W杯ブラジル大会開幕間近特別企画「World Cupのアルケオロジー」 第1回■W杯ってなんやねん? 第2回■フランス人の啓蒙思想(広瀬一郎)
第1回
■ワールドカップってなんやねん?
「誰も私に尋ねなければ、私は知っている。だが、ひとたび尋ねられて説明しようと思うと、知らないのだ」。
これは聖アウグスティヌスが「時間」について述べた有名な一節である。今日でも私たちの身の回りにこういう事柄が実に多い。(私は友人達からスポーツオタクと呼ばれることが多い。その私が、「スポーツマンシップ」という誰もが使っている言葉をきちんと説明できない、と気がついたのは42歳の時だった。その時の衝撃は今でも忘れられない)。
常識とは何か?ビアスの「悪魔の辞典」、あるいは芥川の「侏儒の言葉」風に、「人々ができて当然だと考えているが、実はできていない事柄」とでも答えようか。そこで、常識として改めて訊こう。
「ワールドカップってなんやねん?」と。(いかん、玉木編集長の関西弁が移ってしもた!)
よく知られている歴史的な事実として、「サッカーのワールドカップ」は1930年に、ウルグアイで開催された。なぜだろうか?
「なぜ1930年か?」これは、第一に20世紀になってサッカーが世界的に普及したという事。第二に、普及した結果、世界で一番強いチームを決める「世界選手権」の開催を求める声が高くなったこと。もっとも、オリンピックの種目として、既にサッカーは採用されていたから、金メダルのチームがチャンピオンではないの? なぜ、オリンピックとは別に「世界選手権」、つまりWカップを開催する必要があったのか?
この答えが第三のキー・ポイントの「アマチュア」の問題。
1973年のIOC(国際オリンピック委員会)総会において、IOC憲章の中の「五輪参加資格としてのアマチュア」という条項の削除が決まる。それまではオリンピックにプロは参加できなかったのだ。実はこの決定が明るみに出たのが1984年のロサンゼルス五輪。公開競技(デモンストレーション・スポーツ)の女子テニスでシュテフィ・グラフが金メダルをとって、一般の人が「プロが出てる!」という事実に驚いた。
翌年の1985年に、混乱を招いたJOC(日本オリンピック委員会)は「各競技団体が決めた五輪参加選手にプロがいてもJOCは拒否しません」と声明を出す(選手選考の責任は、私たちではなく、各競技団体にあるのです!というわけですね)。ちなみに、この決定を受けて、JFA(日本サッカー協会)は「プロリーグ創設の検討委員会」を開始した(それが「準備委員会」に変更されたのが1989年のこと。その経緯を詳しく知りたい方は、拙著『サッカービジネスの基礎知識」東邦出版を参照してください)。
「アマチュア」という「概念」を参加資格としたために、大きな誤解と混乱が生じている、と憂えたのは国際サッカー連盟(FIFA)の第4代会長になるジュール・リメだった。言わずと知れたワールドカップの生み親である。
第2回
■フランス人の啓蒙思想
ジュール・リメはフランス人である。
FIFAは、1904年にパリで創設されている。なぜ?と言いたくなるキー・ポイントの4つ目が、「フランス」だ。そう言えば、近代オリンピックの生みの親であるピエール・ド・クーベルタンもフランス人。その意味は大ありなのだ。
サッカーの母国はイギリス。だがイギリスはサッカーを楽しめばいいのであって、「世界に普及する」という指向がなかった。フランスには「啓蒙思想」なるものがある。ナポレオンが遠征に行く際、十万の兵士に対して行なった演説草稿が残っている。「我々には世界に民主主義を広める使命がある!」……あれ、最近どこかで聞いたことがあるなあ……。あ、ブッシュがイラクを攻める時だ!……それは、ともかく、どうもフランス人は無知蒙昧な我々を善導すべしという大変な使命感をお持ちなのだ(大きなお世話のコンコンチキだが)。
例えば、万国博覧会。これも1849年にフランスが提唱し、1851年にロンドンで第1回万国博覧会が開催されたときは「Great Exhibition」だったのだが、1889年に開かれたパリ万博では「Exposition Universelle de
Paris」(英語名は、International Exposition)と名称が変っている。
サッカーの母国イギリスでは、そもそも「サッカーの世界化には興味がなかった」ので、1904年にFIFAが創設された時、イギリス(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)は参加していない。が、まったく気にはしていなかったようだ。
日本にサッカーが伝わり、普及し始めたのは1904年のFIFA設立直後のことだった。その2年前の1902年、日本はサッカーの母国イギリスと日英同盟を結んでいる。が、同盟関係とサッカーの伝播は無縁だったようだ。そして、1919年にFIFAとも関係のないサッカー大会が日本で開かれ、それが英国に報道された。英国のサッカー協会(FA)は、「初の全国大会」という「誤報」に対して、なぜか素早く反応した。大会創設を祝って銀杯(FAカップ)が贈られてきたのだ。元祖(FA)が、本家(FIFA)よりも早く先手を打ったのだ。この「誤解」が元となって、1921年に天皇杯が創設され、現在に至っている……。
うーん、なかなかワールドカップ創設まで辿りつかないなあ……。
次回は、ワールドカップ創設のきっかけとなった「ジュール・リメの朝の散歩」から、第1回創設まで。