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佐野稔のフィギュアスケート4回転トーク/グランプリ・シリーズ総括&グランプリ・ファイナル直前展望

●エース髙橋大輔、欠場の衝撃
グランプリ(GP)シリーズ全体を振り返る前に、まずは髙橋大輔のGPファイナル欠場について触れておかなくてはなりません。フィギュア界にとっての重大事です。「右脛骨(けいこつ)骨挫傷」とのことですが、髙橋を支える周囲のスタッフのみならず、日本のフィギュア関係者すべてが、彼の状態を心配していることでしょう。

公式に発表された「2週間の加療が必要」とは、傷めた患部だけは2週間休ませる必要があるのか。あるいは、あらゆるトレーニングができない状況なのか。詳細は不明ですが、一般的に考えて氷の上に2週間乗れないとなると、コンディションや感覚を元通りに戻すためには、2週間以上の時間を要するはずです。そうなると、12月21日から始まる全日本選手権(さいたまスーパーアリーナ)にも間に合うのかどうか。ひじょうに微妙になってきます。

仮に高橋が全日本選手権も欠場するとなったとき、ソチ五輪の代表選考に与える影響は計り知れません。こうしたケースの救済措置が、あらかじめ規定されているのかどうか。もしも、そうした規定がなかった場合、髙橋だからといって「特例」を認めても良いのか。かといって、五輪が開催される来年2月までには、まだ充分に時間があります。ここで髙橋に無理をさせて、五輪本番に悪影響が出るようなことも、正直避けたい。

日本スケート連盟の「国際競技会派遣選手選考基準」では、五輪代表選手の選考方法を、次のように定めています。
(以下「日本スケート連盟公式HP」より抜粋)
全日本選手権終了時に、オリンピック参加有資格者の中から、以下の選考方法で決定し、
フィギュア委員会へ推薦する。
①1人目は全日本選手権優勝者
②2人目は、全日本2位、3位の選手とGPファイナルの
日本人表彰台最上位者の中から選考
③3人目は、②の選考から漏れた選手と、全日本選手権終了時点での
ワールド・ランキング日本人上位3名、ISU(国際スケート連盟)
シーズンベストスコアの日本人上位3名選手の中から選考

髙橋の場合、全日本を欠場したとしても、③の条件を満たす可能性があります(GPファイナル開催前の時点で、ワールド・ランキングでは日本人2位、ベストスコアでは日本人1位)。ですが、この「国際競技会派遣選手選考基準」において、「オリンピック参加有資格者」とは「最終選考会である全日本選手権に参加しているもの」だとされています。つまり、全日本選手権に参加しなかった場合、オリンピックに参加する資格がないことになります。

ひとつ救いがあるのは、今回のGPファイナル欠場が事故や不注意といったアクシデントによるものではなく、ひじょうに内容の濃いトレーニングを髙橋が積み重ねた結果、その反動によるものだったということです。髙橋陣営からすれば「ここで大事を取れば、全日本選手権には間に合う」と判断した上での、欠場の選択だったのかもしれません。いまはただ、髙橋の1日も早い回復、そして、万全な状態での全日本選手権出場を、祈るばかりです。


●目立ったアジア勢の躍進
髙橋のGPファイナル欠場は残念ですが、替わって出場する選手がやはり日本の織田信成でした。ここに日本男子フィギュアの層の厚さが、如実に表れています。今シーズンのGPシリーズを通して私が最も特徴的に感じたのは、こうした日本を始めとする「アジア系選手たちの躍進」なんです。

GPファイナルに出場する男子6人のうち、日本の3選手と中国の閻涵(ハン・ヤン)と、4人がアジア勢です。また、パトリック・チャンのご両親は、香港からカナダへ移住された方々だそうですし、カザフスタンからはデニス・デンが登場してきました。「どんなに頑張ったところで、結局フィギュアは欧米人のスポーツだ」なんて言い方をされていた私の現役時代とは、まさに隔世の感があります。

彼らに共通しているのは、あまり脚が長くないこと。もちろん昔と較べれば、いまの日本人選手たちはみんな体型にも体格にも恵まれていて、ズングリムックリしているわけではありません。ですけど、そうした脚の短さ、つまりは重心の低さが、フィギュアスケートという競技の特性とマッチしているのではないのか。これまでヨーロッパやアメリカに後れを取っていたのは環境の面であって、アジア各国の経済が発展してスケートリンクなどの設備が整備されてきたら、対等以上に戦えるようになったのかもしれない。「もしかすると、フィギュアスケートって、アジア人向きのスポーツなんじゃないだろうか」。そんなことを考えながら、私は今季のGPシリーズを観ていました。

もちろん人種や民族と、スポーツの適正とを結び付けて語ることに、さしたる意味はありません。それでも、こうしたさまざまな空想をして観ることができるのも、スポーツの楽しさのひとつではないでしょうか。

●女子はロシアの若手が台頭
女子では浅田真央の充実ぶりが光るばかりで、ほかの日本勢は残念な結果に終わりました。あと1人くらいは、ファイナルの出場権を勝ち取って欲しかった。女子で顕著だったのは、ロシアの若手選手の台頭です。彼女たちの勢いに気圧されて、浅田以外の日本人選手たちは割を食う形になってしまいました。GPファイナル出場の6選手のうち4人がロシアの選手。しかも全員が10代です。地元大会であるソチ五輪に向けて、ロシアが力を入れて強化に取り組んできた。その成果であることは間違いありません。

