佐野稔のフィギュアスケート4回転トーク/世界選手権総括 羽生と町田を分けた数センチの差 浅田4年ぶりの世界女王は文句なし
●羽生vs町田 名勝負を分けた数センチの差
男子の金メダル争いは、まさに熾烈。しかも、それを世界選手権の大舞台で、日本人選手同士がやってのけた。それ自体がものすごいことだと思います。素晴らしい名勝負でした。
金メダルの羽生結弦、銀メダルの町田樹。ふたりのメダルの色の違いを分けたのは、ほんの小さなミスでした。具体的には、町田が3回転ループの着氷で「オーバーターン」をとられたことです。そのためGOE(出来栄え点)で、0.70の減点となってしまった。羽生と町田の合計得点の差は、わずか0.33でしたから、そのミスさえなければ、町田の優勝だったわけです。たったひとつの「オーバーターン」。言わば、ほんの数センチの差で、ふたりの勝敗は決まったのです。
町田のショート・プログラム(SP)、特に最初の4回転-3回転のコンビネーションジャンプは見事でした。これまで私が見てきたすべてのフィギュアスケートの演技のなかで「最高」と言っても、大袈裟ではないようなコンビネーションでした。フリーでも、いきなり4回転トゥ・ループをポンポンと成功させて「この様子なら、町田がこのまま逃げ切るんじゃないか!」とも思ったんですが、そのあとのトリプル・アクセルの着氷でグッとこらえるようになってしまい、直後の3回転ループで「オーバーターン」。町田にしてみれば、おそらく練習でもしないようなミスだったのではないでしょうか。
それに対して羽生のほうは、去年12月のGPファイナル、全日本選手権、そしてソチ五輪と、今シーズンことごとく失敗してきたフリー冒頭の4回転サルコゥを「優勝するには、ここで決めるしかない」というタイミングで成功させてみせた。いくつかのマイナス要素はあったけれど、今シーズンの羽生にとっての最高のフリーを披露して、GPファイナル、ソチ五輪に続いての金メダルを勝ち獲ってしまう。よく「そういう星の下に生まれた」「持っている」なんて表現をしますけど、気がつくと主役の席には、いつも羽生が座っている。スゴいとしか言いようがありません。
●羽生が見せた男の意地 来季以降の町田、小塚に高まる期待
優勝したあとの羽生は、盛んに「意地でした」と話していましたが、それがソチ五輪金メダリストとしての意地なのか、それともSPで、羽生からすれば「失敗するはずのない」4回転トゥ・ループを失敗してしまった自分に対する意地なのか。その真意は分かりません。ですけど、これまではどちらかと言えば、「華麗さ」や「みずみずしさ」といったイメージのほうが表立っていた羽生の、胸の内に秘めた男の意地、骨っぽさみたいなものを、垣間見ることができました。
羽生の逆転劇の前に、やや印象が薄くなってしまいましたが、町田がやってのけた「世界選手権初出場で銀メダル」というのは、相当な快挙です。たとえば、2年前に注目を集めた羽生しても、初めての世界選手権では銅メダルだったわけですから、町田はその上を行ったもと言えます。昨シーズンの最初は良かったのに、終盤失速した町田には、私は正直、物足りなさを覚えていました。ところが、今シーズンはグランプリ・アメリカでの優勝に始まり、インタビューの受け答えひとつをとっても、別人のような成長ぶりを見せてくれました。
彼はある意味、這い上がってきた選手です。ソチ五輪の前には「五輪を最後に…」といったニュアンスのコメントをしていましたが、五輪の舞台を実際に経験して、そんな気持ちは微塵もなくなったようです。今回順位が決まったあと、並んでテレビのインタビューを受けていた羽生に「来年は自分が世界一を獲りに行く」と宣言していましたが、その意気や良しです。来シーズン以降、羽生と町田には互いを高め合う、ふたりにしかできないような「ライバルストーリー」を描いてもらいたい。
総合6位に入った小塚崇彦は、大健闘だったと言えるでしょう。ソチ五輪に出場できなくなった時点で、おそらくオフシーズンに入っていたはずです。それを髙橋大輔の欠場で、急遽氷上に立つことになった。私の経験上、わずか3週間だけの準備期間で、世界レベルの大会に出場するのは不可能です。しかも、一度心身のスイッチをオフにした状態からです。そんな困難な状況にあっても、小塚は自分にできる限りのことを、しっかりとやっていました。ぜひ今回の経験を、今後の競技生活に活かしてもらいたいと思います。
●ひとりだけSPとフリーを滑り切った浅田 文句なしの金メダル
