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「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(255) リオパラ金のフグ、東京マラソン車いす男子で初優勝。雨中の熱戦を制した戦略

13回目を迎えた東京マラソンは3月3日、東京都庁から東京駅前までの42.195kmのコースで行われ、車いす男子は2016年リオパラリンピック金メダルのマルセル・フグ(スイス)が1時間30分44秒で初優勝を果たした。日本人最高位は1時間35分39秒で4位に入った洞ノ上浩太(ヤフー)。女子はマニュエラ・シャー(スイス)が1時間46分57秒で昨年に続き連覇達成。日本勢では中山和美(アクセンチュア)が2時間3分40秒で5位に入ったのが最高位。過酷な気象条件の中とはいえ、男女とも表彰台を逃した日本勢には課題を残した大会となった。ガッツポーズでフィニッシュに飛び込む、マルセル・フグ。東京マラソン2019車いす男子の部で悲願の初優勝! (写真提供: (C)東京マラソン財団)

9時5分のスタート時の気温は5.7度(主催者発表)。冷たい雨が降り続く、厳しいレースとなり、車いす男子は出場26名中、完走15名で完走率57.7%の中、世界王者フグはやはり強かった。

33歳のフグは10歳から車いす陸上を始め、パラリンピックには2004年アテネ大会から連続出場し、リオ大会のマラソン優勝のほか、アボット・ワールドマラソンメジャーズ大会(東京、ボストン、ロンドン、ベルリン、シカゴ、ニューヨーク)を何度も制覇している「絶対王者」。だが、東京マラソンは2度目の出場で、2017年の初出場時はフィニッシュ前のスプリント勝負で1秒差の2位に終わっていた。

「初優勝を狙ってきたので、とても嬉しく幸せ。レース内容にも満足している。今年の初戦で優勝できたことは、次のレース(ボストン、ロンドン=世界選手権)に向けて自信になった」と充実の表情で語った。
過酷な気象条件のなか、後半は独走で優勝し、表彰式に臨んだマルセル・フグ (写真提供: (C)東京マラソン財団)

車いすレースは近年、実力者がけん制し合い、集団のままレースが進み、フィニッシュ前のスプリント勝負になることが多い。だが、「最初から攻めていこうと思っていた」とフグがレース後に明かしたように、スタートから2㎞までにフグを含む4人が抜け出し、10㎞では3人に絞られる珍しい展開となった。この時、集団にいたのはフグの他、試合巧者のベテラン、エルンスト・バンダイク(南アフリカ)と、メジャー大会2連勝中で今最も勢いに乗る20歳の新鋭、ダニエル・ロマンチュク(アメリカ)3人。

平均時速30キロ前後と高速で進むレーサーでは、集団の先頭に立つと向かい風の抵抗が強い。3選手がペースを維持するため、時折、先頭を交代(ローテーション)しながら、レースは進んだ。だが、19㎞過ぎに橋のアップダウンを利用してフグが仕掛けると、まずバンダイクが離され、しばらく粘ったロマンチュクも振り切られた。25㎞地点では2位ロマンチュクに33秒の差を広げ、フィニッシュラインまで一気に駆け抜けた。
前半の約20㎞を競い合った3選手。左から、3位となったエルンスト・バンダイク、このあとライバルを置き去りにして優勝したマルセル・フグと、後ろは2位に入ったダニエル・ロマンチュク (写真提供: (C)東京マラソン財団)

「天候もあり、ペースの維持は難しかったが、攻めの気持ちはずっと持っていた。20㎞以降で相手を疲れさせ、あきらめさせようと、ロングスパートをかけた」

一昨年の出場でコースを知っていた経験値も生かした王者の駆け引きが、東京初出場で手探りだったロマンチュクの勢いを上回った。

また、経験値といえば、フグは「雨でも強い」と定評がある。大寒波の中を制した昨年のボストンマラソンを始め、悪条件の中でも強さを見せる。勝因の一つには「準備の周到さ」がある。今回もスタートから一人だけ、ウエアの上に薄いレインコートのようなものを羽織り、寒さ対策を施していたように見えた。

さらに、最大の勝因としては、グローブの工夫を挙げた。車いすの選手は、車輪にあるハンドリムと呼ばれるリング状の部品を叩くように回して漕ぐため、グローブを着用している。手の保護だけでなく、効率よく力を加え車輪を回すための重要な用具であり、フィット感はもとより、漕ぎやすい形に加工し、カスタマイズしている。素材はゴムやプラスチック樹脂など、使用感や握力、腕力なども考慮しながら、選ぶ。

フグは雨天時には紙やすりのような素材を貼った特製のグリップを使っているといい、この日のレースも、「よいグローブのおかげで、ずっと滑りにくい状態で走れた」と話し、また、多くの選手が雨を苦手とする中、「雨は得意。今日は僕に有利なレースだった」と言い切った。絶対王者の王者たる所以を見せつけられたレースだった。

