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W杯ブラジル大会開幕間近特別企画「World Cupのアルケオロジー」 ■番外編:消費文明とTV~スポーツの普及と商業化(広瀬一郎)

1936年に開催されたヒトラーのベルリン五輪では、「スポーツの訴求力と求心力」が証明された。そこに注目し、次の立候補地として国粋主義を掲げるムッソリーニのローマと日本帝国の東束が最も熱心に誘致運動を行った。

ムッソリーニはすでに1934年に第2回ワールドカップの開催に成功し、史上初のサッカーのラジオ実況中継が行われていた。結局日本の説得でローマが降り、決選投票でヘルシンキに勝ったのだが、太平洋戦争のために、東京大会は幻の大会となってしまった。

ちなみに東京大会に向けて日本はテレビ放送局の開局も準備していたが、それも幻となり、テレビ局の開設は戦後に持ち越される。スポーツイベントが“ニューメディア“の開発の契機となる伝統は、現在でも継続されている。これもまたスポーツイベントの経済的な一側面に違いない。

わが国ではNHKが1953年に放送を開始した。本放送に先駆けて、1951年6月3日に実験放送で日本初のスポーツ中継を、同じくNHKが行っている。後楽園球場からパ・リーグの中継画面が公開会場に送られたときは、居並ぶ見物客から一斉にどよめきが上がったと言われる。

ちなみに1953年2月1日、NHK放送開始日時点の受信契約数は866台、受診料は月額200円だった。日本における商業放送テレビ局第一号は、同じく1953年に開始した日本テレビである。8月28日の開局の翌日、日本テレビはさっそく巨人―阪神戦を後楽園から中継放送を行ったが、この時点では放送権料という考え方は確立していなかったようだ。スポーツ番組が初めてテレビに登場したのは、アメリカでは1941年。日本ではNHKによって、本放送開始の年の5月場所から相撲中継が放送された。

1960年代に先進国では急激な生産力の向上が図られ、供給力が高まった。需給関係は逆転し、ここから「消費」が始まった。TVは「マス生産」を維持するために「マス消費」を煽る「マスメディア」として消費文明の重要な地位を占めるようになった。スポーツはテレビがそれまで大衆メディアとして君臨していたラジオの牙城を崩す、最も有効な武器だったのだ。それは、まず我が国で開催された1964年の東京五輪で証明されたのである。

1964年の東京オリンピックでは、史上初のカラー放送とスロービデオ再生が行われ、スポーツ放送の価値がさらに高まる契機となった。この大会の経済的な側面で特筆すべきなのは、オリンピック開催が国家的事業とされ、大会に間に合うように新幹線や高速道路等のインフラ整備が進み、その後の国内の産業振興に結びついたことである。

また大会が円滑に運営され成功裡に終わると、“日本”というブランドにも多大なPR効果があった。それまで敗戦から驚異的な復興を遂げていることは世界に知られていたが、メード・イン・ジャパンは「安かろう、悪かろう」の代名詞でもあったのだ。それが東京オリンピックの成功で、工業製品における日本ブランドは欧米先進国においても一流とみなされるようになり、その後家電や自動車の海外輸出が顕著な伸びを示すようになる。巨大なスポーツイベントは、万博などと同様にインフラ整備や産業振興のドライビングフォース(推進力)としても機能してきたのである。

次回はイングランド大会(1966年)から、またワールドカップの連載に戻ります。

PHOTO by WGN-TV, Chicago (eBay item photo front photo back) [Public domain], via Wikimedia Commons