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ワールドカップ開幕直前寄稿■世界最強のブラジル・サッカーは、史上最悪の敗北からスタートした!

 サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会の開幕を前に、興味深い一冊が上梓された。
 
 沢田啓明の書いた『マラカナンの悲劇 世界サッカー史上最大の敗北』(新潮社)がそれだ。1950年第4回サッカー・ワールドカップ(W杯)を中心に、当時の南アメリカ(ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン)の「サッカー事情」描いたノンフィクションである。
 
 第2次大戦による中断を挟み、12年ぶりに開催されたW杯。舞台は前回38年大会で3位に躍進したブラジルだった。
 
 19世紀後半、欧州から伝わったサッカーで、ウルグアイやアルゼンチンの後塵を拝し続けたブラジルは、前年の南米選手権で優勝。立ち見席に観客をギュウギュウ詰めにすれば、20万人もの大観衆を収容する大スタジアム(通称マラカナン・スタジアム)も造られ、全国民の期待と確信のなか、ブラジルは国家と国民をあげて初の世界一に挑んだ。
 
 予選リーグではスイスと引き分けたものの他の試合は圧倒的強さで勝ち進み、決勝リーグも最後のウルグアイとの対戦に、勝てばもちろん、引き分けても世界王者となるところまで駒を進めた。
 
 が、本書の題名通り『マラカナンの悲劇』と語り継がれる「ブラジルの史上最大の敗北」が待ち受けていた。
 
 ブラジル在住の著者は長年に渡って収集した資料や、当時の選手たちへの取材成果を駆使して、その出来事のすべてを詳細に描く。サッカーに限らず、ブラジルとアルゼンチンの二大国と、両大国に挟まれた小国ウルグアイの歴史・文化・国民性……等々、我々が意外と知らない南米の人々の肌合いや考え方、空気が実感として生々しく伝わってくる。
 
 ブラジルの全国民が慟哭した夜、危険だから外出を控えるように言われながらリオの街に出たウルグアイの選手が、レストランでブラジル人の男達から祝福され、自分はこの優しい人たちに間違ったことをしたのでは? と悩むシーンなどは、読者を興奮に導く見事な試合描写以上に感動的でもある。
 
 現在、W杯5回優勝という世界最強と讃えられるまでにブラジル・サッカーとブラジル人の心の歴史は、この「悲劇」と言うほかない「歴史的敗北」からスタートしたのだ。
 
 さて、今年のW杯では、どんな新たな歴史が始まるのか? 「悲劇」は繰り返されるのか? 南米では優勝できない……と言われるヨーロッパ勢の活躍は? そして日本のイレヴンの健闘は……?
 
 サッカーは、起源をたどれば古代メソポタミア文明まで遡り、地上には存在しない「丸い物」すなわち天空に存在する「太陽=世界の支配者」を奪い合う「闘い」だったという。そして「丸い物=ボール=太陽」を奪った者(目的地まで運んだ者=ゴールした者=支配した者)が、世界(社会)の支配者と讃えられたという。
 
 つまるところフットボールの起源は、世界を支配する権力の奪い合いであり、政治であり、政治が遊戯化されたものがフットボール(サッカー)というわけだ。だから今日でも、世界中の人々が、4年に1度の「太陽の奪い合い」に大興奮するのかもしれない。
 
 本書『マラカナンの悲劇』は、読み応えのある素晴らしいノンフィクション作品だが、ただ一点、広島育ちの著者が、何十万人もの命を奪った原爆と「サッカーの悲劇」を同列に語る姿勢だけは納得できなかった。
 
「サッカーを戦争に喩えるのは戦争を知らない人である……」
 レバノン内戦を伝えたテレビ・ドキュメンタリー番組のなかで、銃弾が飛び交うなかで地元のサッカー・クラブに所属し、銃を片時も手放さずサッカーに励む市民兵士のサッカー選手の口から出た言葉を、今も憶えている。そんな言葉を思い出させてくれたのも、本書のおかげと言えるかもしれないが……。
 
(玉木正之:共同通信配信原稿+NBSオリジナル)