“九州連覇”だけは何としてでも果たしたかったのだろう。

 

 格下力士が立ち合いで変わることには烈火のごとく怒り、実力が数段も優る自身は勝つためなら平幕相手にも変化はいとわないとは、論理的にまったく説明がつかない。駄目押しにしても豊真将や嘉風、栃煌山ら、骨のある力士にほぼ特定されているのは、一体どういうことか。

 

 こうした“やりたい放題”に対し、今の横綱審議委員会がまったく“スルー”というスタンスなのも不思議である。懸賞金を利き手の左手で受け取っただけで“物言い”をつけるなど、朝青龍の一挙手一投足に目を光らせていた時代とは大違いだ。

 

 今年7月場所後に開催された同委員会で内山斉委員長は「見事なもの。大横綱になったという感じだ」と手放しで絶賛。一方で北の湖理事長が不振の日馬富士、鶴竜を酷評すると、同委員長も「迫力がない」と同調した。

 

 振り返れば、5月場所後の定例会合でも、7月場所後の稀勢の里の綱取りについて明言しなかった北の湖理事長の見解に「まだ物足りない」とこれに追随したが、委員会の中で昇進に前向きな意見はまったく出なかったのだろうか。

 

 今年3月場所後の鶴竜の横綱昇進に際しては協会の諮問に対し、横綱審議員会は全会一致でこれを決定。「不安な声は出なかった」と内山委員長は語った。もちろん新横綱誕生は喜ばしいことだが、直前2場所を除き、大関昇進以降、一度も優勝戦線に絡めていない現実に鑑みれば、横審で異論がまったく出なかったことに、逆に驚きを禁じ得ない。

 

 横綱審議委員会は、昭和25年1月春場所に協会が「横綱格下げ」を一度は決定し、世論の反対に遭ってこれを撤回する代わりに、推薦や引退勧告等、横綱を審議する機関を作ることになり、同年5月に設置された。横綱審議委員は相撲を愛好するとともに、深い理解のある良識者が理事長から委嘱された。

 

 33年初場所前には「横審内規」が発表され、この場所、13勝2敗で優勝した若乃花の昇進の諮問がさっそくあったが、連覇ではないため、舟橋聖一委員が猛反対。当時の内規では昇進については「全委員の一致」であったため、議論は紛糾。最後は酒井委員長に一任という形で舟橋委員も渋々、了承した。

 

 貴ノ花が14勝の優勝、11勝、全勝優勝というハイレベルな結果を残しながら、平成6年9月場所後の横審では、協会の諮問に「NO」を突きつけた。また7場所連続全休した14年には「9月場所に出場できないのなら、自ら決してくれ」と当時の渡辺恒雄委員長は“最後通告”を言い渡した。

 

 近年では朝青龍が14年11月場所から大関で連覇し、満場一致で推挙されたが、内舘委員から「品格が悪いようなら降格させてもいいのでは」と注文がつき、引退も実質的には横審が突きつけた“引退勧告”に従わざるを得なかった。

 

 これらの良否はさておき、これまでの横審にはどの時代にもこうした気骨のある委員がいたものだが、裏を返せば相撲に対する愛情、造詣が、それだけ深かったからとも言えるであろう。協会の見解に同調するばかりの現在の横審からは、独自のメッセージが今ひとつ伝わってこない。

 

 命を削りながら土俵を務める横綱を審議するのだから、高い見識に裏打ちされた主体性を発揮してもらいたいのだが、発足から60余年。横審もそろそろ“金属疲労”を起こしているのかもしれない。

 

(荒井太郎)

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