ただ、アデリナ・ソトニコワは別にしても、ほかの3選手については、まだまだ「少女の演技」。体重が軽いため、ジャンプがポンポン跳べるので、その加点で好成績をあげてはいるんですが、シニアのスケーティングとして観たときには、どうしても物足りなさが残ります。特に女子選手は体型や体重の変化によって、演技が大きく左右されます。14歳、15歳で華々しいデビューをしながら、その後パタッと活躍を聞かない。そんな選手の名前が、ファンの方からしても、ずいぶんと思い当たるのではないでしょうか。ロシアの彼女たちについても、今後長い眼で見ていかないと、「台頭」だけで終わってしまう可能性があります。その点では、男子フィギュア界において日本勢の占めているポジションと、女子フィギュア界でのロシア勢とでは、置かれた様相がだいぶ異なっていると思います。


●男子GPファイナルは、パトリック・チャン対日本勢の構図
GPファイナルについては、パトリック・チャン対日本の3選手。こうした構図になるでしょう。ただし、GPシリーズを観るかぎり、今シーズンのチャンは、ものすごく調子が良い。第5戦のフランス杯で出したSP98.52、フリー196.75、総合295.27なんて、ちょっとあり得ない点数です。これ以上は望めないくらい。限りなく完成型に近い内容でしたから。

チャンの唯一の弱点は、トリプルアクセルだったんです。トリプルアクセルだけは不安定で、本人も苦手意識を持っていた。ところが今季は、その苦手意識を完全に払拭できている。何の不安もなく演技にのぞめているから、自信めいていて、余計なことを気にしなくて済む分、細部への集中が行き届いている。もしチャンが何のミスをせず、実力をそのまま発揮したら、日本勢の戦いは相当厳しくなります。羽生結弦、町田樹、織田の3人には、持てる技術を総動員して、ぜひチャンの牙城に迫って欲しい。

特に織田にはこのチャンスを大事にしてもらいたい。髙橋の欠場により、繰り上げで手にした出場権ですが、それも彼が次点となる成績を残していたからこそ。私は前回、織田のNHK杯のSPの点数について「スポーツには、運不運の要素が付きものだ」といった内容の話をしました。そういう意味で今度は、織田に運が巡ってきたのかもしれません。彼自身けっして口には出さなくとも、GPシリーズの結果については「鬱憤」もあったでしょうから(笑)。そうした強い思いの丈を、ファイナルの舞台で存分にぶつけてもらいたい。

GPファイナル初出場となるマキシム・コフトゥンは、今季のGPシリーズで最も著しい成長をみせた選手です。僕が初めて彼の存在を認識したのは、一昨年の国別対抗戦でした。そのときは「良い選手だな」くらいにしか思わず、去年の段階でも「あぁ上手くなったな」程度の印象でした。ところが、今季の彼は違ったレベルの選手にスケールアップしていました。中国杯、フランス杯のSPでは、トゥループとサルコゥ2種類の4回転ジャンプをことごとく成功させた。さらにフリーで3度の4回転を決める可能性を持っている。SPとフリーで合計5度の4回転ができたなら世界記録です。ただ、彼も女子のロシア勢同様、まだ若さがあって、大会ごとの出来不出来の差がひじょうに大きい。波が大きいんです。そうした点を考慮すれば、ソチの次、2018年平昌五輪で、羽生の最大のライバルになってくる。そういった選手だと思います。


●優位は揺るがない浅田 挑戦がテーマに
男子がチャン対日本勢なら、女子は浅田対ロシア勢の構図になるかと言えば、そうはならない可能性が高いと思います。全体の滑りやスピード感では、ロシアのどの選手を見ても、浅田の域には達していない。浅田が大本命、頭ひとつ抜け出した存在であることは間違いありません。

そんななか迎えるGPファイナルで、浅田が目指すべきテーマは、本人もNHK杯のあとで話していたように、トリプルアクセルをフリーで2回入れたり、2連続3回転ジャンプの質を高めたりといった、自分への挑戦です。順位や勝ち負けでなく、浅田の演技内容そのものが、今大会最大の見どころと言えるでしょう。

奇しくもGPファイナルと同じタイミングで、キム・ヨナがクロアチアで開催される「ゴールデンスピン・オブ・ザグレブ」に出場することになりました。本来オリンピックシーズンというのは、ジャッジに対して自分の演技を印象付けたり、反応を確かめたりしたいものなんです。ケガもあってGPシリーズを全休した彼女が、このタイミングでどんな演技を披露するのか。興味を誘います。

おそらくメディアやファンのみなさんは、福岡とザグレブ、遠く離れた別の舞台で戦う浅田とキム・ヨナを比較しながら、ソチ五輪へと向かうふたりのストーリーを楽しむことになるでしょう。とはいえ、浅田本人はキム・ヨナのことはまったく意識することなく、眼の前の競技にだけ集中してのぞむはずです。選手の心理とは、そういうものですから。

(12/5 読者の方のご指摘により、当初アップされた原稿に一部加筆修正しています。ご指摘ありがとうございました)