羽生のことを、気がつけばいつも主役になっているような選手だと言いましたが、浅田真央についても同じことが言えます。まるで日本じゅうの人に愛され、受け入れてもらっているかのよう。男女の枠を越え、羽生を含めたすべてのスケーターが「ああいう選手になりたい」と憧れる存在ではないでしょうか。そうした「浅田らしさ」を、この大会でも如何なく発揮してくれました。とりわけSPはプログラム全体のスピード感、ジャンプの高さ、トリプル・アクセルの成功と、すべてが完璧でした。
フリーについても、一度大きくバランスを崩したことで、ソチ五輪のフリーと較べて見劣りした感があったかもしれませんが、全体の内容は素晴らしいものでした。トリプル・アクセルも回転不足と判定されましたが、私個人は五輪のフリーや今大会のSPのトリプル・アクセルと、まるで遜色のない出来だったと思っています。
あれほど完璧なSPをしていながら、カロリーナ・コストナー(イタリア)にしても、ユリア・リプニツカヤ(ロシア)にしても、考えられないくらいの素晴らしい演技をしたことで、フリーが始まる前の段階では、上位はほとんど点差のない状態でした。ところが、スケジュールが1日空いたことが影響したのか、フリーでは失敗の連続になりました。
じつはSPが終わった段階で、ソチ五輪からノーミスの続いていたコストナーが浅田の対抗馬になると予想していたのですが、コストナー陣営は「従来のままのフリーでは、勝つのは難しい」と考えたのでしょう。金メダルを狙って、ソチ五輪のときよりもワンランク難しい構成にして来ました。ですが、五輪からの1ヶ月ちょっとの準備期間では足りなかったようで、今回のフリーでは、コストナーにもミスが目立ちました。その結果、SPとフリーの両方をしっかりと滑り切ったのは、浅田ひとりだけだったのです。文句なしの「世界女王」でした。
●まずはゆっくりと休んで欲しい 日本女子3選手
今大会限りでの引退を表明していた鈴木明子ですが、現役生活の最後に世界選手権が日本で開催されて、SPでは自己ベストの滑りができた。彼女の競技人生は良いことばかりがあったわけではありません。ソチ五輪も足の痛みに苦しめられました。だけど、そうしたことを理解してくれている日本のファンの大きな拍手に送られて、リンクを後にすることができた。その点では、報われたのかもしれません。本当にご苦労様でした。
村上佳菜子については、まだまだこれからの選手です。GPシリーズ、五輪出場権を懸けた全日本、初めての五輪、そして世界選手権と、これまで以上の大きな重圧のなか、めまぐるしく駆け抜けてきたシーズンだったことでしょう。まずはゆっくりと休んでから、いまの自分に足りないものは何なのか、今後何を身に付ける必要があるのかといったことを、見つめ直して欲しい。今回の世界選手権には15歳のアンナ・ポゴリラヤ(ロシア)、同じく15歳のポリーナ・エドモンズ(アメリカ)といった、来シーズン以降大きく飛躍しそうな若手選手の姿がありました。また、この大会に先駆けて3月中旬に開催された世界ジュニア選手権では、ロシア勢が表彰台を独占しています。彼女たちに対抗すべく、日本女子の先頭に立ってもらうためにも、村上にはさらなる成長を期待しています。
そして、浅田真央です。彼女こそ15歳のときに、いきなりGPファイナルに優勝して以来、ずっとずっと走り続けてきたのです。とにかく、いまはゆっくりと休んで欲しい。今後の進退について、周囲が騒がしくなるかもしれませんが、慌てて答えを出す必要はどこにもありません。まずは心と身体を充分に休めること。そこから始めなければ、きっと良い答えも見つからないのではないでしょうか。
●五輪シーズンでも、日本開催だったからこそ内容は充実
過去を振り返れば、オリンピックシーズンの世界選手権は、あまり内容の良くないこともありました。ところが、今年の大会はひじょうに引き締まった、内容の充実した大会になりました。それを支えていたのは「さいたまスーパー・アリーナ」を埋め尽くした、約1万8千人ものお客さんがつくり上げた空気でした。
いま世界中のどこを見渡しても、あそこまでお客さんの入るフィギュアの大会はありません。現在の日本のフィギュア人気は、「本場」「大国」と呼ばれる国々を凌駕するほどです。しかも会場内では、日本選手のみならず、各国のスケーターたちの背中を押すような、温かい声援が送られていました。日本開催だったからこその好大会、名勝負でした。日本のフィギュア関係者のひとりとして、自慢したくなるくらい。ひじょうに誇らしい世界選手権でした。
Photo By Luu, via Wikimedia
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