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「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(317) 日本パラスポーツの聖地、大分・別府に、体験型資料館「太陽ミュージアム」がオープン!

東京2020パラリンピック開催を控え、「日本のパラリンピックの父」と呼ばれる、故中村裕(ゆたか)医師(1927~84)の功績やパラスポーツの歴史などを紹介する資料館「太陽ミュージアム~No Charity, but a Chance!~」が大分県別府市の社会福祉法人「太陽の家」の敷地内に新設され、7月4日から一般公開がスタートしました。
大分・別府市に新設され、パラスポーツの歴史などを紹介する「太陽ミュージアム~No Charity, but a Chance!~」の外観(提供:社会福祉法人 太陽の家)

中村医師は別府市生まれで、整形外科医として欧米視察に出かけた際、イギリスで「パラリンピックの父」と称されるルードヴィヒ・グットマン博士に師事。「スポーツは体のリハビリだけでなく、心のリハビリにもなる」という考えに共感し、日本帰国後は自身も、障害のある人々の社会参加や復帰のためにスポーツの導入を始めます。当時の日本にはまだ、「リハビリ」という言葉さえなかったなか、さまざまな逆境も乗り越え、1964年の東京パラリンピック開催にも尽力。自ら日本選手団団長も務め、成功に導きました。

「太陽の家」は翌65年、中村医師がスポーツだけでなく、障害者の働く場所も作ろうと「No Charity, but a Chance!(保護より機会を)」という理念のもとに設立した障害者の自立支援施設です。大手企業と共同出資会社を作り、障害者の就労場所を作るなど生活や仕事、スポーツを通した自立を支援しつづけ、今秋55周年を迎えます。「太陽ミュージアム」は元々、「太陽の家」に付設された歴史資料館が拡充されたもので、名称も「保護より働く機会を」という理念に由来しており、「太陽の家」の功績を称え、後世に伝える役割も担っています。

ミュージアムは約680㎡の鉄骨平屋建てのスペースに、日本のパラスポーツの歴史を伝える貴重な資料や所蔵品が並ぶコーナーから、競技用車いすや義足といった用具も展示され、車いすバスケットボールやボッチャなどパラスポーツ体験コーナーなどもあります。
バリアフリーの広いスペースに約3万点の所蔵品が並ぶ「太陽ミュージアム」(提供:社会福祉法人 太陽の家)

さらに、「太陽の家」の歩みを紹介するコーナーには、障害の有無を問わず働きやすい職場づくりの工夫などが紹介され、屋外には車いすで坂道や段差を体験できるコースもあるそうです。事業費は約3億円余りで、「学ぶ、体験する、感動する」を目指した体験型施設になっています。
「太陽ミュージアム」内には、競技用車いすやボッチャなど、パラスポーツ体験コーナーも(提供:社会福祉法人 太陽の家)

オープンに先駆け、3日にはオープニングセレモニーが行われ、YouTubeでライブ配信されました。その中で、「太陽の家」の山下達夫理事長(61)はミュージアムを、「共生社会を発信し、新たな希望や価値が生まれる場所にしたい」とあいさつしました。山下理事長自身もポリオ(小児まひ)により幼い頃から車いすユーザーですが、「太陽の家」に入所して職業訓練を受け、IT企業に就職。5代目にして初の障害当事者の理事長として、2018年6月に就任しています。

実は私、2年ほど前に就任直後の山下理事長を取材する機会に恵まれ、たとえば、「中村先生から、『手足にハンデがあっても頭脳労働なら問題ないだろう』と励まされ、システム開発を学び、就職した」「先生や太陽の家のおかげで、『家庭をつくる』という夢がかなった」など、印象深いお話をいくつも伺ったことを思い出します。

「太陽の家」はまた、日本におけるパラスポーツ発展の礎でもあります。実際、パラリンピック出場選手の中には「太陽の家」所属や出身者が多く、また、指導者やスタッフとして活躍している人も大勢いらっしゃいます。改めて、中村医師の尽力と貢献の大きさを思います。

「太陽ミュージアム」は、そんな日本のパラスポーツの歴史を知り、今を体感できる貴重な施設。私も一日も早く見学したいです。もし、お近くに行かれた際はぜひお立ち寄りください!

▼太陽ミュージアム
開館日時: 月曜日~土曜日/10時~16時
休館日 : 日曜日・祝祭日・年末年始・夏季休暇・その他指定日
入館料 : 大学・専門学生以上300円、中・高校生100円、小学生以下無料
特設ページ: http://www.taiyonoie.or.jp/museum/

(文:星野恭子)