一方、急成長で今大会も台風の目として注目ながら、フグに3分以上の差をつけられ2位に終わったロマンチュクだが、「マルセルは素晴らしい選手。すごい加速で、置いていかれた。初めての東京で、雨と寒さの厳しい条件の中、準優勝できてとても満足している」と笑顔を見せた。
東京マラソン初出場で準優勝を果たし、「とても満足」と話したダニエル・ロマンチュクは事前会見(3月1日)で長いリーチを披露。ダニエル・ロマンチュクと、思わずのけぞって驚いた、マルセル・フグ(左)と前回優勝の山本浩之(右)(撮影:星野恭子)

先天性の病で下半身にまひのあるロマンチュクは、2歳からさまざまな車いすスポーツを始め、「いちばん得意だった」という陸上で、リオパラリンピック初出場。トラック5種目に出場以降、マラソンにも本格参戦。2018年はボストン3位、ベルリンで5位と適性を示したのち、シカゴではフグに1秒差で競り勝ち、メジャー初優勝。続くニューヨークも連覇し、2020年東京パラリンピックに向け、一躍、アメリカの星に躍り出た。

「2020年大会の前に、東京の雰囲気とコースの経験を積めたのはよかった。できれば、(2020年は)トラック種目とマラソンの両方で出場したい。今からワクワクしている」

両手を広げると2m以上という長いリーチを武器に、車いすをグイグイと走らせるパワーが魅力のロマンチュク。大きなポテンシャルを示した今大会だった。
東京マラソン2019車いす男子の部の表彰式。左から、ロマンチュク(2位)、フグ(1位)、バンダイク(3位) (写真提供: (C)東京マラソン財団)

日本人トップの洞ノ上。復活の兆し

表彰台は逃したが、日本人トップの4位に入ったのは、ベテランの洞ノ上だ。序盤は後続集団の中で様子を見たが、徐々に動くようになった体調の勢いに任せ、少しずつ順位を上げた。

25㎞地点では第2集団にいたが、ライバル2人の疲労を感じ取り、すかさずスパート。30km以降は一人旅となったが、気持ちを切らさず前を追い、3位のエルンスト・バンダイクから58秒差でフィニッシュした。

自身も「雨に強い」と言われる一人で、いつものグローブに滑り止めの布を貼り、松脂を塗って雨対策を施したという。「雨(のレースは)想定内。誰にとっても条件は同じ」と話し、さらに、車いす選手は登りや下り、スプリント力や持久力など、それぞれ得手不得手があるが、「トップの3選手には穴がない。雨のコンディションでも勝ち切る選手は勝ち切る。力の差があることを実感した」と結果を冷静に分析した。
後続集団の中で展開を読む、洞ノ上浩太(左から2番目)。じっくりと前を追い、最終4位まで順位を上げた(写真提供: (C)東京マラソン財団)

快調なレース運びの要因の一つに、2016年リオパラリンピックで7位入賞以降に着手したレーサー(車いす)の改良を挙げた。シートの前後位置や高さなど「ポジション」に微調整を施す作業だが、この調整次第で車いすを効率よく力強く漕げるかどうかに大きな差が出る。体のサイズや筋力、障害の程度などにより、自分に最適なポジションを探ってミリ単位の調整が欠かせず、長期にわたって試行錯誤するケースも少なくない。

「2020年に向けて、いったんゼロベースで考えて挑もうと思った」と心機一転の覚悟だったと言い、「ようやく昨年9月のベルリンマラソン辺りからしっくりくるようになった」と手ごたえを口にした。

日本記録保持者(T54クラス/1時間20分52秒)で、2016年の東京マラソンでも3位に入っている実力者の復活。2020年大会は母国開催であり、真夏という気象条件もある。「いろいろな要素があるので、(勝利の行方は)分からない。出場権を得られれば、しっかりコースをチェックして、勝ちに行きたい」

女子は、メジャー3連勝中のシャーが独走V

男子と同時スタートで争われた女子も出走9名のうち、完走は5名と、厳しい気象条件の影響を大きく受けたが、やはり、強い人が勝ち切った。昨年秋のベルリン、シカゴ、ニューヨークを連勝した勢いのまま抜け出し、昨年からの連覇を達成したのがシャーだった。男子選手との集団の中で、レースを進めるマニュエラ・シャー(左から2番目)。東京での勝利で、今季のメジャー大会は4連勝 (写真提供: (C)東京マラソン財団)

「10㎞まではよかったが、その後は雨も強くなり、寒さも増した。完走できるか不安もよぎった」と話したが、スタートから並走していたライバルをハーフ地点通過後に振り切ると、独走で勝利をつかんだ。

過酷な気象条件だったが、「過去の失敗」が力になったという。昨年のボストン大会で、寒波に勝てず途中棄権した経験を活かし、「今回はしっかり対策をした。防風できるウエアやグローブに気を使った」と勝因を振り返った。

「今回の勝利は、とても意味がある。今後のレースに自信をもって臨める。とくに(4月の)ロンドンは世界選手権でもあり、タイトルを狙いたい」

過去の失敗を成功に転嫁したシャーがまた一つ強さと自信をつかみ、連勝街道をひた走る。
東京マラソン2019車いす女子の表彰式。左から、タチアナ・マクファーデン(2位)、マニュエラ・シャー(1位)、スザンナ・スカロニ(3位) (写真提供: (C)東京マラソン財団)

(文・写真:星野恭子)