ノーボーダー・スポーツ/記事サムネイル

東京オリンピック1964~戦後日本のひとつの美しい到達点(玉木 正之)

この原稿は、2007年3月3日発行『週刊朝日85周年増刊号 週刊朝日が報じた昭和の大事件』に掲載された東京オリンピックに関するコラムで、開高健氏が東京五輪当時に『週刊朝日』に書かれたレポート『ずばり東京 超世の慶事でござる』と並べて掲載されたものです。間近に迫ったロンドン五輪が「ソーシャル・メディア革命」と言われ、全競技全種目のネット中継や3D中継、それにIOC管理下の『アスリート・ハブ』と題されたオリンピアンたちのSNS(ツイッターやフェイスブック)が出現する昨今に、少々「ヌルイ内容」かもしれませんが(笑)、2020年の五輪招致に東京が再立候補していることでもあり(ザ・ピーナッツの伊藤エミさんが亡くなられたということもあり)、「時代の変わり目には過去を見直せ」の精神でアップします。御一読下さい。(「ロンドン五輪のソーシャル・メディア革命」についてのレポートも近々アップします)
東京オリンピック1964~戦後日本のひとつの美しい到達点

「一九六四年十月十日午後二時。いよいよ選手団の入場であります。先頭はギリシャ。旗手はジョージ・マルセロス君……」
その言葉を思い出すだけで、あのときの興奮がよみがえる。

誰もが顔を上気させていた。それは「スポーツの祭典」などという言葉では言い表せない出来事だった。何しろ「世界の国々」がすべて、目の前に出現したのである。

お洒落なスーツに身を包んだヨーロッパ諸国も、原色の民族衣装をまとったアフリカ諸国も、テンガロンハットのアメリカも、赤いハンカチを振るソビエトも、そしてアジアの国々も……。「世界の国々」が一時間以上にわたって胸を張って行進し、そのしんがりに「日本」が現れたのである。

スポーツとは縁のなかった父親も、近所の商店街の親父さんたちも、なぜか目を潤ませていた。まだ子供だった私にも、その「意味」がよくわからないまま、なにやら得体の知れない興奮に、全身が包まれるのを感じた。

それから二週間。興奮は持続した。学校では授業のかわりにテレビでオリンピック。家に帰ってもオリンピックで、誰もが三宅義信の重量挙げに肩を凝らせ、山下跳びに拍手を贈り、女子バレーボールの勝利に涙し、水泳のショランダーの若さに驚嘆し、アべべの威厳ある哲学者の相貌に圧倒された。それは、現在スポーツライターとしてある私の原点といえる体験だった。

そして、その総仕上げが閉会式だった。
「世界の国々」が白日の下に整然と出現した開会式とは一変し、夕闇のなかでの閉会式では、「世界の人々」が入り乱れて騒ぎ、踊り、抱き合い、手をつなぐ様子が、国立競技場の照明に照らし出された。

「もしも世界平和というものが存在するなら、それはこのような光景のことを言うのではないでしょうか……」

その言葉は子供心に美しく染み込んだ。両親や当時の大人たちが、どう思ったかはわからない。が、そのころの流行歌に、ザ・ピーナッツの『ふりむかないで』という歌があった。一番と二番の歌詞は、靴下やスカートを直しているから「ふりむかないで」というちょっとセクシーな内容だが、最後は、「ふりむかないで、いつも腕をくみ前を向いて、二人でしあわせ、つかまえましょ」となる。

ふりむけば、戦争があった。だから「ふりむかないで、前を向いて」歩んできた人たちにとって、東京オリンピックは、それがたとえ一時の幻想であっても、ひとつの美しい到達点だったに違いない。
その後、これほど美しい「祭典」は二度と出現していない。おそらく将来も出現することはないだろう。