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ペレを買った男

  1967年、アメリカに誕生したプロサッカー・リーグNASL(北米サッカーリーグ)。その象徴だったニューヨーク・コスモスの栄華と崩壊を、当時の映像と多くの証言で綴っていく。
  ニューヨーク・コスモスの創始者は、映画会社や音楽会社、ケーブルテレビ局などを持つワーナー・コミュニケーションズを築きあげたメディア王のスティーブ・ロス。彼の「世界一のスーパースターを獲得せよ」との大号令のもと、MLBの最高年俸がハンク・アーロンの20万ドルだった時代に、3年契約450万ドル(700万ドルとの証言もある)という破格の条件で‘サッカーの王様’ペレを「買う」ことに成功する。
  それまでは、ほかに正規の職業を持つセミプロの選手たちの集まりだったチームは、75年のペレの加入後、7万7千人収容のジャイアンツ・スタジアム(NFLニューヨーク・ジャイアンツの本拠地)を満員にする人気チームへと変貌。味をしめたクラブは続けざまに、セリエA得点王だったイタリア人ストライカーのジョルジョ・キナーリャや‘西ドイツの皇帝’フランツ・ベッケンバウアーらのスター選手を獲得。最盛期には所属選手の国籍が14ヶ国に及び、そのチーム名どおり「コスモス(コスモポリタン=国際人 によるチーム)」になるのだった。
  プロスポーツクラブの典型的な栄枯盛衰をひとまとめに観ることができるうえ、当事者ならではの証言がズバ抜けて面白い。コスモスと同じタイミングで、ペレにはレアル・マドリードとユベントスからもオファーが届いていたこと。そのときコスモスが「向こうでは優勝ができるだけだが、アメリカに来れば一国を征することができる」と口説いたこと。ペレの国外流出に反対するブラジル大統領の説得に、アメリカ国務長官のキッシンジャーをコスモスが動かしたこと。後年サッカー人気回復の起爆剤にと、86年W杯のアメリカ開催を目論んだスティーブ・ロスが、FIFA会長のアヴェランジェに根回しを進めていたこと…など、この作品は興味深い逸話の宝庫なのだ。
  コスモスの経営陣、スティーブ・ロスの息子、ペレの獲得交渉にあたった弁護士、ペレのマネージャー女史、ベッケンバウアーなど、当事を知る多くの人物に取材をしているのだが、ペレ本人には取材を拒否されていたことがエンドロールで明らかになる。