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進歩している世界のサッカーに対して日本はどうするべきか?

 FIFAワールドカップで出揃ったベスト8は、すべてグループ1位通過の8チームだった。すこぶる順当な結果である。

 

 NHKのサンデースポーツで、岡田武史氏が「世界のサッカーは進歩している」と述べていた。その意味がやっと分かってきた。

 

 進歩の中身を一言で言うのはムリだが、一番の変化は、「崩さないでも得点する」その方法の摸索だろう。かつて岡田氏は、監督時代に、「相手に守られると、どんな強豪チームでも、得点は困難だ」と言っていた。

 これへの対応は、「強固な守備を崩す方法の摸索」だった。そしてバルサがその有効な回答を示して、一時代を風靡した。どうも世界のサッカーの進歩は、もう一つの道、次のフェーズに移ったようだ。

 

 正確なデータではなく、印象としての感想だが、これまでの今大会のゲームでの得点の半分以上、ベスト8に残ったチームの得点に限れば8割以上が、「崩さないでの得点」だったのではないだろうか。

 

 メッシ、ハメス、ネイマール、シャキリ、ミュラー、そしてロッペン……と挙げるとハッキリしてくるが、得点は個人的な能力の高い個人技であげている。

「個人的な能力の高い選手が得点できる可能性を高めること」……それこそが、チーム戦術の中核なのではないか?

 これはとんでもなくリスキーで、メッシやハメスやロッペンやネイマールが、故障したらどうするのだろうか?(コロンビアは、点取り屋が負傷でチームから離脱したので、ハメスの役割は重くなった。が、十分ハメスは、それに答えている)

 

 世界のサッカーの進歩を見ると、二重の意味で日本の遅れ(アジアの遅れ)が見えてくる。戦術・戦略の遅れと、人材育成の遅れだ。

 日本ではハメスは出て来ない。本田が限界だ。では、絶望的か? そうでは、あるまい。

 

 一つの期待はテニスの「錦織圭」突然変異のように現れた。日本人らしくなく「強い」選手だ。なぜか?

 

 早期にフロリダに行ったからだ。一つの回答は、英才教育。これは日本国内では不可能だ。指導者や指導方法だけの問題ではなく、サッカーの環境にプラスして「社会環境」の差。錦織は、フロリダで「英才教育」を施されただろうが、同時に目つきの違うライバル達に囲まれて育ったのだ。

 

 考えてみれば、メッシもドス・サントスもバルサのカンテラ育ちだ。最近バルサやACミランの育成方法が日本に進出している。そこでは確かにサッカーは上手くなるだろうし、これまで日本のサッカーに欠けていた「原理」を学ぶことも可能だろう。

 

 しかし「環境」の差は如何ともしがたい。

 

 日本のサッカーを強くしたかったら、ローティーンの段階で海外のクラブの育成に委ねるしかない、と思う(実際に最近、バルサのカンテラに入った日本人の子供がいる。彼の今後には期待大だ)。

 

 身もフタも無い話だが、我々日本国民は、「サッカーに向いていない安全で豊かな社会で生活していること」を認識しなければならない。そして、とりあえず、人のいい若者達が、それでも”彼らなりに(=私達なりに)”必死で食い下がる姿をワールドカップで見せることで、良しとしようではないか。

 

(広瀬一郎)

PHOTO by Darz Mol (Own work) [CC-BY-SA-2.5-es (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5/es/deed.en)], via Wikimedia Commons