W杯ブラジル大会開幕間近特別企画「World Cupのアルケオロジー」 第5回■「世界化教」の国・フランスでの開催(広瀬一郎)
1930年ウルグアイ、1934年イタリアに次ぐワールドカップの1938年第3回大会は、「ワールドカップの生みの親であるジュール・リメの功績を讃えるため」に、フランスで開催されることになった。イタリア大会に引き続きの「欧州での連続開催」に対して南米連盟(CONMEBOL)は当然ながら抗議した。が、通らなかったのでウルグアイとアルゼンチンは参加を拒否した。
「サッカーの母国である英国は、サッカーの世界的な普及に余り関心が無かった」ことは以前に触れた。モノゴトの「世界化=コスモポリタン」への発想は、フランスを経由して始まる。サッカー以外の例としては、「料理」と「ファッション」がある。中世にメディチ家からフランス王家に輿入れした際、同道して来た数十人のシェフがフランス料理の源である。また、17世紀にはルイ14世のもとで財務総監を務めたコルベール(1619~83)が、タペストリー・ガラス・織物・陶磁器など贅沢品の製造を奨励。つづくナポレオンはパリをファッションの世界的なメッカにしようと考え、占領したイタリアから百人のお針子をパリに連れてきた。そして1950年代にフランスはファッションを外貨獲得の中心にしようと政府肝いりで、洋服(オート・クチュール)、バッグ、香水、宝飾をはじめとして、皮革、クリスタル、銀細工、陶磁器、インテリア、シャンパン、ワイン、 コニャック、そしてフランス料理、ホテル、の各産業の統合を図った。その際、中心になった委員会の名前は「コルベール委員会」だった。
話をもとに戻して……第3回ワールドカップ・フランス大会では、W杯史上唯一の不戦勝が生じている。1938年の大会直前に、ナチス・ドイツがオーストリアを併合し、オーストリアという国が消滅してしまった。従って、予選を勝ち抜いて本戦への参加資格を得ていたオーストリア代表だったが、チームも消滅してしまった。
そこでワールドカップ史上唯一の不戦勝は、オーストリアと対戦予定だったスウェーデンとなった。今とは試合形式が違い、最初からトーナメントだったから「勝ち点」や「得失点」は問題にはならない。そもそも「カップ戦」は、基本的にトーナメントなのである。
もっとも、チームが消滅したのだから、オーストリアは不戦敗ではない。オーストリア代表の何名かはドイツ代表に組み入れられて出場している。当時、オーストリアは優勝候補の一つであり、選手の質は高かったが、助っ人が突然入ってもドイツのチーム力はあがらなかったようだ(チームの中でオーストリア人が過半数を占めないように配慮されたためか、ドイツは1回戦でスイスと対戦して延長戦で1-1の引き分け。5日後に再試合となり、2-4で敗れた)。
この大会ではイタリアが連覇を果たした(準決勝でブラジル相手に決勝点をたたき出したのが、インテルの名選手メアッツアである。彼の名は現在、スタジアム名「スタジオ・メアッツア」として残っている)。1970年のメキシコ大会の決勝でイタリアが勝てば、ワールドカップ優勝3回目となり、ジュール・リメ杯の永久保持国となったのだが、ペレを擁すブラジルに38年大会の雪辱を果たし、それがブラジルの3回目の優勝となり、ジュール・リメ杯の永久保持国はブラジルとなった(そして新たに、現在優勝国に渡されるFIFAワールド杯が創られた)。
1938年のフランス大会は、は戦前最後のワールドカップとなった。戦後、欧州よりも戦渦が小さかった南米のブラジルで1950年に再開されるまで、12年間のブランクができた。やはり国際スポーツ大会は、開催そのものが平和の象徴と言える。
今回のブラジル大会予選では、FIFAランキング最下位のアメリカ領サモアがついに公式戦で1勝をあげた。実は予選の3週間前にドイツでプロとしてプレーしていた選手を代表に入れている。その選手は6歳の時に家族と供にアメリカに移住したサモア人であった。アメリカ領サモアは今世紀になってから、オーストラリア相手に「0−31」という空前絶後(って言っていいのかな?)のスコアで負けて話題になった。そこから公式戦初の勝利までを描いたドキュメンタリー映画『ネクスト・ゴール!(Next Goal)」が近々(5月17日から)全国ロードショーされる予定だ(http://nextgoal.asmik-ace.co.jp/)。サッカー好きな人にはおススメの佳作だ(「人はどうしてこんなにサッカーが好きなんでしょうか!?」というのが筆者の映画を見た感想です)。
Photo by Nationaal Archief,
via Wikimedia Commons
Netherlands - Czechoslovakia match, 1938 World Cup