ノーボーダー・スポーツ/記事サムネイル

佐野稔の4回転トーク 19~20シーズン Vol.⑥ 圧巻のネーサン・チェン、4回転ルッツ解禁の羽生も及ばず ~ 「グランプリ・ファイナル」を振り返って

羽生に付け入る隙を与えなかったネーサン・チェン

戦前の予想通り、「グランプリ・ファイナル」の男子シングルは、羽生結弦とネーサン・チェン(アメリカ)の一騎打ちとなりましたが、結果はチェンが、みずからの世界最高得点を更新する総合335.30点をマーク。今年3月の「世界選手権」の雪辱を期した羽生に40点以上の大差をつけ、見事3連覇を達成しました。

 羽生にしてみれば、ショート・プログラム(SP)の最後3本目のジャンプに予定していた4回転+3回転の連続トゥ・ループが、単発になってしまった。あのミスがすべてでした。プログラムの最後に組み込んだコンビネーション・ジャンプでミスを犯せば、「NHK杯」のフリー(FS)のときのようなリカバリーすることもできません。

結局あのミスが響いて、FSを前に首位のチェンとは12.95点差。羽生自身「自分の演技だけでは決まらない」といった言い方をしていましたが、まずは自分がノーミスでFSを滑り切る。そうやって精神的なプレッシャーを与えた上で、チェンがどこかで大技を失敗してくれて、初めて逆転が可能になる。そんな状況でした。が、羽生がFSの最後に予定していた2連続のトリプル・アクセルに、たとえ成功していたとしても、今回のチェンには及びませんでした。

 最高難度のルッツと、羽生が跳んでいないフリップを含めた4種類の4回転ジャンプ5本に成功。以前は苦手にしていたトリプル・アクセルも完全に克服した、いまのネーサン・チェンに付け入る隙はありませんでした。なにせ現在よりひとつ多い8本のジャンプをFSで跳んでいた、旧ルール下での羽生の世界最高得点(330.43点)をも上回るスコアを記録されたのです。あれほどの演技を見せられたら、羽生も納得でしょう。

2年ぶりの4回転ルッツ成功は大きな収穫

SPが終わった段階で、私はFSではリスクを冒してジャンプの難度を上げるよりも、昨シーズンから羽生がずっと高めてきたプログラムの完成度で勝負すべき。ノーミスの確率を高めて、出来栄え点(GOE)で得点を積み重ねることこそが、逆転勝利を手繰り寄せる最善策だと考えていました。

 ところが羽生は、2年前の「NHK杯」の練習中に右足首を負傷してから、公式戦で回避していた4回転ルッツを解禁。持ち前の負けず嫌いが顔をのぞかせ、いまの羽生で考えられる最高難度のジャンプで大勝負に出ました。それだけ今シーズンは、コンディションが良好なのでしょう

 とはいえ、滑り込んできたプログラム構成ではありません。さすがに終盤には疲労困憊となり、最後のポーズが決め切れませんでしたが、自身初となる4種類5本の4回転ジャンプを成功させました。敗戦のなかにあっても、これは評価すべき大きな実績です。4回転ループには「NHK杯」のときを大きく超える、4.05ものGOEが付きました。同じプログラムのなかで、ルッツ、ループを使いこなしたことは、今後につながる収穫です。

 この先、羽生が今回のネーサン・チェンの得点を上回るためには、やはりクワッド・アクセル(4回転半)が必要になります。ですが、あのチェンの超人的な運動能力や、今シーズンのアクセル・ジャンプの質の良さを考えれば、遅かれ早かれ、彼もいずれはクワッド・アクセルを成功させてくるはずです。

2種類の4回転ジャンプを成功させることが“金メダルの鍵”だと言われていたソチ五輪から、まだ5年しか経っていないのが嘘のようです。羽生結弦とネーサン・チェン、ふたりが繰り広げる別世界の戦いが、男子フィギュアの時代をものすごい勢いで加速させています。

100回分の練習にも匹敵する、本番での4回転挑戦

 女子シングルもある意味、予想通りの結果だったと言えるかもしれません。今シーズンのグランプリ・シリーズ6戦を完全制覇したロシアのシニア・デビュー3人組、アリョーナ・コストルナヤ、アンナ・シェルバコワ、アレクサンドラ・トルソワによる、表彰台独占となりました。

 どうにかして彼女たちの牙城を崩すことを期待された紀平梨花でしたが、今シーズンすべて成功させてきたSP冒頭のトリプル・アクセルの着氷が乱れ、続く3回転の連続ジャンプでは転倒してしまいました。

紀平本人によると、午前中の公式練習から夜の本番までの、大きく空いた時間の使い方を誤って、思うように身体が動かなかったそうですが、ファイナル出場の6選手全員が同じスケジュールで戦っている以上、これは個人の調整ミス。今回の会場だったイタリア・トリノと日本との時差の大きさにしても、あらかじめ分かっていたことです。高い授業料になりました。

 ただ6選手中6位と出遅れ、失うモノがなくなったことで、4回転ジャンプには、かえって挑戦しやすくなりました。フィギュアの神様が「1度このタイミングで4回転を跳んでおきなさい」と導いてくれたんだ…そのくらい前向きな捉え方で構わないと思います。

 実際FSの冒頭で跳んだ4回転サルコゥは転倒したものの、しっかりと回り切っていました。成功がすぐそこまで迫っているレベルです。何より「グランプリ・ファイナル」の大舞台で、4回転ジャンプに挑戦した。この事実は何物にも代えられない。同じジャンプを練習で100回跳ぶより、本番の公式戦で1回跳ぶほうが、身に付くモノは遥かに大きいのです。ひじょうに貴重な機会になりました。

ジュニア「ファイナル」で、佐藤駿が4回転ルッツを決め優勝

シニアと同時にジュニアの「グランプリ・ファイナル」も開催されていたのですが、男子シングルで埼玉栄高の1年生・佐藤駿が初出場初優勝。日本人男子では、小塚崇彦、羽生結弦、宇野昌磨に続く、史上4人目の戴冠を成し遂げました。

 SPでノーミスの演技をして3位からスタートした佐藤は、FSの冒頭で現在最も難しいジャンプである4回転ルッツに成功。さらに4回転トゥ・ループを2本、トリプル・アクセル2本を含む、すべてのジャンプを完璧に決める、シニア顔負けの演技でジュニアの世界最高得点を更新。見事な逆転優勝でした。

 佐藤のジャンプの特長は速さにあります。回転速度がひじょうに速い。この長所はジュニアの前のノービスの時代から際立っており、その頃からトリプル・アクセルを跳んでいた期待の選手です。ただ一方で、いわゆる表現力を評価する演技構成点に弱点があり、今年11月の「全日本ジュニア選手権」では、同学年のライバルである鍵山優真が優勝。2位となった佐藤は、悔し涙を流していました。

ですが、今回の「ファイナル」のように、高難度のジャンプをあれだけ次々成功させていくと、多少の粗さは覆い隠され、演技構成点のほうも良くなる傾向があります。そのあたりは人間が判断する、採点競技の妙です。それくらい、今回の佐藤のジャンプは完成度が高かった。

 佐藤駿は仙台市の出身で、少年時代は羽生結弦と同じ「アイスリンク仙台」で練習していた間柄。年齢で10歳下の後輩の活躍は、羽生にとっても感慨深いものがあったのではないでしょうか。佐藤には今回の優勝を自信にして、大きく成長してくれることを期待しています。