ノーボーダー・スポーツ/記事サムネイル

ワールドカップ日本代表緊急分析 ■自分達のサッカー?それは目指すものでなく勝利を目指す結果生まれるもの!

 ギリシアとのゲームを終えて、「1敗1分けで勝ち点は1。得点は1点。失点は2点」。以上が客観的な事実。これは想定の範囲内の結果だ。まずはそれを認識しておこう(まさか2戦2勝を予想していたわけではあるまい。「期待」と「予想」は違うのだ)。
 
 だが、「想定内」の結果にしては、後味が悪い。それを解く鍵が「自分達のサッカー」だと思う。
 
 ところで、「自分達のサッカー」というコメントをしているチームは日本以外にいるのかな?「自分達のペースでできなかった」という意味ではないだろう。彼らの言う「自分達のサッカー」とはスタイルを指しているのだろう。
 
 ならば、そもそも「自分達のスタイルでプレーする」ことを目的としたチームは、日本以外にいるのだろうか? 他のどのチームも「勝つ」ことが優先順位の第一だから、「勝つためにスタイルにはこだわらない」のではないか。それがワールドカップでプレーする、ということなんですよね。
 
 スタイルとは、それを追求している中ででき上がるもの。つまりスタイルは所詮「結果」であり「目的」ではない。こんなことを言うこと自体が幼稚な議論だと思うのだが……。
 
「自分達のサッカー」にしても、「勇気を持って戦う」にしても、所詮文学的な表現だから、リアリズムからは遠い。いずれも反証可能性のないことばだから、議論にはならない。
 
 これまでのプレーから、ザックジャパンの「自分達のサッカー」に共通する要素がいくつかある。
 
 第一にバイタルエリアでのダイレクトプレー。これがなければ、「自分達のサッカー」ができていない、と言える。それがギリシア戦だった。なぜ、できなかったのか。それが「勇気」の問題になる。バイタルエリアに突っ込んで、ターンオーバーされると、逆襲されるリスクがある。全力で走ると失敗するリスクは高くなる。が、成功するとゴールする確率も高い(コートジボアールの2失点は相手が全力で走って生まれたものだった)。
 
 気持ちが守りになって「臆病」になると。失敗を恐れ、全力で前に走らなくなる。成功の良い見本はスイスの初戦。アディショナル・タイムになって、全力でニアサイドに走り込んで得点した。それに対して、「臆病」になると、ダイレクトプレーは少ないし、バイタルエリアにも人がいかない。
 

 対ギリシア戦では、ニアサイドに走り込んだ選手は皆無。内田がダイレクトで中に入れ、大久保が外したあのシュートも、ニアに走り込んでいた選手はいなかった。
 
 では、なぜ、「臆病」になったのか? 原因は初戦と同じ。初戦は先制したので守りに入った。ギリシアとのゲームでは、相手の退場。これで、俄然、有利になった。そこで、突然、気持ちが守りに入り、リスクを犯す気概が薄れた。豊かな社会に育った、気のいい人々がチームを作ると、こうなりますね。あれが日本人の姿なんだなあ、と再確認した次第。厳しい人格は、厳しい環境でしか育つまい(ただし、厳しい人格を得た人物の誰もが、好んで厳しい環境を求めて育ったわけだはない。だから「無い物ねだり」はやめにすべきかもしれないが……)。
 
 それにしても、ザックジャパンってチームは、思い入れがしにくいチームになっちゃったなあ。これは、私の周りの人間も、異口同音に同じ意見。なぜなんだろう?
 
 確かに上手い。でも「ひたむきさ」「がむしゃらさ」は無い。「本当は俺たち上手いんだぜ!」的な言葉は鼻につく。
 
 何より不愉快なのは、4年間の集積を見せるべきワールドカップで、「戦う覚悟」を見せてくれなかったことなんだが、それも「なぜ?」という驚きよりも、「やっぱりね」と思ってしまう。そこが不愉快。言葉でいいカッコしいしているのは、実は不安の裏返し?  怖いから、中に入らないし、走らない。最初から走ると燃料切れになるから、仕方がないのだろうか? 違うね! そこが問題であることが分かっていたのに、それに取り組まなかったことが、腹立たしいのだ。カッコいいところだけ追求して、本質的な問題を等閑にしたでしょ(カッコいいサッカーしたいなら、負けるにしてもそれを追求して欲しかったなあ……)。
 
 2010年の岡田ジャパンは、守備エリアを限定してこの問題に対処した。ハッキリ言って「カッコ悪いどん引きサッカー」だった。これも一つの回答ではある。が、今回は次のレベルに行きたかったんでしょ。「どん引き」しないでも、勝ってみせるぜ! と。
 
 これが日本代表チームとしての進化だったはず。それがどうだ?初戦では、行くのか行かないのかのドッチつかずで、しかも最後は緊張の糸が切れて2分で2失点。過去の問題点が、全然解決して無いではないか! 
 
 コートジボアールのサッカーと比べればその差は明瞭で、相手の方がオトナのサッカーをしていた。最後の30分でドログバを入れて勝負! というコンセプトが明瞭で、日本はそれに全く対応できなかったでしょ。あんなところで、ど(・)フリーでセンタリング! 目を疑ったよね! それも2回続けて、2失点だもんな。やってる方もショックでしょ。完全に戦略負け。つまり頭脳で負けてたんだから。
 
 失礼な言い方だけど、コートジボアールなんかサッカー以外で名前を聞くことが滅多にない。だからかけている覚悟はハンパではない。我々はハンパな代表を観て、我々のハンパさを思い知る。だから不愉快なんだよ(我々は、曖昧な国で、争いを好まない律儀な国で、育った国民なのだ)。
 
 我々が思い入れをできる代表チームであるためには、我々に欠けているところを克服したチームであるべきで、我々は、そう言うチームを観たいのだ。子供達に「あのチームを見よ!」と言いたいチームであってほしい。そういうチームを見たいのだ。世界に向かって「我がチームを見よ!」と言えるチーム。それが代表チーム。「あんなことしちゃった……?」「あれ、見られちゃった?」「やっちゃったよねえ……わかってはいるんだけどねえ……」と、恥ずかしがるチームではないんだ。それは慎み深さとは違うものですよね。
 
(広瀬一郎)
Line-ups for the 2014 FIFA World Cup Group C match between Japan and Greece.
By Davykamanzi (Own work) [CC0], via Wikimedia Commons