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「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(348) 新たな扉を自ら開いた、パラ陸上界期待の二人のアスリート!

今号では開幕まであと半年を切った東京パラリンピックの陸上競技で活躍が大いに期待される二人のアスリートの「ニュース」をご紹介します。

■びわ湖毎日マラソンで快走の永田務選手、東京パラのホープに。「このままでは終わらない」

2月28日に滋賀県大津市で開催され、鈴木健吾選手の日本新記録樹立に沸いた「第76回びわ湖毎日マラソン大会」ですが、パラ陸上T46クラス(上肢障害)の永田務選手(37)も2時間25分23秒で快走し、従来の記録を8分12秒短縮するアジア新記録を樹立しました。なお、ハーフ通過でマークした1時間11分16秒のタイムは同クラスの世界新記録となるそうです(両タイムとも、世界パラ陸上競技/WPAに申請中)。

このタイムは最新の東京2020パラリンピック・マラソン24カ月ランキングで2位に相当する好タイムで、初出場を目指す東京パラリンピックに大きく一歩、前進しました。今後、4月1日時点の同ランキングしだいで代表に内定します。

「タイムを狙っていくレースは久しぶりだったので、準備として自己記録を更新した時のタイムを見直して挑んだ」という永田選手。大会直前の1カ月間は宮崎県延岡市の旭化成陸上部で武者修行し、走り込んだと言います。同部の宗猛総監督は、「走りを見たとき、2時間24~26分のタイムで走れるだろうと思った。まずは良かった。これからもしっかり頑張ってほしい」とコメント。

永田選手は、「今回のチャンスを与えていただいた主催者の皆様はじめ、関係者の方々に感謝いたします。自己ベスト(2時間23分23秒)更新が目標だったので悔しい思いはありますが、たくさんの方々に支えられたおかげだと思っています。このままでは終わらないという気持ちで、これからも頑張っていきます」とさらなる成長を誓っていました。

中学校から陸上部で活躍し、2010年、勤務中の事故で右腕まひの障害を負いました。2019年に福祉施設への転職を機に、パラ陸上挑戦を始めたばかりの永田選手。ポテンシャルと可能性は計り知れず、今後の活躍から目が離せません。

<ながた・つとむ>
1984年2月20日、新潟県村上市生まれ。中学・高校時代に陸上部で活躍し、高田自衛隊入隊後も陸上を続けたが、除隊して2008年に転職。2010年12月、工場での勤務中に右腕が機械に巻き込まれて神経を損傷し、まひが残った。障害クラスはT46(上肢障害)。社会福祉法人新潟県身体障害者団体連合会所属。

■車いす陸上のエース、佐藤友祈選手が覚悟のプロ転向。「夢は諦めなくていいと伝えたい」

男子T52クラス(車いす)で4つの世界記録をもち、世界王者の佐藤友祈選手(31)が2月22日、東京都内で会見を開き、「プロ転向」を報告しました。これまで約5年半にわたり、岡山市の人材派遣関連会社グロップサンセリテのクラブチーム「WORLD-AC」で実業団選手として仕事と競技を両立していましたが1月に退社。2月1日付でフォント制作会社のモリサワと所属契約を結び、プロ選手生活をスタートさせています。
2月1日よりプロ活動をスタートさせた、車いす陸上のエース、佐藤友祈選手(左)と所属契約先の株式会社モリサワの森澤彰彦社長 (提供:株式会社モリサワ)

リオ・パラリンピックでは400mと1500mで銀メダル2個を獲得したものの、「悔しかった」という佐藤選手。すでに内定を決めている東京パラリンピックでは、「2種目とも世界記録を更新し、金メダル獲得」という大きな目標を掲げています。

パラアスリートではまだまだ数が少ないプロ活動、しかも大舞台まで約半年というタイミングでの環境を変える大きな決断について、「コロナ禍で暗いニュースが多い。プロに転向して活動の場を広げ、結果を残すことで多くの人たちに感動を与えたい。『夢は諦めなくていいんだ』という強いメッセージを伝えられれば」と話し、パラ競技の普及や認知度向上も目指した覚悟を明かしました。

プロを目指すようになったきっかけは2018年7月、国内大会で1日に2種目(400m、1500m)の世界記録樹立という偉業を達成し、報道はされたものの、大きな話題にならなかったこと。「このままでは東京パラリンピックで多くの人に応援されるイメージが湧かない」と危機感を募らせ、プロ転向へと気持ちが傾いたそうです。

新たな所属先となるモリサワは、誰にとっても見やすく読みやすい「ユニバーサルデザインフォント」の開発で東京2020大会のオフィシャルサポーターを務めるほか、以前から日本障がい者スポーツ協会のオフィシャルパートナーでもあります。同社の森澤彰彦社長は「佐藤選手はパラアスリートとして大きな可能性を秘めていると感じる。共生社会に向けて、みんなが明るくなるような活躍を期待したい」とエールを送ります。

佐藤選手は今後、コーチやトレーナーら4,5人体制の個人チーム「prier ONE(プリエ・ワン)」で活動していきます。このチーム名は、「友だちのために祈れる人」という両親の願いがこもった自身の名にちなむフランス語の「prier(祈り)」と、「Only One」との造語で、名付け親は香取慎吾さん。なんと、佐藤選手が自ら依頼したのだそうです。

「練習に避ける時間が2倍になり、体のケアにかける時間も確保できる。(プロ転向は)また一歩成長できる大きなきっかけになるのではとワクワクドキドキ。楽しみです」

練習拠点は岡山市のまま、1カ月に1~2週間は東京・北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで個人合宿なども重ねながら、まずは東京パラでの「公約実現」に挑みます。

「選手がやることは大会でベストパフォーマンスを発揮すること。コロナのせいでメダルが獲れませんでした、世界記録出せませんでしたは、かっこ悪いと思う。いまコロナで苦しんでいる皆さんに夢や希望を与えるきっかけになれたら」

エースの大きなチャレンジにも、ぜひエールを!

<さとう・ともき>
1989年9月8日静岡県藤枝市生まれ。高校卒業後、上京したが、21歳の時に骨髄炎を発症し、左腕と下半身にまひが残った。2012年のロンドン・パラリンピックに刺激を受け、車いす陸上を始める。2016年リオ・パラリンピックは2種目(400m、1500m)で銀メダル。世界選手権は2015年に400mで金、1500mで銅、2017年、2019年に2大会連続2冠。https://www.prierone.info/

(文:星野恭子)