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本当の地域密着型スポーツクラブとは?(玉木 正之)

地域のクラブは誰が作る?

野田首相の破れかぶれ解散(TPP解散?)で、今年は選挙で年が暮れる。

残念ながら、選挙では、スポーツは話題にならない。

シリア内戦の長期化で可能性の高まっている2020年の東京オリンピック招致についても……、開催は決定しているが認知度が低いままの2019年ラグビーW杯日本大会に向けての準備についても……、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)における「日米地位協定」並みの不公平についても……

……その他、スポーツ界の話題は、まったく選挙の争点にもマニフェストにもならず、最近の日本のスポーツは、日本社会とは掛け離れた存在になっているようにも見える。

前回の衆院選のときは、自民、民主、両党のマニフェストにも「スポーツ政策」の項目があり、大まかに言って、トップ・アスリートの実力強化と五輪や世界大会での活躍を謳ったのが自民党、それに加えて地域スポーツの充実を主張したのが、民主党だった。

もっとも、どちらにも大きな政策上の違いは存在せず(スポーツ政策以外でも同じことが言えそうですが・笑)、昨年、旧来のスポーツ振興法に変わって約半世紀ぶりに超党派によるスポーツ基本法が成立し、今年、ロンドン五輪で史上最多のメダルを獲得すると、「スポーツ政策」は完全に政治の舞台から消えたようにも思える。

しかし日本のスポーツ界の最も大きな「問題」そして「課題」は消え去っていない。それは、一言でいうなら、「学校体育から地域スポーツ(クラブ)への移行」だ。

以下の文章は、2007年2月、大阪市生涯スポーツ振興課が発行した広報紙『大阪生涯スポーツ』に寄稿した原稿(を少々手直ししたもの)である。

今、選挙の季節に、日本の社会と政治には「スポーツ政策」が必要であることを訴えておきたい。

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ドイツのサッカー・クラブを初めて取材したとき(1999年1月)のことである。

HSV(ハンブルガー・スポーツ・フェライン)という「スポーツ・クラブ」の「練習場」を訪れて、わたしは呆然と立ち尽くしてしまった。

そこには、天然芝に覆われたサッカー場が4面もあった。ほかに、天然芝のフィールド・ホッケー場が一面と、テニスコートが約30面!

さらにバスケットボールとバレーボールとハンドボール、それに体操教室が共用している大きな体育館が2棟あり、レストランやバーがクラブの広い敷地の離れた場所に2軒。

そして20人くらいが一度に使えるシャワールームやサウナを備えたロッカールームが事務棟の建物の一角にあった(それにスポーツ用品やクラブのキャラクター・グッズを販売するお店の建物も)。

そこは、ブンデス・リーガの1部で首位争いをしている名門サッカー・チームの一流選手が練習に使う場所でもあり、日本のマス・メディアは、そのブンデス・リーガのチームの勝敗や日本人選手の活躍しか報じない。

が、そこでは、毎日夕方になると、テニス・ラケットを持った仕事帰りのOLや、バスケットボールを抱えた若者たちが、三々五々集まってきているのだ。また、小中学生や、幼稚園に通うような小さな子供たちが、父親や母親のクルマに乗せられて、サッカー教室や体操教室にやってくるのだ。

 そうして、誰もが、一流のサッカー・プレイヤーと同じ施設で、スポーツを楽しんでいるのだ。あるいは、子供を連れてきた父親や母親が、子供の練習が終わるまでのあいだ、バーやレストランで酒や食事を楽しみながら四方山話に花を咲かせている。なかには会議室で、学校や地域の課題を話し合う集会を開いている父兄もいた。

なるほど、これが「地域密着型の総合スポーツクラブ」というものなのだ。そのとき、わたしは、はじめて納得した。ヨーロッパでは、スポーツクラブが、スポーツを行う場所という以上に、地域社会の核になっているのだ。

百聞は一見にしかず——とは、よくぞ言ったものである。

アメリカのベースボールのマイナーリーグ(メジャーリーグの下部組織)のチームがある都市でも、似たような光景を見たことがある。

観客が一万人も入れば満員になる野球場で試合があるときは、試合開始の3時間くらい前から観客が集まりはじめ、駐車場兼用のピクニック席(野球を見ながら家族で食事のできる椅子と机のある席)では、そこかしこでバーベキュー・パーティがはじまった。

近所の人達と、あるいは、そこで初めて出逢った人達と、みんなでビールを飲み、焼き上がったばかりの肉やトウモロコシやフランクフルトを頬張りながら、野球の話だけでなく、子供の教育の話をしたり、ゴミの処理や、商売の話をしたり……。そこは、地域の情報交換の場所でもあった。

スポーツを楽しむ、とは、こういうことなのだ。

スポーツは楽しい。だから、人が集まる。人が集まるならば、いろんな話ができる。それが、スポーツクラブというものなのだ。

ハンブルガーSVのバーで談笑していた父親たちに、「素晴らしいスポーツクラブが近くにあって、いいですね」と話しかけたところが、次のような答えが返ってきた。

「私は、半年前にミュンヘンから引っ越してきたんだけど、ミュンヘンのクラブのほうが、もっと良かった。サッカー場の芝生ももっと綺麗だったし、バーで出されるソーセージももっと美味かった。ここはダメだな」

そういったあと、つづけて彼の口からでてきた言葉に、わたしはさらに驚かされた。

「だから、せめて芝生くらいはもう少し整備してくれと、明日、友人と一緒に市役所へ行って頼んでみるよ」

ハンブルガーSVは、税金の援助とプロ・サッカークラブの収入と、クラブの会員の会費(3万人近い登録会員の1人月額約2000円の会費)で運営されている。だから、クラブの会員となった彼は「言う権利がある」という。

豊かな社会とは一人一人の住民が作るものであり、そのように社会に参画できる場所が「地域社会のスポーツ・クラブ」であり、そういった環境を整えるのが、政治と行政の仕事に違いない。

このような環境は、企業スポーツや、マスメディアが主導するだけのプロ・スポーツでは、創ることはできないだろう。

【「大阪生涯スポーツ」&NLオリジナル】