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「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(354) パラアーチェリー東京パラリンピック代表最終選考会で、新たに4選手が内定!

パラアーチェリーの東京パラリンピック代表選手の国内最終選考会が3月27日から28日にかけて東京・夢の島公園アーチェリー場で行われ、3ラウンドの合計得点により各カテゴリー1位になった4選手が新たに代表に内定しました。リカーブオープン男子に長谷川貴大選手(日本テレビ)、コンパウンドオープン女子に永野美穂選手(大同生命保険)、同男子に宮本リオン選手(テー・オー・ダブリュー)、W1男子に大山晃司選手(警視庁)という4名です。

東京大会への最終予選会は1ラウンド72射(1射10点満点、最高720点)を1日目に2回繰り返し、2日目に3回目を行い、総得点で競いました。参加条件を満たした男女8選手が出場。2日目には途中、冷たい雨が降る厳しい気象条件にも見舞われましたが、高い集中力で矢を放ち続け、緊張感あふれる試合が展開されました。

東京パラリンピックのアーチェリー代表に内定した(前列左から)大山晃司選手、永野美穂選手、(後列左から)大河原裕貴監督、宮本リオン選手、長谷川貴大選手 (撮影:星野恭子)

パラリンピックのアーチェリーは一般のアーチェリーとほぼ同じルールで行われますが、障害に応じて車いすやいすに座って競技することも認められています。大きな特徴は弓(ボウ)で、オリンピックでも使われる「リカーブ」ボウに加え、軽い力でも弓が引けるように両端に滑車がついている「コンパウンド」ボウも使えます。リカーブは的までの距離70m、コンパウンドとW1部門は同50mの射場で競います。

リカーブ男子で1849点を挙げて東京大会代表に内定した長谷川選手は2008年北京大会につづく2度目のパラリンピック出場となります。小学3年生で「ユーイング肉腫」と呼ばれる小児がんを発症し、右足を太ももから切断。義足で生活するようになった当初は引きこもりがちでしたが、小5で始めたアーチェリーによって前向きさを取り戻しました。北京大会は大学1年時に出場(個人16位、団体4位)しています。

「(内定して)率直に嬉しいです。コロナ禍で満足に練習ができないなかで準備し、結果を出せたのでよかったです。今の力は出せたと思いますが、東京パラにはまだ足りないと思うので、さらに実力をつけ、メダルを目指したいです。課題は義足のためまっすぐ立ちにくいこと。常にまっすぐ立てるように足の筋肉や体幹周りを鍛え、うまく打てるようにしたいです」

長谷川貴大選手はオリンピックでも使う弓、リカーブボウ部門男子で東京パラリンピック代表に内定 (撮影:星野恭子)

コンパウンドオープン女子を1891点で制した永野選手は2012年ロンドン大会以来のパラリンピック出場内定を決めました。19歳で原因不明の病気により左腕を動かせなくなり、アーチェリーは26歳で始めました。右腕で弓を支え、口で弦を引くのが永野選手のスタイルです。ロンドン大会では5位入賞を果たしています。

「今回の選考会には1射1射に集中していこうと臨みました。(内定決定については)まだ実感がありません。これからジワジワくるのかなと思います。粘り続け、落ち着いて打てることが自分の強みで、(東京大会の)目標は自分らしく撃つこと。おかれた環境が厳しくても今できることに努め、課題を修正し、もっとパワーアップしたいです」

口で弦を引く永野美穂選手。使用する弓、コンパウンドボウは両端に滑車がつき、軽い力でも矢を放つことができる(撮影:星野恭子)

コンパウンド男子で出場枠をつかんだ宮本選手は25歳のとき、突然の病により両下肢の機能障害となりました。特に膝から下の感覚が鈍く、踏ん張れないため、アーチェリーではいすに座って打つことでバランスを確保しています。アーチェリーは27歳からリハビリの一環で始め、10年目に初めて夢の舞台への切符をつかみました。今選考会ではただ一人2000点を超え、2039点の高得点をマークしています。

「想像もしていなかったので、自分でも驚いています。不思議な感じで、まだ実感がありません。頑張ってやっていたら、いきついた感じです。多くの人に助けてもらいました。1年延期は仕方のないこととすぐに切り替え、練習時間が1年伸びたとプラスに考え、今までできなかった体作りや弓のチューニングなど時間が掛かることに着手しました。東京大会ではベストを尽くして、一つでも上の順位を目指したいです」

さまざまなスタイルの選手が競うコンパウンド男子で1位となった宮本リオン選手(中央)。左は大塚忠胤選手、右は藤井正臣選手 (撮影:星野恭子)

手にも障害のあるW1クラスのオープン男子の東京大会代表には元々、仲喜嗣さんが内定していましたが、2月7日に60歳で病気のため亡くなり、空席となっていました。今選考会には参加資格を満たした大山選手一人が出場し、3ラウンドで1848点を挙げ、代表に内定しました。大学3年のとき、体操部の練習中、床運動の着地に失敗して頭から落下し、首から下の自由を失いました。アーチェリーは2016年に始め、右腕の自由が利かないため弓は口で引く大山選手。競技歴5年で初の代表権をつかみました。

「素直に嬉しいです。直前で参加する形になりましたが、悪くない点数が出せてホッとしています。仲さん(急逝)の件は残念な気持ちでいっぱいですが、仲さんの気持ちを背負って、全力でパラにぶつけていきたいです。目標は決勝の舞台に立つこと、そしてメダルを狙える位置に行きたいです。パラリンピックの空気や雰囲気は独特な感じと聞いているので、自分の肌で感じられることや、世界中の強い選手と競い合えることが楽しみです」

W1クラス男子の代表に内定した大山晃司選手。リカーブボウも使用できる部門だが、大山選手はコンパウンドボウを使う(撮影:星野恭子)

日本代表の大河原裕貴監督が選考会を総括し、「1射1射心を込めて集中して打ってくれました。その姿勢が今後の原動力になる」と4選手を称え、「それぞれ環境の異なるところで練習している選手たちなので、持てる力を発揮できるようサポートしていきたい」と話しました。また、4選手の特徴について、「永野選手は、コツコツと努力の人。自分のペースを保ち、きっちり取り組めるので、それを維持して(東京)大会までのぼってほしい。宮本選手はポーカーフェイスの選手。自分のペースを崩さず、起伏のないフラットな形で競技を迎えられるところが強み。長谷川選手は、打ち方が安定してきている。北京(大会)から見ていますが、大人になったなという印象で期待している。大山選手は、これからさらに伸びていってほしい若い選手。いろいろなことにチャレンジしてほしい」とそれぞれに期待を寄せました。

なお、パラアーチェリー代表には2019年に、リカーブ男子の上山友裕選手(三菱電機)、同女子に重定知佳選手(林テレンプ)、W1女子に岡崎愛子選手(ベリサーブ)も内定しています。東京大会では個人戦、そして男女ペアのミックス戦で世界の頂点を目指します。

(文:星野恭子)